ギルドマスター

    「だめだね、船を出すつもりはない。帰んな」
    (なるほど)

    白い少女に連れて行かれたのは、船員ギルドだった。船員は同じ場所にとどまらない。そのために仕事を斡旋したり、情報を交換する場となっている場所である。はっきりと聞き取れないざわめきには、遠い異国の言葉らしきものも混じっていた。少しだけ不思議な感覚である。

    ちょうど昼時であることも関係しているのか、ギルドは人でごった返していた。職員たちが休憩時間に入る前に、それぞれの用件を済ませようという人々が列を成している。その最後尾に並び、ようやく向き合った相手がうんざりとした表情と共に告げたのが先の台詞だ。態度に余裕がない。よほど空腹を抱えているのか、と、アルセイドは考えたのだが。

    「なぜ、だめなのだ。このギルドにはそれほど腕に自信のない奴らばかりが登録されているのか?」

    隣から響いた声が、その理由を心から納得させた。

    体重をかけ過ぎないよう、そっと少女の足を踏んで黙らせる。アルセイドは愛想笑いを浮かべて進み出た。

    「連れが失礼なことを申し上げたことをお詫びします。ですが、頭からだめだと仰らずに、せめて理由をお聞かせ願えませんか?」

    このように丁重に出てみたら、さすがの男も表情をゆるめた。それにアルセイドの方が話もわかると判断したようで、少女をまるきり無視して彼に向き直った。機嫌を損ねたかな。ちらりと少女のことが脳裏によぎったが、いまは向かい合っている男である。

    「 なぜもなにもなァ、あんた、この嬢ちゃんが行きたがっている場所を訊いているのか? 竜の島だぞ、竜の島。あの島に行きたがるやつなんざ、このギルドにはいやしないね」

    さすがに驚いた。それは魔の島と恐れられている島だからだ。

    たしか少女は自分の夫に会いに行くと云っていたはずだ。いぶかしく思いながら振り返ると、平然と見つめ返される。しばらくの沈黙。溜息、ひとつ。再びアルセイドは男に向き直る。

    「竜の島というのは、伝説の生き物が暮らしていると云われている島のことですよね」
    「おうよ。密輸商人を筆頭に船を出させたやつはごまんといるが、あのあたりは潮流が速すぎて近づけやしねえ。海の藻屑になるのがせいぜいだ。いまとなっては信心深い船乗りたちは、竜の呪いとまで云って船を出したがらねえし、こちらも大切な船員を死なせるつもりはないんでね」
    「だからわたしが一緒に行けば問題はないと云っているだろう。わからないやつだな!」
    「エトワール」

    制止の為に名前を呼ぶと、ぎょっとしたようにアルセイドを見る。ただ、名を呼ばれたにしてはおかしい反応だったが、目的を果たしたアルセイドはせめてもの提案をする。ちなみに男が云うような危険を感じてはいない。少女が大丈夫だと断言するのならば、きっと大丈夫なのだろう。根拠なき確信が、すでに芽生えていることに苦笑した。

    「近くまででもいいんです。そうしていただけたら、あとはボートを漕いででもたどりつきますから」

    かっ、と男は形相を変えた。

    「馬鹿云ってんじゃねえ! そんなことは船乗り魂にもかけて許可できるか!!」

    銅鑼声に一喝され、思わず肩をすくめた。

    「うるさいねえ」

    艶やかな声が響き、すらりと美麗な女が奥から姿を現した。赤と紫の服をいなせに着崩した、20代後半ほどの大変な美女である。男はぎょっと顔色を変え、わずかに後ずさった。

    「おかしらっ」

    ということはこの美女がギルドマスターなのだろう。

    さすがに驚いたアルセイドは、改めてその美女を見つめた。艶やかに咲き誇る、赤い薔薇のようなうつくしい女性である。とても荒くれ男たちを束ねているようには見えない。だが女は進み出て、つるりとした男の頭を掴み、首を締めあげる。細い両腕をうまく使って、ぎりぎりと急所を押さえていた。細めた瞳には、不機嫌そうな色が漂っている。

