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「問題はないか」
やがて、ダークエルフの彼女を従えた貴公子が、僕の休む部屋にやってきた。
これまで会うときとまったく変わらない服装でやってきて、開口一番に告げた言葉がそんな言葉だったから、僕は苦笑してしまった。
「ええ、大丈夫です。術のぶり返しもありません。完全に治してくださってありがとうございます」
僕がそういうと、貴公子も苦笑を浮かべた。
その笑顔を見て僕は思ったんだ。
ああ、本当にこの人は変わってない。あの街で共に食事をしたときのままなんだ。
だから起き上がった僕は、身体から緊張を抜いてしまった。
それで何が起きたかというと、ぐううぅるうう、という凄まじい腹の音が鳴ったのだ。
少しの間、沈黙が落ちる。ダークエルフの彼女が僕に向ける、呆れたような視線に羞恥をかき立てられた。だがすぐに、貴公子が吹き出したものだから、僕はとうとう、うつむいてしまった。
うう、格好がつかない。この間、秘書殿の前でも腹がなってしまったし、まったく、どうして僕の腹はこんなにも堪え性がないんだろう。
「話の前に、食事だな」
くつくつ笑いながら、貴公子が踵を返そうとする。
僕はとっさにその服の裾を掴んでいた。「貴様」とダークエルフの彼女が柳眉を逆立てたけど、片手をあげてそんな彼女を抑えた貴公子は、心配そうな様子で僕をのぞき込む。
「どうした。魔族の食事ではなく、ちゃんとした人間の食事を用意するぞ。わたしが作るのだから、味は保証できないが、量は保証できる」
ツッコミどころ満載の言葉に、僕はぱかんと口を開けた。
「あなたが作るって言いました?」
「そうだ。しかたないだろう、ほとんどの魔族は料理をしないのだから」
魔族とはそういうものだと知っている。でもまさか魔王である貴公子が料理をするなんて、思いもしなかった。僕はあいまいな半笑いを浮かべて、寝台から降りる。
驚いた様子の貴公子が僕の名前を呼んだ。その声音で心配してくれているとわかる。だが、心配は無用なのだ。傷は癒えてる。治してもらった以上、動くことに問題はない。
「だったら僕も作ります」
ふだん料理なんてしないけれど、料理の基礎くらいは取得しているのだ。なにより魔王たる貴公子だけに、料理なんてさせられないじゃないか。僕が食べる料理なんだぞ。
僕がそういうと、貴公子は目を丸くして、けれどなぜか、嬉しそうに笑った。