茶道部のおもてなし

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    1-(4)

    「三年C組、部長の岸本若菜です」
    「三年B組、高橋翔太です」
    「三年A組、高橋隼人です」

     初めて会う三人は、次々と名乗りをあげて「ようこそ茶道部へっ」と言った。声が見事にそろっている。その勢いに押されて、乃梨子も「中村乃梨子です」と名乗り返したが、いまいち状況がわからない。「こんなところで立ち話も微妙ですから」と青年に言われて、靴を脱いでしまったから、この場を立ち去ることもできない。

     いま、乃梨子が座っている部屋は、畳が敷き詰められた和室だ。

     ふたつの部屋をふすまが区切っていて、奥の部屋には床の間がある。乃梨子たちがぐるりと車座になって座っている部屋は、ふすまの手前側にある部屋だ。座卓があるし、六人が座ると少々手狭に感じられる部屋だが、乃梨子を囲む人間は気にした様子を見せない。

    (失敗したかも)

     せめて説明をして欲しくて、乃梨子は結衣を見た。視線に気づいてくれた結衣は、こほんと咳払いをする。「先輩がた」と少々気取った声で呼びかけた。

    「乃梨子ちゃんは今日、この学園に転入してきたばかりで右も左もわからない状態なんです。入部希望者でもありません。ですから、基本的な説明からお願いします」

     結衣がそう言うと、三人は軽く顔を見合わせた。

     ややして、苦笑を浮かべた若菜が、申し訳なさそうに乃梨子に話しかけてくる。

    「ごめんね、中村さん。状況の説明をしようと思うんだけど、お時間いただけるかな」
    「あ、はい。大丈夫です」

     思いがけないほど丁寧な物言いに、乃梨子は背筋を伸ばして答えた。お時間いただけるかな、なんて、初めて言われる言葉だ。一人前扱いされたようで、ちょっと嬉しい。

     若菜はゆったりと微笑んだ。

    「まず、すでにわかってると思うけれど、ここが茶道部の部室です。部員は現在、五名。週に一度、水曜日に、こちらにいらっしゃるましろさまから茶道を教わっています。今日は月曜日だけど、始業式と部活動オリエンテーションがあるから集まったの」

     ましろさまと告げたとき、若菜は獣耳の青年を右手で示した。

    (ましろさま)

     青年に視線を向けて、軽く微笑まれた乃梨子は思わず会釈してしまった。反射的に動いてしまったが、あれ、という不審感が生まれる。ましろさま。名前なんだろうが、一般的ではない名前だ。ニックネームなんだろうか。でも茶道の先生をニックネームで呼ぶなんて変な感じだ。そもそも獣耳について誰も気にならないんだろうか、と首を捻っていると、「ま、うさんくさいよな」と軽い調子で男子生徒が言葉を挟んだ。その男子生徒とよく似た顔立ちの、もう一人の男子生徒が、「隼人、ちゃかさないの」と短くたしなめる。

     若菜も隼人と呼ばれた男子生徒を軽く睨んで、乃梨子に向き直った。

    「あのね。信じられないと思うけれど、ましろさまは人間じゃないの」
    「……はっ?」
    (にんげんじゃない?)

     そう言われて、乃梨子はまじまじと若菜を見返した。ずいぶん疑わしい眼差しになっていたと思うが、若菜は微笑んだまま揺らぎもしない。戸惑い、今度は結衣を見た。結衣は神妙な表情を浮かべている。二人の男子生徒もだ。曖昧な表情で乃梨子を見ている。

     そうして最後に、ましろさまと呼ばれた青年を見たら、獣耳がぺたりと折れていた。ぎくりとたじろいで、でも見覚えのある感情表現に、乃梨子は苦笑を浮かべてしまった。

     初めてましろさまと会ったとき、動く獣耳に驚いた事実を思い出したのだ。

     そうして、この人は人間ではないのかもしれない、と考えついた事実まで思い出した。どうしよう。現実的ではないと否定した推測を、ここで他人から口に出されるなんて。

     ため息をついた若菜が「ましろさま」と青年を呼んだ。

    「シャンとしてください。なんだか、あなたをいじめているような気分になります」
    「す、すまぬ。しかし耳を制御しようにもなかなか難しくてな」
    「たしかにそう、うかがってますが、彼女にまだ説明している段階でしょう。いまから動揺してどうするんですか。あやかしらしく、ふてぶてしく構えててください」
    「そなたは誤解している。あやかしというものはだな、決してふてぶてしい生き物では」
    「ま・し・ろ・さ・ま?」
    「……すまぬ」

