「その水の中に入ろうとするなよ。人間には猛毒になる」
いかにも渋々、と云った様子で、鉱水の中に入ろうとしたアルセイドをドワーフが制した。
会議場では見かけなかったドワーフ、だと思う。危うく水の中にもぐりかけたアルセイドは慌てて身体を引き上げ、にこりとそのドワーフに接した。
「ありがとう」
ふん、と、そのドワーフは横を向く。その場から立ち去るかと思えば、鉱水が流れる側を沿って歩くアルセイドについてくる。見張りのつもりか、と思い、仕方ないか、と諦めた。
妖精は儚い種族なのだ。魔女が云い残した言葉を考えながら歩く。
あれはどういう意味なのだろう。
儚い種族と云うが、水の中にもぐっていったあの生き物は確かな質感を備えているように見えた。儚い。むなしく消えていく種族、と云う意味だろうか。それとも頼りにならない種族という意味だろうか。
アルセイドは付いてくるドワーフにちらりと視線を向ける。気付いたドワーフは視線をそむけた。駄目だ、訊いても応えてくれそうにない。そうも考えたのだが、試してもいないのに諦めるわけにはいかないと口を開いた。
「妖精、とはどういう種族か知っているか?」
「同じガイアの生き物をどうしておまえたちが知らないのだ?」
辛辣な答えが返ってきた。言葉を失っていると、フン、とドワーフがもう一度鼻で応える。
くだらない一族さ、と吐き出すように答える。
「エルフの奴らも気にくわない一族だがな、妖精はもっとくだらない。なにしろ、遊んでいなければ存在を維持することが出来ないのだから。働かないと生活できない我々とは大きく気質が違う種族なんだよ。気楽なものさ」
「遊んでいなければ存在を維持できない?」
「ああ。やつらはものも食べない。飲まない。それなのに、存在はしている。そして遊ばないと存在を維持できないのさ」
「それは……」
腹が立つだろうな、とアルセイドは思った。
今、アルセイドが旅行していられるのは、海賊の頭から身代金の残りと働いていた給金として手渡された金があるからだ。よほど高価な指輪だったんだな、と思ったが、頭の自尊心に触れないように沈黙していた。
だがそれがなかったらここまで来ることが出来なかっただろう。なにより、食べる必要も飲む必要もないと云うなら、それは羨ましくてたまらない。
ふと、ここで気付いた。
妖精は儚い種族。むなしく消えていく種族と判断するならば、そして今の言葉を考えに入れるというのであれば、ふざけた種族だ、とアルセイドはまず思う。
だが、遊びが呼吸と同じだと云うのなら、そうしないと存在が消えてしまうと云うのであれば、そうして生きていくしかないのは、仕方がないのではないか、そんなことまでアルセイドは考えを巡らせていた。
しかし、だからと云って盗みをしてもいいと云う理由にはならない。
鉱水の流れる源にどんどんたどっていく。すると、天井の光がおぼろになってきた。
ついてくるドワーフは頼りになりそうにない。
だが目はきくようで、ひょいひょいと軽やかにアルセイドについていく。時には追い越すこともあるくらいだ。
「この辺りまでくることはあるのか」
「鉱石などないこの辺りまで、来る必要があるのかね」
そっけない言葉だったが、充分な情報だった。
また、希望を芽生えさせてくれる言葉でもあった。
さらにすすむ。暗くなっていくというが、手探りでも進んでいける。滑って転ぶと、呆れたようにドワーフは溜息をついた。1人で立ち上がり、つるりと滑る石に手を当てながら歩く。
「……人間とは、か弱い種族なんだな」
呆れたようにドワーフが呟いた。
そうかな、と、おぼつかない調子で返すと、そうだ、と返してくる。伸ばしたひげにごまかされていたが、その口調で初めて気づいた。このドワーフは案外若いのかもしれない。
「この程度の暗闇でもあたりが見えない。だから足跡も見えていない」
「え?」
「ドワーフではない足跡があると、おまえは気付いていないだろう」
慌てて足元を見る。するとますます暗いばかりだ。何も分からない。
ドワーフがしゃがみ込み、太い指を地面で撫でさすっている。
「奥方のおっしゃっていた通りかもしれない。これは人魚などではなく、ドワーフでもなく、ほかの種族の足跡だ」
「人間ではないのか?」
「人間がこんなところに入れるものかよ」
馬鹿にしきった口調ではあるが、もはやあまり気にならなくなっていた。
それでは妖精の可能性があるということだ。その足跡をたどってくれないか、と頼むより先にドワーフが先導し始める。どうやら監視意識より調査意識の方が働いているらしい。
やはり若いのだ、とアルセイドは判断しながら、そのドワーフについていく。やがて眼先が明るくなってきた。そして照らし出された矢先に。
「あいつら……っ」
うめくようなドワーフの言葉が聞こえる。色とりどりの石の上、軽やかに踊っている生き物がいた。走り出そうとしたドワーフに抱きつき、制止したままその生き物たちを見つめた。姿は人間に似ている。だが、この場所で薄物をまとう人間などいない。あれが妖精なのだ。
「なぜ止める!」
「あいつらが死ぬかもしれないからだ」
そう告げると、ドワーフは動きを止める。ふっと眼先の明かりが消え、可憐な声が響いた。
「だれ」「だれ」「だれ」「だれ」「だれ」
幾層にも渡って聞こえる声だ。アルセイドは考え、そして、応えた。
「長針だ。長く眠り続けた短針である魔女が選んだ長針の役目を追った人間の男だ。ドワーフの男と共にいる」
するとぽうと光が灯り、1人の妖精の姿が浮かび上がった。
繊細な顔つきの、生き物だ。男か女かもわからない。
「ようこそ、ガイアを動かす長針よ」
微笑んでその生き物は告げた。