茶道部のおもてなし

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     一週間はあっという間に過ぎて、日曜日を迎えた。

     昨夜は雨だったから、どうなるかと思ったけれど、清々しく晴れてくれた。跳ねるようにベッドから起き上がって、パジャマから服を着替える。今日はストライプのブラウスに黒いワンピースを合わせた。洗面所に降りて、洗顔を済ませて日焼け止めをぬる。

    (ちょっと寒いかな)

     あとで白いカーディガンを出そうと考えながらリビングに向かうと、まだパジャマ姿の母親が朝ごはんの支度をしていた。いつもなら着替えを済ませてるのに、と考えながら母親の顔を見ると、鼻のあたりがちょっと赤い。

    「母さん風邪ひいたの? 大丈夫?」
    「薬も飲んだから、大丈夫よ~。でも眠いから今日は一日寝てるわ」

     そう言いながら、トースターからトーストを取り出して皿にのせる。皿を受け取りながら「じゃあ、もう寝てなよ」と言った。

     この一週間、和菓子を楽しむこともできたが、基本的に母親は忙しく動いていた。だから疲れがたまってるんだろうと考えて「洗い物はしておくから」と付け加えておいた。母親は苦笑して、ひらひらと手のひらを振りながら、一階の自室に向かう。

     しんと静かになったから、テレビをつけようかな、と思いついた。

     でも休み始めた母親を起こしちゃいけないから、我慢して、朝食を終える。汚れた皿も手早く洗って、自室に上がった。白いカーディガンを取り出して、黒いポシェットに財布やハンカチをつめこんだ。

     タブレットで今日の天気を確認して、時間になったから家を出る。母親に軽く声をかけたが、返事はない。本当に眠ってしまったのだろう。心配だが、約束を取りやめるほうが心配をかけるので、このまま結衣との待ち合わせ場所に向かう。代わりに、できるだけ早くに、レトルトの粥でも買って帰宅しようと考えた。

     待ち合わせ場所は、繁華街にある百貨店の時計台の前だ。

     電車から降りて早歩きで向かえば、すでに結衣がいた。袖にギャザーを寄せた白いブラウスに、ギンガムチェックのキャミワンピースを合わせている。かわいらしくもさわやかな服装が、よく似合っている。「奈元さん」と呼びかければ、ぱっと振り向いた。

    「おはよう! その服、かわいいね。似合ってる!」

     そうして開口一番に褒めてくるものだから、乃梨子は苦笑した。

    「奈元さんも。ガーリーな服が似合うって羨ましいなあ」
    「へへ、ありがとう。じゃ、さっそく行こっか!」

     そう言いながら、百貨店のガラス扉を開く。へえ、と、ちょっと驚いた。茶道の道具って百貨店で扱ってるんだ。迷いのない足取りで進む結衣についていきながら、エスカレーターに乗る。上下に距離を置いて並んだら、乃梨子を見下ろした結衣が話しかけてくる。

    「茶道具屋さんはね、七階にあるの。時計とか美術品とか置いてある階の隅っこに茶道具コーナーがあるんだ。ちょっと高級感がある階だよ」
    「そうだよね。わたし、いままで七階に止まったことなんてないよ。いつも五階の本屋さんとか十階のレストランとか、そんなところばかり」
    「だよね、実はあたしも。だからはじめて海斗に連れられて行ったときは、ドキドキしたなあ。うっかりなにかに触って壊しちゃったら、弁償ものかと思ったもの」
    「やだな、そう言われたらわたしもドキドキしちゃうじゃない」
    「あはは、ごめんごめん。でね、この百貨店の茶道具コーナーの担当の人がいい人なんだ。学生相手でも丁寧に考えてくれる。だからまず、こっちに来たんだよね」

     ということは、他にも茶道具専門店はあるのか。

    (新鮮だなあ)

     お財布の中には、昨日、母親から渡された一万円が入っている。そんな金額なんて、お正月以外に縁がない。ましてやそんな大金で、茶道具を買うのだ。

    (ちょっと、新世界って感じがする)

     結衣の話を聞いているうちに、七階に着いた。スイスイと、部活動の時とはちがう動きで結衣は百貨店のなかを歩いていく。そうして知った顔を見つけたのか、「吉本さん!」と呼びかけた。ちょうど店頭を歩いていたその店員は、振り返り、結衣を見て笑った。

