来訪者

くつくつと沸騰した釜から、湯が一杯分すくいとられる。見たこともないカップに入れて、シャカシャカとかき混ぜたものを手渡された。まるで森の緑を切り取ったような茶である。先程食べたお菓子の甘さが口の中に残っているが、くい、とアルセイドは飲みほした。苦い。だが先に食べたお菓子の甘さとまじりあってちょうどよい味わいになっている。

不思議だった。

フィリニア・イストールと名乗ったエルフはまじまじとカップを眺めているアルセイドに微笑みを浮かべる。

「茶の道など知らぬくせに、味わい方だけは一人前だな。魔女が教えてくれたのか?」
「いや。長い間魔女とは逢っていない。魔女は、」

かぐわしい茶の香りにほぐされた心が、一時、暗く沈む。
ぐったりと魔法使いに捕らえられたままの魔女が脳裏によぎった。

「セレネの魔法消滅の進行を遅らせるために、魔法使いに眠らされているから――」
「それは無意味な行為だな」

しゅっと服装の裾をさばいて、フィリニアはこちらを向いた。唖然としてアルセイドは相手を見つめる。

「無意味とは?」
「魔女にかけられた魔法は、竜族が使う理の魔法。ところが、魔法使いが使うのは理の中で生きる精霊の魔法。当然、魔法使いごときでは魔女を押しとどめるなど不可能だろうよ。もっともその事実を知る者は少ないがね」

私は50年前、魔女自身から教わった。その声音から察するものがあり、アルセイドは居住まいを正した。
ふ、とフィリニアは微笑む。

「50年前、魔女が眠るシステムに不具合が生じた。そのため、魔女はひととき、管理者の元に身を寄せることになった。竜族の元に身を寄せようとしていたが、管理者が強く望んだためと聞いている。魔女は竜族の長の奥方、その為、各種族の長は敬意を示すために帝国の管理者の元に集った。そして、当時、エルフの長であった姉は、人類の管理者と出会ってしまった」

恋に落ちたのだよ、とささやくように呟く。アルセイドは、恋? といぶかしげに繰り返した。
人間と異種族であるエルフとの間に恋愛など成立するのか、という疑問があった。だがフィリニアの様子は深刻で、膝の上で握りしめられた拳は震えていた。事実なのだ、と、推察して口をつぐむ。

「姉上はすべてを投げうたれた。長の地位を私に譲り、管理者の元にとどまった。だが姉は病を得て亡くなったらしい。管理者との間に一子をもうけて」
「子供。エルフと人間との両方の血を受け継いだ子供と云うことか。まさかっ」

アルセイドの脳裏に、端正な男の姿が過った。
イストールという、エルフ一族の長の名前をもつ帝国宰相の姿だ。

「そう。その子供は、人類管理者の元で権勢をふるっているようだ。名前はわたしと同じ、フィリニア・イストール。姉はフィレラ、と呼んでいたようだ。ふふ、よりにもよってわたしと同じ名前をつけるとは、姉上はなにを懐かしんでおられたのか……」
「あなたは、その情報を誰から教わったのだ?」
「――他ならぬ、その子供自身に」

フィリニアの眼差しがいっそう悲しみを帯びたものとなる。スッと右手を挙げていた。
それ以上は云わなくていい、と示したつもりだった。エルフと、人間との間に生まれた子供。ここで引き取ることが出来たのならば、いま、帝国皇帝の元にいる理由がない。

おそらくあのイストールは、母親の一族から手痛い拒絶を受けたのだ。
そして皇帝の元に向かった。

「その子供が訪れた時期は?」
「25年前だよ。その後、管理者である父親の元に向かったようだ。薄情な母の一族に幻滅したのだろう。二度とお目にかかりませんとの言葉を残していった。当然の言葉だな」
「あなたは、子供を引き取ろうと主張しなかったのか?」
「した。だが当時のわたしは、一族を捨てた女の弟、という目で見られたものだからね。長と云えど、発言力は低かった」
「あなたが気に病むことではないだろう」

そう云いながらも、謎がひとつ解けたような気分になっているアルセイドである。

それではあのイストールは帝国皇帝の息子なのだ。れっきとした王位継承権がある。だが宰相として動いているということは、あくまでもそれは隠された素性なのだろう。おそらくはアルセイドと同じように、皇帝の血を引きながらもエルフの血をも引いているがゆえに、ひとりの人間として父に仕えることにした。

――エルフは人間よりも寿命が長く、若々しい外見を誇ると云う。おそらくイストールは代替わりなどしていない。ずっと同じ人物が帝国皇帝に仕え続けているのだ。

そして、ついにはルナ統一のために、侵略を始めた。

ぐっと拳を握る。それはなんのためだ。ルナに住み続けるためだ。まさか、とアルセイドは思う。
この侵略、糸を引くのは帝国皇帝ではなく、あのイストールと云う繊弱な男だったのではないか。

「フィリニア・イストールどの」
「何かね、今代の長針よ」
「俺は、スティグマの和を成したい。あなたはその一環となってくれるだろうか」

長は浮かべていた微笑みを深める。

「その前に頼みがある」
「なんだ?」
「一度でいい。甥を抱きしめさせてくれ。あの時かばえなかった甥は、スティグマの和が成されれば居場所を失う。だからこそ」
(ああ)

そうなのだ。スティグマの和が成され、人類と妖精と魔法使いとがガイアに帰還するというのであれば、エルフとドワーフと竜族とがセレネに残り続けると云うのであれば、人類とエルフの血を引くあの男はどちらかの親族と別れなければならない。おそらくは、母の一族と。

手痛い拒絶を受けた屈辱が、イストールの胸にはあるだろう。
だがそれは同じだけの思慕があるからなのだ。

アルセイドは瞑目し、そして開いて告げた。

「はっきりとした約束は出来ない。だが、あなたは忘れていないか。イストールと同じ立場にある存在は他にもいると」
「魔女のことか」
「あいつも愛着のある竜族と別れることになる。それでもスティグマの和を成すことに同意してくれた。ところがあなたの甥は同じ立場であるのに、こうしてセレネ全体を血と争いに巻き込んでいる。その行為は、決して認められるものではないと俺は思う」
「厳しいな、長針。それでも、わたしは望んでしまうのだよ。あの、途方に暮れていた甥を抱きしめたいと。想いはおまえの元にあると伝えてやりたいのだ。なぜなら姉を死に別れて、苦労したに違いないのだから」

アルセイドは複雑に沈黙する。そういう感傷だけで物事を判断してもいいのだろうか。
その時に軽やかな声が響いた。

「よいではないか、アルセイド。逢わせてやることくらい、何とかなるのではないか?」

最初に耳を疑った。次いでは眼を疑った。
長の住居の扉の近くにあるのは、魔法使いに囚われたはずの魔女の姿だった。

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