つまらない男だねえ、と云うのが、新たな総督へのお頭の人物評だった。ドゥマもまったく同意ではあったが、そんな発言を道端で行わないでほしいと心の底から願う。
なぜなら総督となった帝国の将軍はずいぶん度量がせまく、陰口までも取り締まっていると云う噂がある人物だからだ。まさかこの街で、と思いたいところだが、不審な帝国兵は増えている。だとしたら出来るだけ危険は避けてほしかった。
「戻ったえ」
キセルをぶらぶらさせながら、お頭は声を上げる。すると受付近くの長椅子に不審な二人連れが座っているのが見えた。とっさにお頭をかばおうとしたが、ぴしりとキセルで額を打たれる。カランコロンと鳴らせながら、お頭はその2人連れに近づいていった。気安い笑みを浮かべ、フードの中身を覗き込むように微笑みかける。
「おやまあ久しぶりのお客さんじゃないか。何の用だい? 船を出してほしいなら、帝国総督のところに行きな。うちに権限はないよ」
「いえ。わたしどもは真珠一粒が欲しいのです」
低い男の声が響いた途端、ぴしっと辺りの空気が緊張した。
真珠一粒が欲しい、それはレジスタンス『竜の巣』に加わりたいと云う意思表示を意味する一文だった。
だがそれはすでに前のものとなり、いまは別の暗号文を用いている。ということは、前の暗号文を聞いた者、には違いないが、それ以降の暗号文を入手できなかった人物ということだ。
微妙な存在である。ドゥマも腰の剣を抜きかける。制止したのは、声をあげて笑いだしたお頭の反応だった。そのまま追い返すつもりなのだ。ドゥマがうかつな反応に冷汗をかきながら剣から手を外すと、残る1人ががたんと立ち上がった。
「無礼な! 何がおかしいと云うのだ!」
するとぴたりと笑いやめて、お頭は冷ややかにその2人連れを見やった。
どうやら2人連れは男と女であるらしい。穏やかな声と荒げた声、だが言葉のアクセントが似ている。すなわち同じ家庭に育った者同士ということだ。そのあたりまではドゥマとて察することが出来たが、おそらくお頭はそれ以上の事実を察したのだろう。「帰ってもらいな」、吐き捨てるように他の者に告げる。
「ま、まて!」
「落ち着きなさい、ミネルヴァ」
2人のやり取りが聞こえ、お頭は皮肉に笑った。肩越しに仰ぎ見るように、2人連れを見る。
「ミネルヴァね。ならもうひとりの名前はもしかして、ロクシアスって云うんじゃないかい」
「!」
どうやら女の方があからさまに動揺して見せた。お頭はさらに皮肉に笑いながら、言葉を続ける。
「よりにもよって、父皇帝の侵略を止められなかったご兄妹の登場かい。第一皇子ロクシアス、第一皇女ミネルヴァ」
その言葉にはさすがのドゥマも仰天した。再び腰の剣に手をかける。
するとびゅっという速度でキセルが飛んだ。
「いちいち過敏に反応するんじゃないよ、うっとうしい!」
「へえっ、すいません!」
反射で謝ってしまったが、お頭はそれ以上咎めることはせず、2人の皇族を見つめたままだった。
ふう、とため息をつく。どうしたもんかね、といううつぶやきが聞こえてきて、ドゥマは驚いた。
悩む必要はありません追い返しましょうぜ、と云いたかったが、少し頭を使ってみた。
おそらくこの2人は、そうすればたちまち総督府に駆け込み、本来の身分を明かしてこの場所のことを告げるだろう。追放された皇子皇女と云えど、そこは帝国貴族の思惑が働くに違いない。なにせ帝国皇帝のアルテミシアは日々評判を下げている。その後釜にこの2人を、と云う意見が出てこないとも限らないのだ。
なにせ、アルテミシアにはまだ夫もいなければ子もいない。アルテミシアを廃し、この2人のどちらかが帝国皇帝になった後……。そこまで考えてドゥマはぞっと沈黙した。お頭も悩むはずだ、と出来るだけ気配を消した。
くすり、と艶やかな笑声が響く。お頭の笑い声だ。無造作にフードを取り払った。
「何を、無礼なっ」
現れたのは、赤い髪をしたうつくしい女の顔だった。ただし姫君、という印象は薄い。そうと云うには意思の力があふれており、そして凛々しいのだ。女は腰に手をかける。
が、隣にいた男がその手を抑え、男は自分からフードを取り去った。そして現れたのもうつくしい男ではある。穏やかで優しげな男ではあるが、どこか油断ならない人物、とドゥマは見た。
それは敵対帝国の皇子という偏見がもたらしたものかもしれないが、どこかスッと芯が通った印象があるのだ。いや、そうではない。目的のためならば手段をも選ばない、そんな印象なのだ。もっとも皇子というのであれば、それが普通かもしれないが。
共に現れた二つの美貌に揺らぐことなく、お頭は冷めた眼差しで2人を検分する。そして呟いた。
「決めた。判定は竜の奴らにしてもらうことにしよう」
「りゅう?」
いぶかしげに告げたのは女の方で、男はちかりと瞳を光らせた。
もちろんその様子を見届けたお頭は、スッと目を細める。
男と女が見つめ合う。
だが甘やかなものは決してなく、静かに探り合う眼差しだった。
最初に視線をそらしたのは男の方だ。
ふっと微笑を閃かせ、お頭は指をパチリと鳴らした。すると屈強な男どもが現れる。
「真珠一粒のお買い上げ、まことにありがとうございます」
皮肉の利いた声音でお頭は告げ、2人連れは男たちに連れ去られていった。
ぬぐいきれない不安があるドゥマは、恐る恐る口を出した。
「いいんですかい? やつらを竜の親分に引き渡すようなことをしても。お嬢が怒るかもしれませんぜ」
「あれきり連絡をよこさない奴らの機嫌なんざ、知らないね」
そういったお頭は、まるで少女のように拗ねているのだ。
だがすぐに自らを取り戻して、慎重に告げた。
「たとえそうだとしても、竜の親分に引き渡すしかあたしらには思いつかない。情けない限りだがね。親分の手に余るような存在なら、それはあたしらの手にも余るってことさ」
それよりもあの2人の足取りを追ってきな。鋭くお頭は命令を下した。
「このギルドに入って数時間経っても戻らなければ攻め込め、という命令を下されていちゃたまらないからね。万が一のために、引き払う準備もしておくんだよ」
「へいっ。至急、」
「云っとくが、おまえみたいなでか物を調査に行かせるんじゃないよ。目立たないように子供を使いな。いいね!」
じゃあ、あたしゃいつもの昼寝に入るから。
そう続けて、からりと下駄を脱ぎ捨てて自室に入った。その姿が消えるまでずっと頭を下げて、ドゥマは見習いの子供たちを探しに走ったのだった。このあたりが、永遠の№2と云われるゆえんである。