手錠をかけられたまま歩くのは、やはり不便なものだった。
それでもあの牢屋から出されたことに何かしら期待するものがある。
アルセイドが気にかけているのは、帝国の将軍に捕らえられた際に離れ離れになった魔女のことだった。なにしろ侵略の目的が魔女であると明確にしている国に捕まったのである。その身に害を加えられていないか、ひたすら気がかりで仕方なかった。
だから再び、ミカド・ヒロユキの顔を見たときに、感情のままに睨んでしまった。
グレイと呼んでいた頃の親しみはもはやない。ミカドは少し笑い、軽く手を動かして牢屋番を下がらせた。通常ならば信じられない処置だが、それだけ将軍としての実績が高いのだろう。
「いまさら、何の用ですか」
告げた言葉は、我ながら冷え切っていた。ミカドは軽く肩をすくめて、「報告」と短く応えた。
ピクリと肩が揺れてしまう。
「おまえさんが連れていたお嬢ちゃんは、別の牢屋に連れて行かれたよ。牢屋というのもはばかられる貴賓室にな」
「無事なんだろうな!?」
「確認できていない」
「――それで、」
アルセイドは次の言葉に迷った。侵略の目的と掲げている魔女を帝国は手中に捕らえたのである。侵略を止めたのか、と訊ねようと思ったのだが、このミカドという将軍がどこまで何を知っていることが気になった。
与えた沈黙をどのように受け止めたのか、ミカドは苦く笑った。だがすぐに表情を引き締めた。ずい、と身を乗り出して、アルセイドに語りかける。
「おまえ、俺の部下になるつもりはないか」
思いがけぬ言葉だった。目を大きく見開くと、ミカドはふっと不敵な笑みを唇に刻む。
「特典は大きいぞ。まずこの牢屋から出ることが出来る。俺の従者ということにしてやるから、皇宮内をある程度歩くことが出来る。当然、あの嬢ちゃんの居場所を探すことも出来るな。罪人にそこまでの権威を与えるとは何事かとほざく連中には問題ない。俺の判断ミスによる逮捕だったと告げてやる。つまり、おまえはもともと無罪だった、それなのに、ミカド・ヒロユキの不当なる逮捕によって身柄を拘束されたにすぎないとな」
「……なぜ」
こぼれてしまった声がかすれてしまったのは当然のことだった。ミカドはあまりにも型破りな提案をしている。
もちろんそれなりの理由があるのだろう。だからこそ警戒が強まった。
正直にいえば、提案にはのりたくない。もともと相手は故郷を滅ぼした国の将軍である。だれが家族を滅ぼす命令を下した国の臣下になりたいと思うものか。アルセイドの経歴もとうに調べているだろう。それにもかかわらず、このような提案をすることに呆れかえった。
けれど。――魔女、が。
長針として生き抜くと決めた以上、必須の存在である短針の魔女が今、彼の傍にはいない。もちろん彼女がいなくてもスティグマの和を成すことは可能である。だがアルセイド自身、不本意なことではあるが、魔女を必要不可欠の存在とみなしているのだ。ガイアの回復を示す存在、そして、自分に命を戻した恩人でもある彼女をこのままにしておくわけにはいかなかった。
「逆に訊きたい」
この男はどこまで知っているのか、帝国の目的があの魔女だと云うことを知った上で提案しているのか。
それによってアルセイドの態度も決めることになりそうだった。提案にはのりたくない、だが、魔女は必要だ。彼女を取り戻すためならば、ほんの一時ならば、自分の意思と感情を曲げることくらい、やってやる。
「帝国はなぜ、侵略を進めている」
いまだ侵略を進めているのか。そういう訊ね方もあったに違いなかった。
だがその質問では、帝国が目的の一部を達したことを知らせているようなものだ。すなわち、魔女が目的の魔女だと知らせているようなものだ。ミカド・ヒロユキがどこまで知っているのか、アルセイドは知らない。だからこそ、うかつな言動は避けなければならなかった。
ところがこの問いは、ミカド・ヒロユキの思いがけないところをついたらしい。眼差しから感情が抜け落ちた。
唇を結び、組んだ両手にうずめる。しばらくの間があった。
「――侵攻は、抑えられるはずだった」
ぐっと組んだ両手に力が込められる。
灰色の瞳はもはやアルセイドを見ていない。目を伏せて、訥々、と言葉を続ける。
「少なくとも、新皇帝陛下はそのおつもりだった。ところが、俺が皇宮を離れている間だ、突然に戴冠式を済まされ、侵略の目的を発表された。それも、古の一族を率い人類を滅ぼそうとする魔女を討伐するため、という戯けた目的をな。俺は耳を疑った」
アルセイドは、じゃらりと手錠を鳴らしながら、両手を机の上に乗せる。
抑えきれない感情が、ぐッと両手を握りしめさせる。
この男は、結局、何も知らないのだ。魔女が、目的の魔女であること。
皇帝が、遥か古に定められた、スティグマの約定からは信じられないほど暴挙に出たことを――。
(魔女)
「アルテミシアは、決して侵略を望む娘じゃない」
小さな、小さな声が聞こえて耳を疑った。アルテミシア、魔女の真名である。
だが次いで、現皇帝の名前もアルテミシアという知識を思い出した。なぜ、ミカドが皇帝の名前を呼ぶのだ?
いぶかしげな視線に気づいたのだろう。わずかに苦く笑い、乳兄妹なんだよ、と短く告げた。アルセイドは目をみはる。改めて、この男の破天荒ぶりを思い知った気がした。その上で、先の提案をしていたのだ。寵愛を笠にしていると罵られても仕方のない提案である。
しかし、それを超えた事情を、アルセイドは同時に感じ取っていた。ミカド・ヒロユキという将軍は知らない。
だが、グレイという男ならば知っている。気前よく懐広く、護衛仲間にも慕われていた人物だ。
――あのグレイが、ミカドの本質ならば。
「俺はあいつを取り戻す」
先にそう告げたのは、せめてもの誠意のつもりだった。伏せていた目をすっとミカドは上げた。
「その為に、提案を呑む。だが、おまえは本当に、俺を野放しにすることを理解しているのか。おまえが何を図っていても、台無しになる可能性だってあるんだぞ」
ふ、と、ミカドは薄く笑った。
「その大言、覚えておこう。どうやら俺の知らない事情をおまえたちは知っているらしいな」
だがそれでも将軍と云われるほどの男だった。牢屋番を呼び出し、ミカドはアルセイドを解放させる。
手錠の跡が残る手首を撫で、アルセイドは息を吐いた。
まずは魔女を探し出す。その第一歩をどうやら踏めそうだった。