     にっこりとした笑顔で青年、ましろさまを威圧した若菜は、再び乃梨子に向き直った。

     元の穏やかさを取り戻した若菜は、乃梨子を見て軽く笑う。

    「信じられないかもしれない。ううん、ましろさまがあやかしだなんてこと、いまは信じなくてもいいわ。ただ、ほとんどの人にましろさまは見えないってこと、わかって」
    「見えない?」

     ふたたび、乃梨子は信じられない事実を教えられた。

    (見えないって)

     ましろさまを見つめる。はっきりと見えている。さっき、体を支えてもらったから、実態を伴った人だと確認もできている。獣耳があるとはいえ、こんなにはっきりと存在している人を見ることができないなんて、そんなことがあるのだろうか。

     ため息をついて、こめかみに指を当てる。ぐりぐりと回したが、困惑は消えない。

     ただ、思い出した言葉があって、乃梨子は結衣を見た。

    「奈元さん。茶道部に入部するには特別な資格が必要なんだって言ってたよね。それってもしかして、このことに関係しているの?」

     結衣はうなずいた。

    「そうだよ、乃梨子ちゃん。その資格は、ましろさまを見ることができるかどうか、というものなの。だってましろさまから茶道を教わるんだもの、そもそも茶道を教えてくれる人が見えないと教わることもできないじゃない?」
    「それは、そうなんだけど」

     若菜と結衣、二人の話す内容は、筋が通っているように見える。

     でも前提がおかしい。どうしてましろさまという存在に茶道を教わってるのか。そもそも、その見えない存在に、茶道を教わらなければ済む話ではないだろうか。

     なぜ、普通の人、いわゆる茶道の家元とかそういう人が、茶道を教えにきてくれないんだろうと乃梨子は考えた。ただ、その疑問はましろさまを否定する内容だから、さすがに本人を前にして、口には出すわけにはいかない。獣耳はまだぺたりと折れたままなのだ。

     ひとまず、なにか事情があるのだと考えることにして、乃梨子は気分を切り替えた。

    「お話は、わかりました」

     乃梨子がそういうと、みんなの表情が明るくなる。ましろさまの獣耳もピンと立った。

    「ましろさまを秘密にしておけばいいんですね。大丈夫です、言いふらしたりしません。これから偶然、ましろさまを校内で見かけることがあっても知らんぷりします。茶道部の資格についてももちろん、」
    「待って待って待って、乃梨子ちゃん!」

     つらつらと言葉を続ければ、結衣があわてた調子で言葉をさえぎる。

     首をかしげると、苦笑した若菜が口をひらいた。

    「ごめんね、中村さん。まだ続きがあるの。せっかくだから茶道部に入りませんか?」
    「え?」

     ぱちぱちと目をまたたく。遅れて理解がやってきた。結衣が身を乗り出す。

    「ましろさまを見ることができるんだもの。ましろさまから茶道を教わる資格はあるわけだから、この資格を活かさないともったいないよ! あ、それとも他に入りたい部活動がある? だったら海斗みたいにかけもちにしてもいいと思うっ」
    「ましろさまが持ってくるお菓子は絶品だしな。他では食べられない美味しさだ」
    「部費は月に五百円もらうことになるけど、他の部活動よりお得だと思うよ」

     ずっと黙っていた男子生徒たちも、意気込んだ様子で次々と勧誘を始める。みんなの勢いに押された乃梨子が言葉を失っていると、ぱんぱんとましろさまが軽い調子で手を叩く。そうしてみんなの注目を集めたましろさまはにっこりと笑った。

    「はい、そこまで。そなたたち、今日出会ったばかりの娘に、いきなり結果を求めてはならぬよ。とりあえず今日のところは、みなで茶を楽しもうではないか。もちろん季節の茶菓子も持ってきておるからな」

     そう言いながらましろさまは着物の袖から風呂敷包みを取り出した。とても袖におさまっていたとは思えない大きさの包みで、風呂敷をほどけば今度は竹の皮の包みがおさまっている。しゅるりと竹の紐がとかれて、あらわになった中身は、ピンク色の小花が散りばめられた、かわいらしい生菓子だった。

    (うわあ)

    「銘は『桜花』--この学園の桜はもう散っているが、まだ季節だからな」

     桜花。確かにその名前がピッタリと当てはまる可憐な和菓子だ。

    「今日はわたしが茶を点てよう。新しい出会いを祝して」

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