成長する種

    スティグマの和を成すためにここに来たのであって、子供の喧嘩の仲裁をするために来たわけではないのだが、とアルセイドは目の前の喧騒を見ながら思ってしまった。

    1人の妖精が歓迎の言葉を告げた途端、ドワーフの男が口汚く罵り始めたのである。毎日遊び呆けているだけの存在が、我らの宝を奪う権利があると思うのか。すると妖精はさらりとした表情で、我らの生きざまに口出しをはさまないでいただこう、飲み食いするだけで存在を保てるおまえたちとは違うのだ、と云い返す。

    双方の口論は平行線をたどっている。どうしたものか、とアルセイドは思っていた。とうに頭に血が上った様子のドワーフは、妖精に殴りかかろうとしていた。だが、アルセイドが止める以前に、ふわりと妖精が宙に浮かびあがって逃げ出した。忌々しげに、ドワーフがつばを吐く。

    「落ち着いたか」

    そう言葉を呼び掛けることは、図々しいことかもしれない。
    恐れながら言葉をかけると、ち、と舌打ちされた。

    「少なくとも妖精の奴らとはまともな言葉が通じないと云うことはわかった。俺らがどんな苦労をして鉱石を加工しているか、理解しようともしやしねえ」
    「ほう。ではおまえたちは飲み食いさえすれば、存在し続けていられる特権を自覚したことがあるのかね」

    ふわり、と天井から降りてきた妖精は、皮肉な表情でドワーフの若者を見つめている。胡散臭げに見返すドワーフは、沈黙を守っている。代わりにアルセイドが口を開いた。

    「ドワーフだって、飲み食いしなければ、飢えた心地になると思うし、最悪死んでしまうと思うが」
    「私どもも同じですよ、長針どの。踊らなければ、精神を楽しい状態にしなければ、存在が消えてしまうのです。だから他の種族とは交わることが出来ない。ガイアにいた頃は人間に嫁いだ妖精もおりましたが、皆、早くに亡くなっていきました。なぜなら、人間たちの生活とは、楽しいばかりではないからです」
    「それは、当然のことだ」
    「でしょうね。それが理解できない。そして私どもも、踊り狂う毎日が愉しいばかりではない。ただ踊るだけ、それだけでも楽しく感じられなくなってなくなっていた妖精の数をここで申し上げた方がよろしいか。なにより、地上で踊っていたいと云うのに、人間の管理者は我らを地下に追い立てたのです」

    ふう、とその妖精は溜息をついた。
    はっとそんな気分に気付いた途端、背中の羽をパタパタと揺らす。りりり、とかすかな音が響いた。
    軽やかな、心の負担をなくしてしまうような妙なる音だ。ほっと安心したように、妖精は微笑みを浮かべた。

    「おさ」「おさ」「おさ」「おさ」「おさ」
    「踊りに戻らないとだめ」「踊りに戻らないとだめ」「踊りに戻らないとだめ」「踊りに戻らないとだめ」「踊りに戻らないとだめ」

    暗闇の中から、可憐な声が幾層にも重なって響いてくる。妖精は愛おしげに背後を振り返り、

    「少々お待ち。長針どのがいらしているのだ。無礼はだめだろう?」

    「でも」「でも」「でも」「でも」「でも」

    可憐な声は、心配そうではあった。ふっと妖精が眉を寄せる。アルセイドは思わず声を張り上げていた。

    「安心してくれ。君たちの長に不快な思いをさせはしない。楽しい思いをさせる」
    「おまえ、なにを云っている!」

    ずっと沈黙していたドワーフが起こったように告げたが、アルセイドは静かにその若者を見返した。

    「では、このままひとつの種族の責任者が亡くなられてもいいと思うのか。おまえは責任が取れるのか?」
    「っ」
    「交渉は俺がする。だからしばらく黙っていてくれないか」

    アルセイドがそう続けると、しぶしぶのようにドワーフは黙り込んだ。
    妖精に向かい合う。妖精は微笑んでいた。

    「寛大なお言葉、感謝しますよ、長針どの」
    「だが不快な言葉を続けると思う。だから背中の羽を鳴らし続けてくれないか。そうすればあなたの気分は楽しいままでいられるんだろう?」

