人魚の声

    「なぜわしらが、人間たちの不始末の後始末をしなければならないのだ?」

    辿り着いたドワーフの村で、アルセイドと魔女の2人は決して歓迎されたわけではなかった。人間が、というささやきを何度も訊きながら、魔女の先導によってドワーフの会議場に向かったのだ。アルセイドたちが辿り着くと、すでに会議場には12人のドワーフが待機していた。

    噂が広まるのは早いな。魔女が苦笑しながら呟くと、その言葉が返ってきた。彼らは何のためにここへ訪れたのか、すでに理解しているらしい。ぐ、とアルセイドは拳を握り、両ひざに置いた。いままで知らなかった種族、その種族と接している驚きに浸っている間はない。

    「理由は、……」

    魔女はドワーフの側に座らされている。彼女はアルセイドの隣に座ろうとしたのだが、竜族なのだから、という理由らしい。彼女は人間として、この冷ややかな眼差しを据えられることがなく、そのことにアルセイドはほっとしている。

    「我々が、死にたくないからです」
    「ならばなぜ、橋を壊した?」

    すぐに次の問いが成される。

    なぜ、橋を壊したのか。それは本当のところは、アルセイドはわからない。なぜなら橋を壊したのは先の帝国皇帝であり、すでにこの世を去っているからだ。

    けれど推測することは出来る。彼らはこのセレネを統一し、住み続けようとした。そしておそらく、長い年月の間に、ガイア回復への希望を失ってしまったのだろう。事前に話し合った結論がそういうものだった。

    だがそのまま話してよいものか、ためらいを覚える。なぜなら、それは人間たちの身勝手な理由をあらわにすることになるからだ。

    「長針よ」

    ドワーフの側に座る魔女が、かしこまった様子で呼びかけてきた。顔をあげると、静かな表情で続けられる。

    「ありのままを話すがよい。偽りなど、我らは容易に見抜ける」
    「甘いのお、竜族の奥方は」

    ドワーフの1人がそう云うと、魔女は悪戯っぽい眼差しでそのドワーフを見返した。

    「幼き子供に道を示してやるのが、我らの役割ではないか?」
    「ほお。わしらは人間のことなど詳しくないが、こ奴、充分に成人しているのではないか?」
    「わたしから見れば、どの存在も幼き存在だ。ご老人、わたしは眠りについていたとはいえ、500年以上前から存在しているのだぞ」
    「ほ、云われてしまったぞい」

    穏やかな笑いがドワーフの間に広がる。笑いは心を解きほぐすものだ。魔女がもたらしてくれたものに感謝しながら、それでも気を引き締めてアルセイドは口を開いた。

    「人間の代表である帝国皇帝が、このセレネを独占しようとしたがためです」

    ぴいんと空気が張り詰めた。どん、と、ドワーフの1人が憤りを抑えかねたように床を叩いた。
    やはり、とアルセイドは思う。彼らはそんなことまでもとうに見抜いていたのだ。ドワーフの皆は、それでも怒りをあらわにしていない。もっとも中央に座るドワーフは笑いを口元に残したまま、スッと片手でそのドワーフを制した。穏やかで厳しい瞳でアルセイドを見る。

    「そして、おまえさんが今度の人間の代表というわけかね?」
    「ちがいます」
    「ならばなぜ、我らに交渉している!」

    1人が吠えるように告げた。
    大した迫力だが、アルセイドはあくまでも顔をあげたままきっぱりと言ってのけた。

    「スティグマの和を成したいと思ったからです」

    その言葉には、さすがにドワーフたちも驚いたらしい。
    先程吠えたドワーフも同様だが、嘲るように言葉を続ける。

    「スティグマの和を成したい、それは立派だがな、人類一種族すらまとめきれないおまえにそれが可能だと思うのか?」
    「それでも、可能性はあるはずです。たとえゼロに近くとも、ある限り、行動することをやめたりは出来ません」
    「長針よ」

    魔女が再び呼びかける。彼女はごく淡々とした表情でアルセイドに問いかけた。

    「おまえは家族を帝国皇帝に殺されたと云っていたな。それなのに、帝国皇帝と手を結ぶことが出来るのか?」

    ざわり、とドワーフたちが顔を見合わせた。信じられん。そんなことを呟くドワーフもいる。
    これは手助けなどではなく、改めて覚悟を聞かれているような心地になった。ドワーフにではなく、魔女自身に。まぶたをとじて、アルセイドは静かに自問する。1人1人、埋葬していった仲間たち。その時に誓った内容を忘れはしない。

    けれど。

    「この世界には、同じように帝国皇帝に家族を殺された人間が多くいるんだ。その人間たちの命までも危ういと云うのならば放っておけない。その為ならば、ガイアに帰還するまで憎しみを押さえつけることくらいしてみせる。なぜなら、それが人類すべての意思とするべきだからだ」

    しん、とドワーフたちが沈黙した。

    長い沈黙が過ぎた。ひげをなでながらドワーフたちは考え、そして視線を交わしている。
    なぜだかわからないが、態度が急に軟化している。アルセイドが首をかしげていると、ドワーフの1人が口を開いた。

    「確かに。ガイアで殺し合ってくれるのなら、これほどありがたい話もないのお」
    「とかくめざわりなのでな。殺し合いをするにも、せっかくの鉱石をあのような無粋な形にしなくても良いだろうと我らは思うぞ」
    「おぬしもほれ、腰につけているようだがな」

    彼らが云うのは、どうやら剣のことらしい。
    ドワーフと人間の違いがここにある。剣は無粋とまで云われて苦笑してしまった。

    本当に、ドワーフという一族は同族で殺し合うことなど思いもつかない種族のようだ。

    穏やかな笑みの和が広がる。その時だった。
    どんどんどん、と会議場の扉が叩かれる。たちまち緊張を取り戻したドワーフらは、顔を見合わせた。1人が声を張り上げる。

    「なにごとだ! 今は会議中であるぞ」
    「人魚が、人魚が出やがったんです。長老方、ご指示を!」

    何、と呟いて、ドワーフたちが次々と立ち上がる。そして会議場を出ていく彼らに戸惑いの視線を送っていると、ゆったりと魔女が立ちあがった。閃かせるように笑みを浮かべ、良くやったな、とささやきかける。その笑みに、アルセイドも笑い返し、そしてドワーフたちの後を追った。

     

     

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