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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

認められる条件として資格は有効でした。 (1)

 これが夢ならいいのに、と、キーラは考えた。

 どこまでも澄んだ青空が頭上に広がり、潮の薫りをたっぷり含んだ風が、キーラの褐色の髪を撫でていく。乗り込んだ船は、最新型の快速船だ。ぴかぴかに磨かれた甲板に立ち、いつも見上げていた灯台や、見慣れた港街が遠ざかっていく様子を眺める。

 これが、自宅にある心地よいベッドで見る、一夜の夢であるのならよかった。

 だが残念なことに、これは現実だった。いま、キーラはマーネからアダマンテーウス大陸を北上していく帆船に乗船している。目的地は北方にあるルークス王国、すなわちアレクセイたちの故郷だ。つまりキーラはギルドの長の「要請」によって依頼を受けたのだ。

(ものは考えようよあたし)

 手すりに両手を置いて、先ほどからキーラは自分に云い聞かせている。

(これはまったく見知らぬ場所の、お茶習慣やお菓子レシピを得る機会。ましてやルークス王国は、独特の茶器がある場所でもある。ひょっとしたらひとつやふたつ、茶器をゲットしてマーネに帰ってこられるかもしれないわ)

 自分をだましている感覚は確かにあるのだが、そう考えてみると、まるで仕入れの旅に出ているような気分になる。すでに自分はカフェを経営しており、カフェのためにおいしい茶葉を求めて旅立っているのだ。噂に聞く東方の皇帝御用達の茶葉を入手しようか。それとも南方の王様が育てさせているというブズールを飲んでみようか。贅沢な迷いを抱える、という、途方もない夢が広がっていく。

「ここにいたのか、魔道士どの」

 ところがやはり、夢想は夢想でしかないのである。うっとりと想像を広げていたところに、セルゲイが声をかけてきたものだから、キーラは我に返ってしまった。どんよりと不可視の暗雲を漂わせ、歩み寄ってきたセルゲイを見返す。

「……。……なに?」
「殿下がおまえをお呼びだ。ついてこい」
(なにそれ。それでおとなしくついていくと思ってんの)

 云うなり、さっさと背中を向けた男に、思い切りあかんべーをしてやる。すると通りすがりの船員に笑われた。振り返ったセルゲイがじっとキーラを見つめる。奇妙な見つめあいを強要されて、しぶしぶキーラは動き出した。セルゲイの後を追いかける。セルゲイも再び歩き出す。速い。長い脚を動かして、セルゲイは先を急いだ。キーラは小走りになる。

 と、急に長い脚の速度が落ちた。まさか気を遣ってくれたのだろうか。真偽を確かめられないまま、セルゲイは奥まった場所にある船室の扉を叩いた。応えを得て、開ける。

 ひときわ立派な部屋が待ち構えているのか、と気構えたが、アレクセイが待つ船室はごく普通の装飾だった。少なくとも、先に案内されたキーラの部屋と変わらない。ただ、広い。居間があり、寝室がある。入浴室もあるかもしれない。とにかく入室したらいちばんに突き当たる、居間の中央に置かれたテーブルに着いて、アレクセイは待っていた。彼一人かと思えば、見知らぬ顔がいる。老人と男と少年だ。

 テーブルに地図を置いて何事かを話していたらしい四人は、それぞれの眼差しでキーラを見つめてくる。値踏みをしているのかと思えば、ずいぶん好意的な眼差しだ。特に、少年の眼差しにはきらきらした尊敬があり、キーラはこっそり不思議に思う。

「お呼び立てして申し訳ありませんキーラ。紹介したい者がおりまして」

 ああ、と、キーラは軽くうなずいた。正直、アレクセイとあまり顔を合わせたくない。用事があるなら、さっさと終わらせて欲しかった。

「気にしないで。そちらにいる人たちが、その、紹介したい人?」
「ええ。他の船員たちもあなたに紹介されたがっていましたが、さしあたっては自己主張の激しい三人だけ招きました」
「云ってくれるじゃねえか。他の誰よりもおまえに自己主張云々を云われたくねえよ」

