茶道部のおもてなし

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    「茶道部に入った?」

     乃梨子が帰宅してからまもなく、母親も帰宅してきて夕食の支度を始めた。

     なんとなく気分がソワソワしていたから、その隣に立って手伝う。野菜を洗い始めた乃梨子に「あら、ありがと」と言いながら驚いた様子の母親に、茶道部に入部した事実を伝えれば、母親はさらに驚いたようだった。

    「意外な選択ねえ。乃梨子、茶道に興味があったの?」
    「なかったけど、体験させてもらったの。お菓子、美味しかった」
    「わかるわ。生菓子と抹茶の組み合わせは最高よね。最近食べてないけど」
    「それでね、帛紗ばさみとか、いろんな道具を買わなくちゃいけないんだけど」

     おそるおそる口にした言葉は、あっさりとした態度で受け流された。

    「ああ、いいわよ。あとでお金を渡すわ。まあ、おばあちゃんの荷物の中にもあるでしょうけど、こういう道具は自分が好きなものを買ったほうがいいものね」
    「おばあちゃん、茶道してたの?」

     あの荷物の山を探るのはちょっとゾッとしないな、と思いながら訊けば、「そうよお」と味噌をだし汁にときながらの答えが返ってくる。

    「茶器を購入して家でも点ててたわね。茶碗もいくつか、いいものを購入してたんじゃないかしら。たぶん探せばあると思うけど」

     へえ、と思いながら、乃梨子はゆっくりとした手つきでキャベツの千切りを終える。大皿に移せば、母親が湯せんで温めたハンバーグをその上にのせた。「手抜きで悪いわね」と母親は言ってきたが、乃梨子は首を振った。ハンバーグは大好物だし、そもそも母親は新しい職場でがんばっているのだ。わがままを言ってはいけない。

     ちょうどごはんが炊きあがり、玉ねぎとわかめの味噌汁もできた。作り置きのにんじんしりしりも皿にのせて、二人で向かい合って夕食をはじめる。

    「じゃあ、新しい学校になじめそうな感じなのね?」

     しばらく無言が続いていたが、母親がポツリと言ってきた。

     たぶん母親が今日に限って早く帰宅した理由は、その質問をしたかったからなんだろう。乃梨子はハンバーグを飲み込んで、「まあ、大丈夫なんじゃないかな」と返した。あいまいな答えだったからだろうか、母親は「なによその答え」と言って苦笑する。

    「だって、まだ始業式が終わったばかりなんだもの。せめて一週間たってから訊いてよ」
    「ちゃっかり茶道部に入ってきたくせにねえ」
    「しかたないじゃん。美味しかったんだもの」
    「わかるけどね。ああ、お母さんも和菓子を食べたくなってきたなあ。明日、抹茶と一緒に買ってこようかしら。茶道セット、探しておいてくれる?」
    「まだ茶道具の名前、覚えきれてないからむり」
    「いやあねえ。茶せんと茶杓となつめと茶碗くらい、すぐに覚えなさいよ」
    「懐紙入れを覚えてるだけ、上出来だと思って」

     母親との会話はポンポンとはずむ。この感じ、ひさしぶりだな、と、乃梨子は感じた。

     この家に引っ越してきてから、乃梨子は一人で夕食を食べるときが増えた。

     母親の仕事が始まったからしかたないとはいえ、さびしかったんだな、と気づく。わざわざ口に出して母親を困らせたりはしない。楽しい時間に水をさすものではないだろう。

     そうして夕食を終えて、お風呂に入った。リビングで持ち帰った仕事をしている母親をに「おやすみ」と声をかけて、二階に上がる。まだよそよそしい感じがある自室に入って、乃梨子は肩から力を抜いた。ぽすんとベッドに座って、ちょっとだけぼうっとする。

     なんだか、とても濃い一日だった。

     茶道部に入部した事実だけを振り返っても、なかなか濃いと感じるのに、その上さらに茶道を教える存在は、獣耳がある青年なのだ。ましろさま。人間ではない存在に、まさか茶道を教わることになるなんて、朝、家を出た時点では思いもしなかった。

    (ましろさまは他の人には見えない、か)

     腕を伸ばして、学習机の上に置いているタブレットを引き寄せる。検索画面を呼び出して、「あやかし」「人には見えない」と打ち込んでみた。すると、いろんな人が書いた物語が検索画面に呼び出される。ましろさまにつながる結果はどこにもない。

     まあ、そうだよねえ、と乃梨子は考えた。「あやかし」と「人には見えない」という言葉を打ち込んだら、ネット世界ではファンタジーの物語が出てくるに決まってる。

     なのに、乃梨子の生活では、れっきとした現実として関わってくるのだから、事実はネットより奇なりだ。

     さらに思いついて、タブレットに「茶道」と打ち込んだら、動画が出てきた。好奇心でクリックしてみたところ、着物姿の女性がましろさまと同じようにお茶を点てている。

     でもましろさまのような、神々しさは感じられないから、動画再生を止めてしまった。

    (素敵だったなあ)

     タブレットを再び机の上に放り出して、乃梨子はゴロンとベッドに横になった。

     あやかしだというましろさま。ほとんどの人には見えない存在であるにもかかわらず、なぜか乃梨子の通う学校の茶道部で、茶道を生徒たちに教えている。

    (ふしぎ)

     なにか事情があるんだろうと考えて、今日はこまかく追及しなかったけれど、いま、一人になって落ち着けば、やっぱり、たくさんの疑問が出てくる。

     どうしてあやかしが茶道を教えてくれるのか。他の生徒たちが茶道部に入りたいと思ったときはどうしているのか。そもそも、先生たちは茶道部を不審に思っていないのか。

     同じ電車に乗って途中まで一緒に帰宅してきた結衣に訊けばよかったのかもしれない。でも他に、茶道部とは関係ない人がたくさんいる場所ではききづらかった。そもそも結衣が乃梨子の質問に答えられるかどうか、それはわからないし。

     なにより、茶道部に入部するにあたって、必要な道具を買いそろえる必要があると教えられ、そちらに意識が集中していたのだ。七千円くらい必要かも、と言われて、動揺もしていた。お小遣いでは足りない。母親にお願いするしかない、ダメと言われたらどうしよう、と思いつめていただけに、さっき、あっさり許されて安心した。

     もし大丈夫なら、日曜日、お出かけしよう。どこで道具を買うのか、教えてあげる。

     結衣から誘われて、そう、約束をしていたのだ。

     この土地にやってきて、はじめての「友達」とお出かけだ。今日はまだ月曜日なのに、早くも週末の予定にワクワクしながら乃梨子は眠りについた。

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