後継者

    2人きりの講義は、正直息が詰まる。
    ましてや、相手がピクリとも表情を動かさぬイストールであれば、だ。

    アルテミシアは両手を膝の上にそろえて、イストールの淡々とした声を聴いている。記録紙の類の持ち込みは、講義内容から禁じられている。だから聴き逃すまいと彼の言葉に集中していた。

    真面目に受ける必要性はそれなりに感じている。これは自らを都合の良い駒となすための講義、ならば、その中にこそ、事態を打開する手立てはあるはずだからだ。極言すれば、彼の言葉の裏こそが真実だとも云えるのだ。だからこそ、ひと言も聴き逃さない気迫で講義を受け続けている。私室に戻った後、鍵のかかる帳簿に講義内容を書き記しているのは、アルテミシアだけの秘密だ。

    「――また、このセレネには人に災いをもたらす種族が存在します。竜、エルフ、ドワーフ。あるいは、魔法使い、妖精の類ですな。遥か昔には、この種族をまとめてスティグマと呼びかけることもあったようですが、今となっては誰もそう呼びはしません。なぜならそれほど各種族の仲は隔てられてしまったからです」
    「仲が隔てられているのならば、災いをもたらすこともないのでは?」
    「仲が隔てられているからこそ、災いをもたらすのです。愚直な多種族には、われわれ人類の意思を理解できない。ただ地上を占領している愚かな種族としか映らないのです。だからこそ、害意を向けてくる」
    「そうでしょうか。熊や狸でも居場所を奪われれば、人の里に害を成します。他の種族にも同じことが云えるのでは?」
    「……あなたさまは、どこまでも侵略がお嫌いらしい」

    端整な唇に苦笑を浮かべて、それでいて眼差しだけは凍りつくような冷やかさだ。
    その冷たさにはもはや負けない。
    真っ向から、きょとんとした顔を装って、首をかしげて見せる余裕さえアルテミシアにはある。

    「おかしなことを申しまして? だってわたくし、いまだに侵略をする意図が理解できないのですもの」
    「ですからそれは、」
    「魔女に対抗するため、そうおっしゃいましたわね? ならば各種族の協力を仰ぐことも、必要なのでは?」
    「興味深い意見をおっしゃる。ですがいまさら無意味でございましょう」
    「なぜですの?」
    「なぜなら我らはすでに、彼らの住処を奪っているからですよ。不当な侵略を先の皇帝は選ばれた。その後始末をしている内に、魔女は態勢を整え、人類を滅ぼそうとするでしょう。それが次期皇帝たるあなたのお望みか」
    (――また、この論理ですのね)

    そっと唇を噛んで、目を伏せる。心に満ちるのは悔しさだ。
    だが、そんな自分がしおらしげに見えることは理解している。

    ふう、と物憂げな吐息をついて、「続けてください」と告げる。
    いつものように、論理を看破された皇女の役割を演じる。

    ふと、唐突にざわめきが強くなった。室外のざわめきだ。
    顔を上げるタイミングを逃し、うつむいたまま戸惑っていると、イストールがいらだたしげに声をあげた。そろりと顔をあげると、扉に向かう背中が見える。ほっと息をついた。

    (何事だろう?)

    アルテミシアも不思議に思う。その時、押し切られる様子で扉が開かれた。

    「やあやあやあ、ご機嫌は麗しいかな、アルテミシア姫」
    「やあやあやあ、ご機嫌は麗しくないようだね、イストール」

    現れたのは、きっちり同じ格好をした二人の若者たちだった。
    セイブル侯爵家の双子、つまり、ミカドの兄たちである。
    片方がレインフォール、もう片方がジークフリード。この2人の区別は自分でもつかない、とミカドがかつて呟いていた。

    「何用ですかな、お2人とも」

    忌々しげにイストールが告げると、レインフォールかジークフリードのどちらかが、にやりと笑って、胸元の薔薇を差し出した。

    「君、その顔はやめたまえよ。元はよろしいのに、赤子も泣きだす形相だ。ほら、笑って!」
    「結構です。それよりも早くお引き取り願いたい」
    「またまた。わたしたちが目的も達成していないのに、おとなしく帰るわけがないだろう?」
    「目的?」

    ようやくアルテミシアが声を上げると、2人の若者はそろって膝をついた。

    「この度は不肖の弟がしでかした不始末、寛大な処置を賜り、まことに感謝の念も堪えません」
    「それでささやかではありますが、せめてものお礼の品々を持参いたしました」

    まあ、とアルテミシアは本気で目をまるくした。行動が早い。
    ミカドの将軍職を解いたのは、つい、今朝のことなのだ。
    あれから半刻もたっていない。
    フン、とイストールが鼻息を立てた。あら、とアルテミシアはそちらを見つめる。珍しいリアクションだ。

    「大方、アルテミシアさまにおまえたちの悪趣味を押し付けようとした矢先に、ミカドのことを聞いたのだろう」
    「おやあ。ここにひねくれ者がいるようだよ、兄弟」
    「なんでも穿った視点で物事を捕らえる。悲しいことだと思わないか、兄弟」
    「悲しいとも、せめて涙を流して差し上げるとしようじゃないか、兄弟」
    「やめんか、うっとうしい!」

    イストールはついに一喝した。

    仮にも侯爵家の人間に対して、ずいぶんな無礼ではあるが、この3人は同じ学び舎で学んだのだと聞いたことがある。その頃の関係を感じさせるやり取りだった。

    アルテミシアにしてみれば、少しだけおかしい。あの、イストールが青筋を立てて怒鳴ることなど珍しい。それとも、自分も彼を怒らせたら、こういう事態になるのだろうか。

    「まあ、やめておけと云うのなら、本来の目的に戻るとしよう兄弟」
    「さようさよう。アルテミシアさまに我らがデザインしたドレスを献上しようではないか」

    ついに溜息をついて、イストールは扉の脇に立った。
    ぱちんと双子は指を鳴らす。すると次から次へと衣装箱が運び込まれた。
    アルテミシアは思わず立ち上がり、本物の困惑を抱いて、両手を組んだ。

    「あの、お2人とも」
    「おや、アルテミシアさま。まさかおいやだとは仰らないでしょうな?」
    「それは悲しい。泣いてしまいたいぞ、兄弟」

    言葉に反して、双子はすすすとアルテミシアに近づく。そっとシンクロした言葉をアルテミシアは聞いた。

    「「感謝しているのです、我らが弟を見込んでくださったことに。あれはセイブル侯爵家の後継ですから」」

    はっと息をのんでいる間に、双子は衣装箱を開いてみせる。レースとリボンで彩られた、だが、高貴な印象すら漂うドレスが現れる。色は紅、今迄にためらって避けてきた色合いだ。他の箱も開かれる。こちらは鮮やかなロイヤルブルーだ。こちらも避けてきた色である。

    「さあ、お試しあれ。あなたにはきっとはっきりした色もお似合いだ」
    「儚いばかりが女性の魅力ではない。アルテミシアさまにはこちらもよろしいだろう」

    そしてそろってにこりと笑う。
    アルテミシアはその笑顔ではなく、彼らの気持ちに対して心からの微笑みを浮かべた。

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