    「あたしゃ、午睡の最中だったんだよ。いい気分で寝ているところを叩き起こしたんだ。覚悟は出来てるんだろうね?」
    「そ、そうはおっしゃいやすが、俺はまだ昼飯も食ってねえんですぜ、って、ぐええええ」

    蛙の声にも似た悲鳴である。

    さすがに元締めというべきか、美女は腕っ節は非常に強いらしい。男の顔色がそろそろヤバイ。制止するべきだろうと判断したアルセイドより先に、ずっと沈黙していた少女が口を開いた。

    「そのくらいにしてやれ。その無礼な男への懲罰ならばわたしにも権利がある。奪われることは我慢ならないからな」

    しかし、とりなしているようには聞こえない。

    だが美女は、おや、と云わんばかりに少女を見た。ほっと息をついた男の様子から、女の腕から力が抜けたことが分かる。

    そんな男をぽいと投げ捨て、美女は少女を見つめた。ごん、と、床に頭をぶつけた男が気の毒になって、アルセイドは思わず彼に近寄る。いてて、とうめいているが、つるりとしたはげ頭にはたんこぶすらできていない。ほっと息をついていると、男は抗議の為か、口を開こうとした。すると思いがけず鋭くなった美女の眼差しに息をのむ。

    「おまえは食事に行っといで。このお嬢ちゃんの話はあたしが聞く」

    ギルドマスター自らの言葉である。

    ぎょっとした男2人から視線を外し、美女と美少女は見つめあった。絵になる光景ではある。だが残された男2人は複雑に顔を見合わせた。言葉に出さずとも心はひとつ。自分たちの立場は?

    「さて、くわしい話を聞かせてもらおうか。竜の島に行きたいのは嬢ちゃんとそこの坊やだけかい」
    「同じ話を繰り返すのは苦痛なのだがな」
    「おやそうかい? 事実から外れた話をきいてもいいんなら、手間も省けるしそうさせてもらうがね」

    それはつまり放り出した男から話を聞くと云うことだろう。少女はため息をついた。どうやら美女の方が一枚上手のようである。

    「ポイントフォーティセブン、シクスティナインの場所に、こやつとわたしの2人を連れて行ってもらいたいのだ」
    「ずいぶん、古めかしい物云いをする嬢ちゃんだねえ。いまじゃ誰もそういう云い方をしやしないよ。実用的じゃないからさ」

    ふと胸を突かれたように眼を見開く、その無防備な表情がやけに印象的だった。
    視線を外せない。違和感を覚えたのだ。
    たしかに、少女の言葉には奇妙に古めかしい単語や未知の言葉が混じる。

    筆頭が「魔女」だ。

    いまは魔女狩りの時代ではない。竜と同様、伝説にだけ存在する言葉なのだ。不思議な力を持っていることは知っている。それでも少女の認識は現代にそぐわないと感じる。

    そんな少女につき合っている自分も不思議だが、そんな少女を妻と許容出来る男の存在にも驚きである。別に会いたくなどなかったのだが、彼女には命を戻された恩がある。礼のひとつは云ってしかるべきだろう。アルセイドはそう考えたのだ。美女と美少女の会話はその間にも進んでいる。

    「……なるほど、潮流を変える方法があるのかい」
    「わたしにしかできないことだがな。あのあたりには人物認証のシステムが組み込まれている。竜は人嫌いであるため、特定の人物しか立ち入らぬようにしているのだ。そしてその特定の人物の筆頭にわたしがいる、というわけだ」
    「ちょいとお待ち」

    きらりとアーモンド型の瞳がきらめいた。

    「ジンブツなんたらはどうでもいい。それより、竜は存在するのかい? お嬢ちゃんは確かめたことがあるのかい」
    「ああ。あの島は古い種族が住む島だからな。竜だけではないが、存在する。そして、会ったこともある」

    その答えを聞いて、女は地面に座り込んだままの男を振り返った。ドゥマ、と鋭く呼びかけられ、男は姿勢を正した。

    「へい、おかしらっ」
    「幹部連中を呼び集めてきな。大急ぎだよ!」
    「……あの、俺、昼はまだ」
    「なんだい、まだ食べてなかったのかい。仕方ないね、あきらめな!」
    「そんなあ……」

