切れない絆

鋭く踏み込まれたが、ぎりぎりのところで受け止める。にやり、と、男は笑った。その余裕ある表情を見つめながら、アルセイドは必死に踏みとどまっていた。元々、自警団の一員に過ぎなかった自分である。軍務を長年続けてきた男ほどの技量があるはずなかった。

だから、卑怯な手もためらわない。

ぎりぎりと持ちこたえながら、考えを巡らせる。視界の隅に映る地面。ならば。

ぐっと剣がすべり、はじかれた。きいんと響く音を聞きながら、両手から失った剣に執着することなく、くるりとひと回転して男から離れる。首元に剣をつきつけられるより先に、両手につかんだ砂を投げつけた。

「おっと」

反射のように男はわずかに後退する。その動きに合わせて前進した。
そしてその勢いのまま、下方から相手の右手を狙って蹴りをぶつける。弾き飛ばされる剣はかしーんと音を立てて地面に転がった。

しばらくの沈黙があり、そして批難の言葉が続いた。
たしかに、尋常たる模範試合として、決してうつくしい戦いぶりではない。

だが、荒げた息をおさめようとしながら、アルセイドは自分自身に続ける。これが今の自分の精一杯だ。ただひとり生き残ったとはいえ、決して英雄ではないのだ。だから当然ともいえる批難のざわめきを黙って受け止めた。

ところが、大きく哄笑が響いたのである。

他でもない、戦っていた相手が笑っているのだ。大きな歩幅で歩み寄り、がっしりとアルセイドの手をつかみ引き起こしてくれる。そのまま肩を抱き寄せ、ぐるりと見物人に視線を向けた。思わず困惑し、されるがままになる。

「愉快、愉快。さすがひとり生き残っただけのことはあるよなあ」

愉しげな声が、チクリと胸を刺す。
面に出さないように心がけながら、倣うようにアルセイドも見物人たちを見つめた。様々な反応がある。戸惑っているもの、納得したように頷いているもの、そして、怒りはじめているもの。その中の1人が声をあげた。

「隊長! 自分は今の勝負に納得できません!」

顔を赤くして叫ぶ少年を、おや、と云わんばかりに男は見つめた。ようやくアルセイドから手を離し、子供のようにふんぞり返った。

「おまえの納得なんぞ知るか。おれが満足したからそれで問題はないんだ」
「それで納得する者はおりませんよ」

見物人の1人が苦笑と共に言葉をはさんだ。端正な印象のある男だが、副隊長の任にある男だという。
彼はものやわらかに微笑み、アルセイドに視線を向けた。

「戦闘の基本は1対1に持ち込むこと。そして生き残ること。いまの戦いは一応、この2点を満たしておりますね」
「ですが教わった型にはない戦い方です!」

なおも抗弁を続けた少年に、隊長はあくまでも朗らかに笑ってやる。

「いいんだよ。こいつはおまえより弱いからこういう手に出たんだ」

だろ? と、こちらに振りかえった男に素直に頷く。
どよめきが走った。信じられない、それでなぜ生き残れたんだ。
そんな言葉がこちらにまで届き、アルセイドは少しだけ唇を皮肉に持ち上げる。

生き残ったのではない。たまたま命を戻されただけだ。

故郷にはアルセイドより強い者などいくらでもいた。それこそ、この隊長に匹敵するほどの兵もだ。目をかっと開けたまま、全身に矢を受けた彼を、埋葬したアルセイドは決して忘れてはいない。

だからこそ、命を拾い直してしまった不思議も。

「まあ、だからこそこいつの剣技を見たいと云ってもな、おまえらの参考にならんつーわけだ。わかったか、坊主ども」
「便乗して楽しんだ方が何をおっしゃっているのです。そろそろ失礼ですよ、隊長」

申し訳ありませんね、と、丁重に頭を下げられ、アルセイドは慌てて自分を取り戻した。
謝罪を止めさせようとして、空気が震える音に動きを止める。今度こそ、首筋に剣を突き付けられていた。地面に落ちたままの剣を男は知らぬ間に拾い、そしてアルセイドが気づけぬほどの速さで突き付けてきたのだ。男は再びにやりと笑う。

