MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

優しい人形

王族連中と云うのは、どうしてあんなに人が良いかね、と彼は思う。
寛大が美徳とされる世情だ、だがあの帝国が周辺の国々を侵略しているのである。

自分がスパイだとは考えないのだろうか、と、先程まで竪琴をかき鳴らしていた男は呟く。男はさっそくいただいた許可の通りに、図書室にこもっている。禁止区域の読書まで許されるのだから本当にありがたい。だが念のために、と閉じた扉のノブに手を掲げる。

「消音・消気」

これで室内の音も気配も、さらには近づこうと云う心持のものも近づけないはずだ。
つまりは、精神結界を張ったわけである。

そうしてずらりと並んだ本を見比べ、そして各本棚のナンバーを見つめた。ふ、と、笑ってNの棚に向かう。NETTLE。彼が探している単語は、この単語を現す文字だ。ひとつひとつ本の背表紙を見つけ、そして、ひとつの本を見つけた。

――「魔女、その裁判の記録」

その本を取り出して、背面の板に爪をかけた。巧妙に張り巡らされていた板は、べりべりと破れていく。その奥に文字盤がある。NETTLE。その単語を打ち込んだ。すると、ごごご、と開く音がある。

本を元の場所に戻し、男は開いた地下への道を下りていく。くるくると回る螺旋階段はとても深く、降りていくに従って空気の温度も下がっていく。だがその事実を知っていた男は、襟元を引き絞るだけで下っていった。

そして、やがてひとつの扉に辿り着く。自分の手のひらを見つめて、扉に押し付けた。掌紋は変わっていない。だからこれでこの部屋に入ることが出来るはずだった。

はたして扉は低く反応し、しゅん、と両開きに開く。開いた先にあるのは、がらんとした空間だった。中央には繭型の装置がある。男は歩み寄り、そして指を動かしてその装置を動かした。果たしてそこには、丸いが球体る。ふ、と男は心からの笑みを浮かべた。

「『短針は長針と出会った。魔法使いがそれを見届けた』」

するとたちまち、丸い球体がぽうん、と、光を帯びる。
ぎぎぎ、と起き上がり、細いアームを伸ばして見せた。

「本当ですか、魔法使い」
「本当だ。だからエターナル、ガイアの様子を見せてくれ。どこまで回復している?」

ぱっとあたりの情景が変わった。映し出されたのは、青い空がどこまでも続くうつくしい大地の様子だった。思わず、といった様子で男は立ち上がり、映像を映し出している壁に手をのせる。エターナル。かすれて小さくなってしまった声を、男は絞り出した。

「アメリカ、ロサンゼルスを映し出してくれないか」
「かしこまりました」

映し出された場所は、奇妙なオブジェが立ち並んでいる場所だった。建物は倒壊し、その隙間に植物が生えている。いや、植物の合間に倒壊した建物があると云ってもいいだろう。人ひとりいない。だが、男ははっと笑って見せた。泣き笑いのような笑い声だった。

「この日を待ちかねていたよ。ガイアは、――おれたちの地球はついに回復したんだ!」
「マスターもお喜びになっていました」
「どうかな。あいつは夫と別れることの方が悲しいんじゃないか?」
「さあ」
「ここはこれでいい。セレネの辺境を映し出してくれ、エターナル」

するとたちまち移り変わった場所は、目をそむけたくなるほどの有様だった。水は枯れ、木々は立ち枯れている。のみならず、砂地もひび割れて舗装されていた道路すら割れているありさまだ。人は幸いにもいない。

帝国皇帝の早めの警告が効いたか? と呟いたが、男は首を振った。それより異変を感じ取った住民が我先に逃げ出したとみなした方が可能性が高い。なにしろ、帝国皇帝はその義務を放棄している。いまの国々は、人種ごとにまとめられた、最小のコミュニティであったのに、その境界を犯しているのだから。

だがまあ、気が済んだ。
そのまま元の場所に戻ろうとした男は、エターナルがぽつんと転がっている様を見てしまった。

しまった、と思う。男はこの召使ロボットの休止方法を知らない。
本来の主人を思い出し、そして口を開いていた。

「ネトル、いや、アルテミシア、か。あいつのところに行きたいか、エターナル」

意思表示は明快だった。ぴょんととびはね、男の胸元にすがりつく。
思わず笑い出しながら、「わかったよ」と男は丸い球体を撫でた。

連れていくことに異論はない。魔法使いである彼にはいくらでも方法がある。部屋を閉じて歩き出しながら、長くあっていない少女の面影を思い出した。産まれたときの名はアルテミシア、そして竜族に迎えられるまでの名前をネトル。当人から聞いた過去だ。

「おまえは長針と共に在るか? 竜族の夫が用意した、おまえの運命と共に」

運命に抗ってみるのも楽しそうだけどな。男はそう呟いて、螺旋階段をのぼりはじめた。

目次