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結衣と並んで電車に座ったとき、ほうっと息を吐き出してしまった。
結衣が小さく笑う。
「乃梨子ちゃん、おつかれさま」
「いやいや、奈元さんこそおつかれさま。すごいね、あんなになめらかに動けるなんて」
乃梨子が畳の上での歩きかたを指導されたあと、結衣の指導が始まったのだ。
でもすでに先日、みていた通り、結衣の動きもとてもきれいだ。ましろさまから注意されることはほとんどない。だから今日の部活動の時間のほとんどが、乃梨子への指導になってしまった。茶道をはじめたばかりだから、しかたないとはいえ、ちょっとばかり、申し訳ない気持ちになっている。そう言ったら、「気にしない」と結衣は言ってくれた。
「みんな通ってきた道だよ。むしろあたしのときは、海斗と一緒だったからしんどかったなあ。海斗って、小学生のころから茶道を教わってるの。だから畳の上での振る舞いも、茶道のお点前も身についてるんだよね」
「そうなの? 北原くんって剣道部なんだよね」
「もともと、海斗って和菓子職人になりたいんだよ。大好きなおじいさんが和菓子職人なんだって。で、美味しい和菓子を作るなら、一緒に飲むお茶についても詳しくならなくちゃいけないって言い出して、茶道を教わりはじめたの。で、そのとき、おじさんが出した条件が剣道を学ぶこと。だからいまでも剣道と茶道を教わってるんだよね」
なかなか興味深い過去だ。乃梨子は首をかしげた。
「どうして北原くんのお父さんは、剣道を学ぶことを条件にしたのかな」
「んー、それはあたしも知らない。海斗も教えてくれなかったし……。でも、しぶしぶはじめた剣道だけど、いまは楽しそうにやってるから、いいんじゃないかな。忙しい合間に、和菓子も作ってるし、海斗のそういうところはすごいなあ、って思ってる」
「和菓子って家庭で作れるものなの?」
今日、若菜が点てたお茶と一緒に食べた「菜の花しぐれ」という名前の和菓子を思い出しながら、乃梨子がそういうと、明るく結衣は笑った。
「やだな、乃梨子ちゃん。ぼたもちも家で作るでしょ?」
「あ、そうか。ぼたもちって和菓子だもんね」
「まあ、もちろん海斗が作るお菓子は、もっと手が込んでるけどね。今日、食べたみたいな、しぐれ饅頭や水饅頭も作るし、練り切りも作る。豆大福には苦戦してたかなあ」
「北原くんってすごいんだね……」
お店でも並んでいる和菓子を作る中学二年生男子、って他にはいないのではないか。
そう思いながらつぶやくと、「うん」と結衣はちょっとゆううつそうに応えた。
「おさななじみとしては、ちょっと肩身が狭いよ。うちのお母さん、なにかあると『海斗くんを見習いなさい』っていうんだもの。成績までいいんだ、あいつ」
「あー、それはちょっと気まずいね」
「まあ、お父さんが『結衣は茶道をがんばってるじゃないか。昨年の文化祭、立派だったぞ』ってフォローしてくれるから、まだ救われてる。……そうそう、忘れてた!」
突然、声を張り上げた結衣は、ちょっと緊張した顔で乃梨子をみた。
「五月の連休後、乃梨子ちゃんは半東をすることになるよ」
「はんとう?」
「亭主の、お茶を点てる人の補佐をする人を半東って言うんだ。茶道部はね、文化祭にお茶会をするだけじゃなくて、二ヶ月に一回、お客さまを招いてお茶会をするの。生徒会の役員や先生がお客さまなんだけど、そのお客さまに挨拶する人が半東なのね」
「ええっ?」
結衣の言葉をぽやーんと聞いていたが、最後の言葉で引き戻された。
「挨拶って、何を言えばいいの?」
「亭主は誰々ですとか、床の間に飾ってる掛け軸の名前や花入に生けたお花の名前をお客さまにお知らせするの。他にはお菓子を食べるタイミングをお知らせするかな。だからしっかり、畳の上での作法を学ばないといけないよ!」
「そんなの、できないよー」
今日の部活動の内容を思い出せば、声が自然と頼りなく揺れる。
結衣はキリリとした表情で、グッと親指を立てる。
「ましろさまの指導に従ってたら、できるようになる! みんな通ってきた道だから、大丈夫。わたしだって去年、緊張しながらやったんだからね。あの海斗と一緒に!」
「が、がんばります」
強気で励ます結衣を前にしたら、乃梨子はそう言うしかなかった。
しかしくり返し名前を口にするあたり、結衣の、海斗への感情はなかなか複雑そうだ。
深く追求しないでおこうと思いながら、乃梨子は座席の背もたれに寄りかかった。