「生き延びろよ、坊主」

朗々と響く声だった。

「そこまで弱くても、おまえは生き残った。誰にも、何にも、恥じることはない。あえて何事も成す必要もない。ただ、生き延びてやれ」

くるりと剣を引き、チンと鞘に収める。副隊長の口元がゆるやかにほころんでいた。黙って目を伏せる。

ただ生きろ、という男の言葉は、あの白い少女の言葉とは似て非なるものだった。

選択するために、生きるがいい。

その言葉は時々、埋葬した記憶と相まってアルセイドを駆り立てるのだ。何事かを成せ、このままであるな、と。

だがアルセイドはまぶたを閉じる。
成すべきことは、本当には何もない。ならばどう生きることが、自らに命を戻した少女の望みなのだろうか。

「見つけたぞ、アルセイド!」

涼やかな少女の声がざわめきを圧した。
見れば白い少女がこちらに歩み寄ってくる。堂々とした様子に、まわりの者が自然と道を譲っていた。

どこまで偉そうなんだ。心の中の呟きは、呆れを伴っている。
小柄な少女はじろりと、大柄な隊長を見上げた。

「うちの者が世話になったようだな」

よくも無断でアルセイドを連れだしてくれたな、と、聞こえる調子である。
面白がるように男は唇をゆがめ、屈みこむように少女を覗き込んだ。

「こりゃあ、別嬪さんだ。嬢ちゃんが坊主の連れかい」
「エトワールだ。そう呼ぶがいい」

少女の言葉を聞いて、アルセイドは目を丸くした。気がまえた様子もなく、あっさりと名乗っている。アルセイドすら知らない名をだ。アルセイドの注視など知ったことではないように、少女は腰に手を当て男と相対する。

「ところでアルセイドを連れていってもいいのか? 試合だと聞いたのだが」
「ええ。大切な彼をお借りして申し訳ありませんでしたね」

2度目の謝罪を副隊長が口にしたものだから、アルセイドは慌てて顔を彼に向けた。
だが誤解を解くよりも前に、隊長が愉しげに訊く。

「で、嬢ちゃんはどっちが勝ったと思う?」
「当然、おまえだ」

きっぱりとした即答に複雑な気分になってしまうアルセイドだった。
確かに、帝国兵の一刀によって瀕死に陥った事実を知られている。だが迷ってみせるくらいの愛敬を示してくれてもいいと思ってしまう。そう思ってしまって、はっと我に返る。相手は人妻である。何を期待しているというのか。

「だが」

少女の声が続いた。

「この試合に金が賭けられていたら、所有金すべてをアルセイドに賭けていたぞ」
「へえ?」

思いがけない言葉だった。男はにやにや笑いを含む。副隊長も興を惹かれたように少女を見た。

「そりゃ、こいつがどんな手を使ってでも勝とうとする人間だからかい」
「ちがう。わたしがそう決めたからだ」

先と同じくきっぱりとした様子である。

「負けるならそれでもいい。全額、失ってしまってもかまわない。ただ、こいつの戦いぶりにすべてを賭け続けることにしているからだ」

ひゅう、と口笛が吹く。

「愛だねえ」

隊長までもがそういうものだから、アルセイドは今度こそ、軌道修正の必要性を感じた。

「そんなことを云うと、おまえを待っている旦那が嫉妬するんじゃないか」

そうなのだ。先の異常から回復した少女は夫がいると告げていた。
今度に起きたざわめきは先程のものとは比べ物にならないほど大きなものだった。さすがに目を丸くした様子の男たちの視線を集め、少女はうるさげに眉を寄せる。だがそれは男たちの様子に動揺したためではないらしい。

「それで思い出した。目的地への船が出せないと云うんだ。交渉しようにも、わたしはこの容姿の為か相手にされない。アルセイド、おまえなら何とか出来るだろう。どうにかしてくれ」
「おいおい、嬢ちゃん」
「隊長」

眼差しよりも冷ややかな声音で、副隊長が隊長の口を封じる。そうしておいて、アルセイドにやわらかく微笑みかけた。礼を告げる代わりに頭を下げ、少女の頭にポンと手をのせて歩き始めた。

――ただ、こいつの戦いぶりにすべてを賭け続けることにしているからだ。

白い少女の言葉は、アルセイドの意思に炎を灯す。
まず初めに、生きることを選択した時のように。

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