    筋骨たくましい男が頼りない悲鳴を上げるのはあまり見たくない光景である。
    傍観していたアルセイドは微妙な角度で視線をそらしつつ、こちらを向いた美女の鋭い眼差しに振り返った。
    スッと目を伏せ、短く、先ほどまでの無礼を詫びてくる。だが、すぐに顔をあげ、強い眼差しを向けてきた。

    「しばらくお待ちいただけるかい、お客人。出来るだけ早くに結論をまとめる。船を出す、という結論にね」
    「本当に?」

    目を丸くして応じると、女は意外なほどにこやかに微笑む。

    「あたしらァ、儲け話には敏いのさ。なによりこのあたりの海を預かる者として、あの島には興味もあった」

    そこでちらりと少女に視線を流す。

    「たとえ竜がいて遭遇したとしても、ここまで豪語するんだ。嬢ちゃんが何とかしてくれるさ。だから試してみる価値はある」
    「剛毅な女だな。きっとおまえも気に入られるだろう。少々、妬けるが」
    「そら嬉しいねえ。なにせあの島は補給地としても最適だ。ともあれ、お客人。そういう次第だから、軍の宿舎に戻っておくれ。返事は必ずそちらに届けさせる。なに、そう長い時間はかからないさ」

    美女はこちらの正体も知っていたらしい。感心しながら頷く。
    少女も納得したようだったのでそのままギルドを出た。

    まぶしい午後の光が、目を射抜く。

    思わず目を細めながら、空腹であることに気付いた。
    戻るまでにどこかで食べるか。提案しかけて少女の表情に気付く。
    微妙に、固い。

    「なぜ、おまえまでエトワールと呼びかけるのだ」

    何を云いだしたのか、アルセイドは最初、分からなかった。
    だがようやく思い出し、むしろ不思議な心地で問い返す。

    「おまえの名前なのだろう?」
    「偽名だ」

    そっけなく返し、先に歩きだす。慌てて追いかけた。

    「なぜ、偽名などを名乗ったんだ。よりにも寄って、この街の重鎮に」
    「忘れたのか、アルセイド。わたしは先の皇帝に呪われていただろう」

    普通の声量で云うものだから、まわりの反応をうかがった。人の姿はまばらだ。だから話題にしたのだと遅れて気づいた。

    「思いがけないほど、あっさり回復したな」
    「だが、完全に呪いが解けたわけではないぞ。なにせ帝国皇帝が命をかけて行った、わたしの真名にかけた呪いなのだ。いまもわたしの中で疼いていることはちがいない」

    はっと息を呑み少女を見下ろしたが、彼女は全くいつも通りに見えた。気付いた少女は苦笑する。

    「おまえが役割の名前を呼んでくれたから助かったと云っただろう? おかげで、呪いをかけられた部分を表には出てこない。深い場所に追いやることに成功したというわけだ。いまとなっては、真名のわたしよりも役割としてのわたしの方が強いからな」
    「おまえのいっていることはよくわからない。だが、呪いは続いているが影響は低いと解釈していいんだな」
    「そうだな。そう捉えてもらった方がいいだろう。真名を名乗ることは、呪いをかけられた部分を表に出すことになる。だから偽名を名乗ったのさ。普通の人間には、善き魔女、とは呼びにくいのだろう? ただ、真実を明かしたおまえまでもが偽名を口にするのは不快だ」
    「それは、」

    開きかけた唇を、言葉の選択に困惑して閉じる。

    少女の名前を結局知ることが出来ない自分を少しだけ残念に感じる。だが、それを訊くことで苦しめるのはまっぴらだった。

    「ところでアルセイド」
    「なんだ、善き魔女」

    そう応じてやると、にっこりと翳りなく笑う。

    「お腹が空いた。早く宿舎に戻ろう。おばさんが今日のデザートには甘いものを用意すると云っていたからな!」

    そういえば、この少女は宿舎の調理師と仲が良いのだった。
    滞在している軍の宿舎は、立派な男所帯である。その食堂のデザートに甘いものをリクエストしていたとは。
    さぞ困惑している者が多いだろう、と、アルセイドは小さく笑った。

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