遺跡

    魔女と別れる際、簡単に遺跡の動かし方を教わった。
    複雑なものは教わることが出来なかったが、それでもドワーフと接触することは出来る。

    かつて魔女と2人訪れた場所に、今度はひとりで立つ。連れの男女は、少し離れた位置からアルセイドを見守っていた。確か、もはや血を捧げる必要はないと云っていたか。他とは区別が難しい、その石の上に指を躍らせる。そうして。

    『やれ、せわしいことよの』

    半透明のドワーフが現れた。驚きの声を上げる男女に構わず、アルセイドはその前に片膝をついた。

    「忙しいところ、呼び出して済まない。魔法使いの住む場所を俺にも教えてくれないか」
    『ほ? 魔法使いの住む場所は確かに竜族の奥方に教えたぞい』
    「それが」

    あれから起こったことを、自分を落ち着かせながら順序立てて話していく。ドワーフは顎ひげをときながらそれを聞いていた。やがて魔法使いが魔女を強制的に眠らせたらしいところに至ると、眉をあげるという反応を示してみたが、ドワーフは落ち着いたままだ。反応の乏しさに疑問を覚えながら、やがて、話し終えたアルセイドに、問いかけの眼差しを向けてきた。

    『ひとつ、訊いてもいいかのう?』
    「なんだ」
    『おぬしの目的はスティグマの和であろう? ならばエルフの住む場所ではなく魔法使いの居場所を聞くのはどういう理由かの』

    それは今、話したばかりのはずだった。いぶかしく見返すと、厳しい眼差しを据えられていることに気付く。自然、身が引き締まった。顎ひげからゆっくりと手を話し、ドワーフはトン、と、持っていた杖で地面をたたく。

    『まさか、奥方を助けたいと云うのではあるまいな』
    「……その、まさかだ」

    そう答えることは愚か者だとと判断されることだと。それは問いかけの調子から、よくわかっていた。
    だが偽ることは出来なかった。それはわざわざ現れてくれたドワーフに対する無礼に当たるからだ。

    口にしながら、なにをしているのだろう、という自問が芽生える。
    そう、たしかに、魔女の眠りはありがたいことなのだ。セレネにかけられた魔法が消滅する、それが動かせない事実だとしても、それが遅れれば遅れるほど、こちらには都合がよい。ガイアとセレネをつなぐ橋も出来てない、セレネに住む人々はガイアへの移住を想定にも入れていない、それを導けるはずの帝国皇帝は義務を放棄し、無謀なる賭けに、このセレネ全土を侵略し今の生活を続けようという行動に出ている。人々はそのために国を奪われ、レジスタンスとなって抵抗する者もいる。

    そのはざまで、アルセイドはスティグマの和を成すと定めたのではなかったか。

    震えるような息を吐き出して、崩れ落ちるようにその場に座り込んでいた。その頭にドワーフが触れる。先程までの厳しさとは裏腹に、その眼差しは温かく優しい。

    『そなた、疲れておるのじゃな。さもあらん、このセレネのすべてを背負っているに等しいからの』

    そう云いながらドワーフの眼差しは、アルセイド越しに離れて立つ男女に向けられる。
    厳しさを取り戻したまなざしに、アルセイドが驚いた。

    『お主らは、そうやって人ごとのように構えるのじゃな。おまえたちよりも年下の若者が道を違えようとも』
    「お言葉ですが」

    凛と響く声は、シーナのものだ。
    きっと険しい表情をしているに違いない、そんなことをうかがわせる声音だった。

    「わたくしどもはなにも知らないのです。それなのに非難される覚えは」
    『無知は言い訳にならぬ。いや? ここにこやつと共に来ているという時点で、ある程度までは知っておるのだろう。それなのに傍観者であり続けるわけじゃ。セレネの魔法の消滅は、人類の破滅を意味する。それなのに人類であるそなたらはそうして、こやつが道を違えることを平然と見逃すわけじゃ』

    醜いの、と、ドワーフは嘲りの言葉を続け、代わりに今度は男が反論した。

    「だが、にわかに常識と違えることを云われて信じられるものがいるはずがないだろ。そもそも竜族だの、エルフだの」
    『ならば死ぬがよい。我らは一向に構わぬ』
    「!」
    『このまま死の世界に移り変わるセレネにしがみつき、あたら命を散らすがよい。我らは死なぬ故、それが最も簡単な方法じゃ』
    「……待ってくれ、」
    『長針。そなた、なぜこやつらを信頼するのじゃ。奥方を助けるがために来たと知った時には愚かと感じたがの、こやつらを信頼する方が愚かじゃぞ。なにせ、自分自身の問題であるはずなのに、他人がどうにかしてくれると思っておる。知らないから、常識にはないから。だからなにをしても、なにを云っても許されると思っておる。おぬしはまだ、こやつらより年若い存在であるのにな』

