聖域

しゃああああん。
クリスタルの時計は、ガラスとガラスをこすりあわせたような不可思議な音で時を知らせる。草むらに倒れ伏したまま、アルテミシアはその澄んだ音を聞いていた。その目元は赤く、頬には幾筋も流れた涙の跡がある。靴もストッキングも脱ぎ捨てたはしたない恰好だ。髪飾りもとき、金色の髪を緑の草の上に流している。横たわった姿はぐったり力を抜いている。

(お兄さま、お姉さま)

思考が呟いた単語に、再び涙がこぼれおちる。
この場所は兄妹でくつろいだ場所だった。兄姉は去り、いまはもうひとり。

――帝国皇帝アルテミシアは、王位継承権では3位に過ぎず。簒奪した身で王権を好き勝手に扱う痴れ者である。

レジスタンスの内に、兄と姉がいるのだという。

その2人が出した声明を聞いて、まずこみ上げてきたのは確かに歓びだった。
兄と姉が生きている事実に対しての。

けれど次いでわきあがったのは怒りだった。一体。誰のためにアルテミシアが王位につく羽目になったのか。だがその怒りはすぐに捨てた。すべてを背負う覚悟で王位につく選択をしたのは、アルテミシア自身である。その過去を忘れ兄姉を責めることはあってはならないと自制したのだ。自制しなければならないほど、胸を突く言葉の後に、こみ上げてきたのはやはり哀しみだった。

玉座から降り、ふらふらとこの場所に訪れていた。そして身を伏せた後、声をあげて泣いていた。辺りに人の気配はない。イストールが人払いをしたのか。彼はこういう時には貴重な心遣いを見せる。あるいはそれも、アルテミシアを退位に導くための手かもしれないが。

(わたくしは……)

心、定めたはずだった。人類の意思をひとつにまとめ上げるため、最後の皇帝になろうと。
けれどその瞬間、立ち向かってくるのはあの魔女であり、あの青年であるはずだった。決して、兄と姉を想定していなかった。

それは甘さだろうか。自身に問いかけながらアルテミシアは目をつぶる。

さらさらと風が通り過ぎていく。緑の香りがかぐわしい。このまま眠ってしまおうか。そんな誘惑にも駆られて、くすりと笑う。笑える自分自身に驚き、そしてゆったりと身体を起こした。涙は収まっている。成すべきこともわかっている。

けれど今は動けない。動きたくない。それでも自分は悲しみに酔っているのだ、と言い聞かせて流した髪を手櫛で整える。おそらくイストールらが代わりに政務をとってくれているのだろう。それでも皇帝の地位にあるのはアルテミシアである。

戻らなければ。

「きゃ……」

その時、突風が吹いた。髪がバサバサと乱れ、ドレスの裾も乱す。
慌てて手で押さえていると、なにやらどさどさと落ちる音がした。

「……おのれ、フィリニア・イストール……」
「だ、大丈夫か。魔女」
「そう思うのなら、さっさとわたしの上からどいてくれないか。重い」
「悪かった」

聞き覚えのある声であり、見覚えのある2人だった。明らかに今の突風と共にやってきたのだとわかる。
一体どうやって、と不思議に思った。風に乗ってきた?

まさか、と思いながら、イストールが魔法を使った時のことを思い出す。2人は、アルテミシアの姿に気付いたようだった。はっと若者が立ちあがり、魔女を背後にかばう。ゆるゆるとこみ上げるものがあり、アルテミシアは微笑していた。素直にその様子が微笑ましいと感じたのだ。

「わたくしを倒しにやってきてくれたのですか、勇者さんたち」

ならば幸いだと感じた。少なくとも兄や姉に責め立てられるよりはずっとましだと感じる。
若者と魔女は戸惑ったように顔を見合わせた。

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