    「こんにちは。今日は懐紙を買いにいらしたんですか」
    「いいえ。こちらの新入部員さんの道具を買いに来たんです」

     吉本の黒い瞳が、乃梨子を見た。ぼうっと乃梨子は吉本に見とれる。きれいなひとだなあ。吉本は艶やかな黒い髪を結い上げ、隙なく化粧をしている。化粧品売り場にいる人みたいだ、と考えてると、ニコッとやわらかく微笑みかけられた。あわてて会釈した。

    「とりあえず、茶道の持ち物セットが欲しいんです。ありますか?」
    「はい。こちらにございますよ」

     ハキハキと結衣が訊ねると、吉本は顎を引いて、商品が並んでいる棚を示した。

     帛紗ばさみや開かれた状態の扇子がいくつも並んでいる。うわあ、と思わず声が出た。思った以上に、たくさんの種類が並んでいる。結衣や若菜が持っていたものと同じデザインのものはひとつもない。かぶる心配をしていたけれど、問題なさそうだ。

    「この春から茶道を始められるお客さまのために、帛紗ばさみのセットもご用意しています。扇子、ふくさ、古帛紗、懐紙、菓子切りの五点ですね。帛紗ばさみと扇子は、三つのデザインから選ぶことができるようになっています。帛紗ばさみと扇子はおそろいのデザインを使いたいとおっしゃって、こちらのセットを選ぶお客さまも多いですよ」
    「だって。乃梨子ちゃん、どうする?」
    「ちょっと待って。ええと、そのセットのデザインを見ることはできますか」
    「はい、こちらにございます」

     そう言いながら吉本は、棚の一角を示してくれた。

     三つ並んでいる帛紗ばさみと扇子を見て、「うーん」と軽くうなった。

     お得なセットだとわかっているけれど、ちょっと好みじゃない。気づいた結衣が「ちなみにわたしは、セットでは買わなかった! 若菜先輩もだよ」と言い放てば、吉本が苦笑する。

    「そうですね。やっぱり好みの道具を使うのが上達の秘訣ですし」

     結衣と吉本の言葉に背中を押される心地で、乃梨子は帛紗ばさみを見て回った。ひとつひとつ見て回るうちに、気になった帛紗ばさみを見つけた。

     それは薄黄色の帛紗ばさみだ。

     とても上品な印象を与える帛紗ばさみで、金色と朱色、水色と白色の糸で、つると小花が刺繍されている。「どうぞ手に取ってごらんください」と言われたから、おそるおそる持ち上げた。軽い。そろそろとなかを開くと、しきりがある。ここに菓子切りを入れるのかな、と考えながら、ちょっと濃い黄色の格子模様のしきりをみていると「お菓子を食べたあとの懐紙を入れても大丈夫なように、防水加工されています」と吉本が教えてくれた。

     へえ、よく考えられてるんだなあ、と感心していたら、結衣がクスッと笑った。

    「お気に入りの帛紗ばさみ、見つけたみたいだね乃梨子ちゃん」

    「うん」とうなずいて、今度は扇子を見てまわる。これまたいろんな種類の扇子があったけれど、帛紗ばさみの色に合わせて、黄系統の扇子がいいな、という希望が出てきた。

     そうしてみて回ったら、かわいい扇子を見つけた。赤い玉で遊んでいる黒猫が描かれた扇子なのだ。これがいいと振り返れば、吉本も結衣もにこやかに乃梨子を見ていた。

     けれど、ちょこちょこっと結衣が近づいて、こそっと話しかける。

    「他にも茶道具専門店があるけど、ここで決めちゃう?」

     あ、そうかと気づいた。他にもお店、あるんだ。

     ただ、乃梨子はもう、ここで決めたいと思ってしまった。それくらい、いま、選んだ帛紗ばさみと扇子を気に入ってしまったし、値札を見て費用も暗算したところ、予算内に余裕で収まる。他に必要な道具も買えそうだし、と考えて、うなずいた。

    「ここで決めてもいいかな?」

     それでも不安になってそう言うと、「いいんじゃない?」と結衣は軽い調子で言った。

    「実はあたしもここでそろえちゃったから! 大丈夫だよ、と言っておく」

     そうなのか。いっきに安心して、乃梨子は購入を決めた。

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