 ひどくぞんざいな口調で言葉をはさんできた男は、短く刈り込んだ金髪と褐色の肌を持っていた。鍛えられた肉体の持ち主で、腰に大剣を佩いている。じろりとアレクセイを睨み、キーラに視線を移して、にかっと笑う。白い歯が妙にまぶしい。太陽のような笑みだ。

「俺はアーヴィングだ。傭兵団の団長をしている。よろしくな」
「よ、ろしくお願いします」

 差し出された大きな手をおそるおそる握りながら応える。ごつごつと固い、でも温かな手のひらだ。いつまでも手を離さないから困っていると、ぽかりと老人が男を殴った。

「いつまでキーラの手を握っておるのじゃっ。さっさとそこをどけっ」
「ひでえなあ、コーリャ爺さんよ。殴るこたあ、ねえじゃねえか」
「ふん。殴っても改まらないおまえさん相手には当然の仕置きじゃ」

 二人の何気ない会話を聞いて、キーラは目を見開いた。

(コーリャ!?)

 思わずアレクセイに視線を向ける。驚きの眼差しを受け止め、アレクセイはうなずいた。

「コーリャ爺をご存じのようですね」
「『チーグル』を知らない人間なんて、いないと思うわ」

 そう云い返して、改めて老人を見つめる。髪もひげも真っ白で、どちらかといえば小柄な老人だ。けれど、しなやかな鋭さと温かさがちょうどよく調和された容貌の持ち主でもある。妙に人を惹きつける老人は、キーラの視線を受けて照れたように笑った。

「お嬢ちゃんのような、若い娘さんに二つ名を知られるのは、少々恥ずかしいの」
「どうして? かっこいい二つ名じゃありませんか」

 本気で応えると、老人はさらに照れた。

 チーグルとは、ほぼ生ける伝説と化している傭兵の二つ名である。数々の戦場から必ず帰還してきた傭兵。味方には畏敬を、敵には戦慄を与えた。その剣技は卓越しており、傭兵だけではなく騎士にも称えられる存在だと云う。

 キーラはアーヴィングにも視線を向けた。彼が団長をしている傭兵団の名前も、すでにわかった。チーグルを慕った傭兵たちが結成したという、『灰虎
《シエールィ・チーグル》』だ。最強と名高い傭兵団である。キーラは首をかしげる。それほどの傭兵団なら。

「『灰虎』なら、高位の魔道士とのつながりもあるでしょう」

 なにせ、戦場に出るのが仕事だ。戦士の亜種である魔道士に対抗するため、高位魔道士と連携したこともあるはずである。そのつてをたどれば、わざわざキーラに依頼しなくても、と、いまだ往生際の悪いことを考えて、アレクセイを見る。

 アレクセイは微笑んだ。例の、内側を悟らせない微笑みだ。

 う、とたじろいでいると、沈黙していた少年が堪え切れないように口を開いた。栗色の髪に黒色の瞳を持つ美少年だ。身体つきは細いが、それでも立派な剣を佩いている。

「そんなことは気にしないでくださいっ。僕は、僕たちはあなたがいいんですからっ」
「ああ?」

 思わず胡乱に、喉の奥から野太い声をあげた。
 乙女として微妙な反応であったのだが、少年は気にした様子もなく、言葉を続ける。

「うれしいなあ。最高位の紫衣の魔道士さんが、僕と同年代だなんて。僕、僕もチーグルのように世界最高峰の剣士になりたいんですっ」

 がんばりましょうねっ、と云われ、思わず頬がひきつった。なんだこの生き物。

「彼はキリルです。『灰虎』では最年少の傭兵ですよ」
「え、」

 うそ、と思わずつぶやくと、キリルはぷうと頬をふくらませる。どういう意味ですか、と騒ぎ始めるが、無理もないよね、とキーラは心の中でつぶやいた。子供じみた反応を見てしまったらますます信じられなくなる。だが、さすがに初対面の人間に云うことではない。微妙に気まずさを覚えていると、アレクセイはキリルを制した。ぴたりと静かになる。

「彼にはあなたの護衛をしてもらいます。仲良くしてくださいね」
「よろしくお願いしますっ」

 気分を害したことも忘れたように、キリルはあっけらかんと云い放つ。よろしく、と、口先で返しながら、キーラは何となく先行きに不安を覚えた。頼りになるのだろうか、自分より弱そうに見えるのだけど。

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