吟遊詩人

    竪琴が最後の音を奏でたとき、初めにあたりに満ちたのは感嘆のため息だった。

    演奏していた吟遊詩人が優美に一礼をすると、我を取り戻した観衆は圧倒的な拍手をその吟遊詩人に贈った。興奮したように、隣に立つ者といまの演奏について語り合う者もいる。そしていちばんの上座に腰掛ける王が手を挙げると、しんと静まった。

    「みごとであった、吟遊詩人タルバドール」
    「恐れ入りましてございます」

    そう云ってつつましく頭を下げた若者は、二十歳を超えたばかりに見えた。

    これほどの若さで、あれだけ豊かな歌を歌えるとは、と、王は感嘆する。世の中には天才というものは存在するのだ。それにしても、と、まだ酔いしれているような心を振り返り、身を乗り出して王はさらに言葉を続けた。

    「天空にあるガイアが、我らが住んでいた場所だと云うのは面白い物語だのう」
    「いえ、王。これは紛れもなく真実であると、わたくしの先祖は申しております」
    「ほっほう! それではいま、そちがうたった、ガイアの魔女が目覚めたときに我らはガイアに帰還する、と、そういうことになるのかな」

    若者ははにかむような微笑みを浮かべ、首をかしげた。そうであろう、真実が誰にもわかるはずもない。
    するとうっとりした様子を隠せない隣の王妃が、夢心地の調子で言葉を続けた。

    「あの青き月にわたしたちは住むことになりますのね。それは素敵なことだわ」
    「これこれ王妃よ。我らはそうしたらこのセレネを離れなければならないのだぞ」
    「仕方ありません。その時、セレネは死の世界になっていると云うのですから。そうなのでしょう? タルバドール」

    若者は優美に頭を下げることでそれに応える。ふうむ、と、王は顎を撫でた。
    王妃はそんな王に微笑みかけ、代わりに口を開いた。

    「いずれにしても、素晴らしい歌と演奏でした。礼を云います」

    白く整えられた指が空を踊る。すると何かが詰まった袋を捧げ持った侍女が現れた。王もまた微笑む。

    「それではわしからはこれを」

    浅黒い指がさっと降りあげられる。今度は黄金の装身具を捧げ持った侍女が現れた。
    目の前に2人の侍女を迎え、しかし、吟遊詩人たる若者は首を振る。

    「いえ、王さま。王妃さま。わたくしにとってはお2人に演奏を聞いていただけたことが何よりの報酬でございます」
    「まあ、そういうでない」

    云いながら、王はのんびりと吟遊詩人の反応を待った。たまにではあるが、このように遠慮する者もいる。
    本当に興味がないか、あるいは、自分を良く印象付けようとしているのか。さて、この若者はどうであろう。
    では――、と若者が告げたときに、だから王はわずかに失望した。だが、すぐに目をみはる。

    「おそれいりますが、王宮の図書館の閲覧を許していただけませんでしょうか」
    「なに?」

    それは思いがけない申し出だった。

    「わたくしめは吟遊詩人。ですから様々な場所にある物語や知識を入手したいのです」
    「欲のない奴よのう……」

    王がこう告げたことには理由がある。基本的に王宮の図書室は解放しているからだ。ただしそれは王宮に伺候出来る者に限られるから、取り立てて価値のある褒章とも思えないのだが。落ち着かない王に対し、王妃は微笑んだまま告げる。

    「良いではないですか、王。吟遊詩人にとって、きっと未知の物語こそが何よりの報酬なのですわ」
    「そうなのか、タルバドール」
    「は。王妃さまのおっしゃる通りでございます」

    頭を下げ、そしてまっすぐに王を見つめてきた。涼やかに澄んだ、落ち着いた眼差しを見て、王はふと微笑んでいた。好ましい眼差しだった。敬意を浮かべながら、媚びを浮かべることがない。良いだろう、王は告げる。

    「では吟遊詩人、タルバドール。我が王宮に滞在し、好きなだけ図書館の書物を見るがよい。わしが赦す。皆もそう心得よ」

    は、と一斉に臣下一同が頭を下げる。より深く頭を下げたのは、吟遊詩人だった。
    濃紺の髪がさらりと流れ午後の光を反射した。

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