    アルセイドは地面を見つめていた。草が生えて、風に揺れている。けれどそれは仮初の大地なのだ。
    本来のルナには植物など生えない。人間が好ましく思うものは数少ない。なにより生きていけない世界だ。
    それでもそんな世界に生きてきた生き物にしてみれば、いまの世界は住みにくい世界でしかないだろう。好ましからざる世界だろう。

    「信用だの、信頼だの」

    その言葉を口に出しながら、唇は笑みを浮かべていた。
    愉快なわけではない。むしろ負け犬の笑いに似ていると感じていた。

    「そんなうつくしい言葉は俺の意識にはないよ。信頼という言葉に値するとしたら、それは魔女だ。俺の命を助け、導き、そして何より俺自身を理解し、目的に共感してくれたあの存在こそ、俺は信頼している。あの存在しか、俺は信頼していない」
    『ほう?』
    「だがな、信じていなくても、――スティグマの和は成さなければならないことだ。人は、このセレネから去らなければならない。だからする。それだけのことだ」
    「それは、わたしたちを仲間として認めていないということですか」

    背後から響く声に、皮肉に笑った。振り返ることもなく、応える。

    「おまえの思うようには、望むような形では信じていない。元帝国兵よ、俺はお前たちに家族を殺された」
    「っ」
    「街を滅ぼされた。親しい仲間も殺された。それでなおも、自分の満足する形での信頼を求めるのか。おまえたちは、」

    振り返りざまに、シーナとアイルに怒鳴る。

    「どこまで俺から奪えば気が済む!」

    シーナとアイル、そしてシュナール老は帝国兵として、帝国の侵略に参加していたのだと云う。そして仲間とみなしていたミカド・ヒロユキが変心したがために、その心を変えるためにレジスタンスに参加しているのだと云う。美しい話だ。涙が出るほど、……馬鹿馬鹿しい。

    だがそれならばなぜ、帝国兵であった時代に侵略を止めることをしなかったのだ。
    ミカド・ヒロユキが変心した。それがどうした?

    その前から帝国は、人々の穏やかな生活を奪ってきたのではなかったのか。その命を下した皇帝を正すこともせず、不当に国を奪われた人々の抵抗運動に便乗して、立ち向かうことがミカド・ヒロユキへの友情とでも思っているのか。

    ――反吐が出る。

    2人の男女は彫像のように立ち尽くしたままだった。醒めた眼差しでその2人を見つめ、ドワーフに向き直った。悠然とした様子を崩さないドワーフは、アルセイドの言葉を聞いていたようだった。目を伏せて、アルセイドは呟くように問う。

    「……魔女に、危険の可能際は?」
    『おそらく大丈夫であろうよ。魔法使いと魔女、竜族の奥方は古くからの友人と聞いている。それに正直なところ、わしらにしてみても、時間稼ぎはありがたいものでな。死ねばよいと思うこともあるが、いざ地上に出ていちばんの仕事が人類の死体処理というのはごめんこうむりたいものじゃよ』
    「そう、努める。だから、エルフが住んでいる場所を教えてくれ。俺が代わりに、エルフに交渉する」
    『大丈夫かの』

    アルセイドは笑って見せた。ここには鏡がない。
    だからどんな笑顔になっているのか分からなかったが、せめて、の言葉を告げる。

    「先程は悪かった。確かに、俺は魔女に甘えていたんだ。でも」

    まぶたを閉じて、あの心を定めた瞬間を思い出した。

    「スティグマの和を成すと決めたのは俺自身なんだ。魔女自身を取り戻すより、そちらを優先させることにする」
    『……よくぞ、云ったの』

    ドワーフはようやく杖をひとつの方向に向けて伸ばした。こちらの方角に。短い言葉に、視線を動かす。

    『ひたすら進み続けるがよい。なに、それほど遠くはない。なにせ、先の管理者も歩んだ道のりだからの』
    「な、に?」
    『ではな、長針。次は橋が出来た頃にお会いしよう。やれやれ、時間を消費してしまったぞい』

    そうしてドワーフの姿はかき消えた。

    アルセイドは立ち上がり、2人の元帝国兵を見つめた。思いの外、落ち着いた眼差しが返ってくる。
    それでいい。

    唇の端に笑みを浮かべ歩き始めると、ざっと足音を立てて2人が続いた。
    それでもいい。アルセイドは心の内で呟いていた。

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