事情

五年前に、我が家に一人の男の子がやってきました。
ころころした体型の、可愛らしい赤ん坊です。ぷくぷく頬の赤ん坊はすくすく育ち、いまでは抜群の行動力を発揮して、叔母のわたしを振り回します。かわいい甥ですから、振り回されるのはむしろ本望なのですが、たまに困惑します。そういうお年頃なのでしょうか。我が家の王子さまは事あるごとに、さまざまな疑問をぶつけてくるからです。

「おねえちゃん、僕が生まれる前から世界はあるの?」
「どうして寝る前にお菓子を食べたらいけないの?」
「ねえねえ、どうして僕だけ夜更かししたらダメなの?」

わたしはその度に調べ物をして答えました。
母親である姉などはのほほんと笑って「真面目ねー」と申しておりますが、子供だからこそ不正確な知識は与えられません。ただ、そう。質問尽くしの時期を迎えた頃から覚悟していた質問が、ついに今日ぶつけられました。

「ねえおねえちゃん。赤ちゃんはどうしてお母さんのお腹から生まれるの?」

さあ、どうしましょう。

この事態を予測していたわたしでしたが、答えは用意していませんでした。むしろ訊くな、と思っておりました。子供の代表的な質問です、わかっています。でもこれは答えるにはいささか荷が重い質問でした。なにしろまだ中学生ですから、説明しようにも羞恥が勝ります。 ましてやたちの悪いことに、母親である姉や祖母である母はにやにやと見守っているだけなのです。無責任です、わたしよりも年長者のくせに!

(えーと、でもどうしよう)

かわいい甥っ子は、きらきらした瞳でわたしを見つめています。

これまで真面目に応えてきたことを、このときほど後悔してきたことはありません。甥っ子はわたしが正確な知識を教えてくれると期待しているのです。でもまさか、この状況でおしべとめしべの話もないじゃないですか。かといって、お父さんとお母さんがセックスしたからよ、なんて、わたしにはとてもとても、云うことはできません。

ああ、でも甥っ子はきらきらした瞳でわたしを、以下略。

……だあああっ、云えるかよんなもん。そういう疑問はあえてぶつけるものではなくて、小学校の保健体育の時間に知るものなんだよ。そうしたら昼ドラの意味不明な場面の意味もわかるようになる。それまではいつかわかることだと自分でわきまえておけ!

こほん。少々、言葉が乱暴になりました。元に戻します。

ちっちっち、と、居間の秒針が動き続けています。甥っ子はわたしを見つめたままです。わたしは硬直したままです。なんとかできそうな母と姉は傍観の態勢です。どうしてくれよう。わたしは心の底から困り、それでも促されるように口を開きました。

「あ、あのね」
「うん! どうして?」

きらきらした瞳で問いかける甥っ子に、わたしはひねり出すように告げていました。

「……お、大人の事情だから、わたしには答えられないなあ」

するとたちまち、盛大な笑い声が背後で響きました。爆笑です、二重奏です。
傍観していた母と姉が、気楽にも笑い出したのでした。ちくしょう。わたしは心の中で呻いて、じっとりとした視線を母と姉を向けます。が、無意味でした。

ああ。どうしてわたしがこんな目に。

これ以降、わたしがかわいい甥っ子の面倒を放り出すようになっても仕方ないと思います。それこそ子供の事情です。大人の事情なんてずる賢い大人にだけ都合がいいもの、もう知ったことか、なのです。

007:事情▼
(現代もの 比較的年の近い、叔母と甥っ子)

でもなんだか何だと云いつつ、面倒をみたり我慢しなくてはいけなくなる理不尽に、ようやく彼女は気づくのでした。要領のいい大人たちに利用され、わたしたちは大人になっていくのです。ふぁいと、おー。

2011/07/17

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