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新しい学校での新しい生活は、まあまあ楽しい。
普通の授業が始まって、心配だった授業にはなんとかついていける。体育は相変わらず苦手だけど、大好きな歴史の授業は面白い先生だったから、余計に嬉しかった。
「ようやくお昼だ。お腹空いたよあたしゃ」
化学の授業が終わったときに、鈴木茉奈がそういった。
ショートヘアがよく似合っている彼女は、もともと結衣と仲良くしていた女の子だ。あっけらかんと話しかけてきてくれた彼女は、吹奏楽部に所属している。毎日練習が大変なんだと嬉しそうに話していた。
「乃梨子ちゃんは学食だっけ。じゃあ、あたしたちはお弁当取りに行ってくるね。席も取っておくから、一緒に学食で食べよう」
結衣と茉奈がそう言って教室に戻っていくのを見送って、乃梨子は学食に走った。この学園の学食はなかなか評判らしく、けっこう混んでいる。事実、昨日食べたカレーライスは美味しかったなあ、と思い出しながら、学食のチケット売り場に並んだ乃梨子は、どれを食べようかと悩んだ。いっそ日替わり定食にしたほうがいいかもしれない。
「あれ、中村さん?」
だからそう呼びかけられたとき、ちょっと反応が遅れた。
あわててふりかえれば、茶道部で見かけた三年の男子生徒が後ろに並んでいた。名前が思い出せないけれど、顔に見覚えがある。どう呼び掛ければいいのか、悩んでいると、その困惑が伝わったのか、相手は軽く笑って「高橋翔太です」と名乗ってくれた。
「こんにちは。高橋先輩も学食派なんですね」
「いや、今日は母親が寝坊してね、弁当がなしになったんだ。だから今日だけ学食派」
おだやかに答えた翔太は、「日替わり定食、おすすめだよ」と教えてくれた。なんだか嬉しくなったから、そのまま日替わり定食を購入する。じきにやってきた定食は、チキン南蛮だった。豪華なメニューだから、翔太にお礼を言っておいた。「どういたしまして」となんだかおかしそうに翔太が応える。そのまま別れて、学食を見渡せば、「乃梨子ちゃん、こっち!」という声が聞こえる。結衣と茉奈がテーブルについて手を振っていた。
「あー、今日の日替わりはチキン南蛮かあ。あたしもそっちにしたらよかった」
茉奈の向かい側に座ると、うらやましそうに茉奈が言う。乃梨子が「一口でいいならあげるよ?」と言うと、茉奈の弁当箱からだし巻き卵が移ってきた。等価交換と決め込んでチキン南蛮をさらった茉奈は「うまっ」としあわせそうに言い放つ。結衣が笑う。
「もー。あたしも食べたくなっちゃったじゃない。乃梨子ちゃん、よかったらあたしも。あたしの鮭の竜田揚げとチキン南蛮、交換して?」
「喜んで。鮭の竜田揚げって、なかなか食べる機会がないから嬉しいよ」
そう言いながら食べてると、「そういえばさっき、翔太先輩と話してた?」と結衣が訊ねる。口の中に食べ物が入っていたから、コックリうなずくと、茉奈がお茶を飲みながら「目立つ先輩だよなあ、相変わらず」と言った。首をかしげると、茉奈が中学一年のとき、図書委員会で一緒だったのだと教えてくれた。高橋翔太はおだやかで頭が良くて格好がいい。だからバレンタインでいろんな女の子からチョコレートをもらっていた、とのこと。
「隼人先輩もモテるけどね」
結衣も教えてくれた。翔太と双子である高橋隼人は、運動神経がよくサッカーで活躍している。明朗快活で格好良く、親切な人だから、やはりバレンタインでは校内のみならず校外の女の子からもチョコレートをもらっていたとのこと。
肩をすくめた茉奈が言う。
「どうしてあの二人が茶道部に入ってるのか、あたしゃふしぎでかなわんよ。岸本先輩と親戚だって聞いてはいるけどねえ」
乃梨子はぎくっとした。どうして茶道部に入ってるのか。それはひとえにましろさまが見えるからだろう。だがそれは、口外してはいけないことだ。思わず結衣を見ると、結衣はのほほんとした様子で応える。
「先輩たちだって人類なんだから、ゆっくりしたいときもあるでしょ。週に一回の活動だけでいいし、なにより癒しスポットなんだよ、茶道部って」
「うーん、でも正座がしんどい上に、茶道の指導が厳しいと噂なんだけどなあ。高橋先輩たち目当てに入部希望した先輩が、体験入部してみたら、あまりにも厳しいから泣く泣く諦めたって聞いたぞ。まあ、茶道部の顧問は学園長だから納得なんだが」
「ええ?」
覚えがない話に、乃梨子は驚いてしまった。茉奈が意外そうに乃梨子を見る。
「知らなかったのか。なのに茶道部入部を決めるとはなかなかにチャレンジャーだな」
「いや、だって、お菓子が美味しかったし、お茶も美味しかったし」
なによりましろさまを中心とした、あの茶道部の雰囲気はとても心地よいものだったし、と本当の入部理由を言いたくなったが、乃梨子はなんとかこらえる。モゴモゴと口ごもる乃梨子を見て、茉奈が「食いしん坊め」と笑った。