    すると声をあげて、その妖精は笑った。楽しげな、竪琴をかき鳴らしたような笑い声である。
    笑い声をおさめて、妖精はドワーフに向き直る。

    「鉱石はお返ししよう。わたしたちはこの地に興味が失せた。わたしたちはこの長針どのについていく」
    「は!?」

    驚きの声は二重奏になった。ドワーフの声とアルセイドの声だ。
    なぜ、そんな展開になる。声を大にして追求したいところだ。

    「返すと云うのは当然だが、それだけで済むと思っているのか」
    「すませていただきたいところだ。我らはあなた方の領域から出ていく。つまり、自主追放と云うわけだ。許して頂きたい」

    軽やかな妖精の言葉に、ドワーフの若者は困惑しきったように沈黙した。
    長の判断を仰がねばなんともいえない。呟くようにそう告げると、くるりと来た道を戻り始めた。

    りりり、と軽やかな羽音が聞こえる。そして残されたアルセイドは、しばらくの間をおいて気がついた。ここで置いていかれたら魔女が待つ場所に戻れない。すると妖精がぱんぱん、と手をたたいた。ぱあっとその場が明るくなる。

    すると、輝く鉱石――宝石がきらめいている様が良く見えた。そしてそのひとつひとつに妖精がついている。つまり宝石の数だけ妖精がいるのだ。

    どれだけ盗んだのだ、と人間の常識が頭によぎるアルセイドは頭を抱えた。自主追放という罰だけでは追い付かない数だ。また、これだけの数の妖精が自分たちについてくるのかと思うと、さすがに抵抗を覚えた。りりり、と羽根の音が一斉に鳴る。

    「かつて」

    長である妖精が呟いた。それまでの声音には似合わぬ、重々しい声だ。

    「ガイアにて人間たちと暮らしていた頃は、わたしたちは些細なことで楽しくなっていたものだよ。窓辺に置かれた一杯のミルク、ささやかなおまじない、自由にどこまでも広がっている草むら。だが、このセレネではすでに崩壊が始まっているし、人間たちも私たちの存在を知覚しようとしない。セレネの地は狭い。だから与えられた領地だけでは暮らしていけない人間は、まずは我々を否定し始めたのだ」

    「かなしかった」「かなしかった」「かなしかった」「かなしかった」「かなしかった」

    りりりり、という羽音が大きく響く。妖精の中にはふわり、と宙返りをする者もいる。
    馬鹿のような行動だが、そうしなければ存在を保てないのだろう。嘘のような理論、生き物の生態にすでに慣れかけている自分に、アルセイドは苦笑した。だが! と長は声を張り上げた。

    「ガイアを動かす長針が私たちを訪れた。つまり、短針が目覚めたと云うことだ! すなわち、ガイアは回復している」

    「うれしい」「うれしい」「うれしい」「うれしい」「うれしい」

    言葉だけではない、並ぶ妖精たちの表情がほころんでいる。
    くるりと宙返りする者もいれば、ステップを踏む者もいる。

    彼らを連れ歩くのは、かなりの注目を集めそうだ。
    アルセイドは冷静に考えつつ、それでもドワーフの反応が気がかりだった。

    「さあ、行こう。長針どの」
    「は?」
    「ドワーフの一族のところだよ。我々は罰を受けなければならないだろう?」
    「……楽しい思いをしないと思うが」
    「ありがたき心遣い! だからこそ、長であるわたしは君についていこうと決めたのだよ、長針どの」

    繊細な顔立ちに、うつくしい微笑みを浮かべて妖精は微笑んだ。温かく、優しく、麗しく。

    それは魔女の美貌を見慣れたアルセイドをもってしても見とれてしまう類の笑みだった。思わず笑い返しながら、アルセイドは思いのほか容易に済ませることが出来たスティグマの和、――妖精族の協力に安堵してしまった。困難だと否定され続けた、スティグマの和を成すと云う可能性を高めることが出来た。

    魔女がこの結果を聞いたらどういう言葉を口にするだろう。それを無性に知りたいと感じた。

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