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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

天使の翼

「ちょっとよろしいでしょうか」

こわばった表情で声をかけられた時、アルセイドは、来たな、と思った。

3日前に恨み事を口にしてから、このシーナという女性は態度が一変した。それまでに存在していた、咎めるような態度が鳴りをひそめたのである。

正直な女性だ、とアルセイドは思った。だが一変したとはいえ、固い態度は変わらない。アイルとは違い、アルセイドから距離を置いた態度もそのままだ。そのくせ、なにかをいいたげにアルセイドをうかがう。

気にしないように心がけていたが、正直、うっとうしいとも感じていた。そもそもそちらの勝手ではないか、という気持ちもどこかにある。それでも考え込むことが増えたため、数日のうちに何かを云ってくるだろうと思っていたのだ。

火の番をアイルに任せ、2人は少し離れた位置に移動した。たき火の場所が分かるところだ。夕食を終え、後は眠るだけ、という状態であるから、気楽な状態ではある。

だが、シーナの表情は夜目にもこわばっていた。しばらく沈黙し、話をようやく切り出す。

「お願いがあるのです」
「なに」
「あなたを手助けすると云う任務から外させていただけませんか」
「わかった。シュナール老には俺から伝えておく」

あっさり返すと、むしろ彼女は拍子抜けしたようだった。
あっけにとられた様子でアルセイドを見つめるから溜息がこぼれる。
まったく、どこまで鈍いと思われているのか。

「ミカド・ヒロユキのところに行くんだろう」
「……なぜ?」
「他に考えられる理由がない。ミカドは、いま、馬鹿なことをしているみたいだしな」

帝国の動きは、アルセイドの耳にもちゃんと入っているのだ。

帝国六大将軍、それぞれが侵攻を勧めていること、ひときわ苛烈な侵攻を深めているのがミカド・ヒロユキであり、その様子はまるで人が変わったようだ、という噂だと云う。

確かに、とアルセイドは思う。ミカド・ヒロユキという将軍のことは知らないが、彼が変装していたグレイという男は知っている。むやみやたらな殺生を好まぬ男だった。もちろんそれすらも仮の姿だったと云えないこともないが、人間、どんな格好をしていても現れる要素はある。ミカドの場合、それは人の命を尊重する、――言い換えれば、道を尊重する、という要素として現れていたのだ。

「あなたはミカド将軍を見知っていたのですか?」

芯から不思議そうに尋ねられ、どうしたものか、とアルセイドは迷った。見知っているどころか、捕まっていた、などと云っても信じてもらえるかどうか。ただ、この女が知らないことを話してもいいだろうという気がした。グレイとして出会い、ミカドとして見逃された過去。

「グレイという傭兵を知っているか?」
「いいえ?」
「ミカドが変装した姿だ。グレイという名の傭兵に変装していたミカドに俺と魔女は逢っていた」
「――グレイ……」

たいそうな名前ではないだろうに、大切な宝玉の名のように呟くものだから、アルセイドとしては反応に困ってしまった。やがて、くすり、とシーナは笑う。何事かと思えば、女は青き月を見上げていた。

「ミカド将軍は時折、長期にわたって姿を消すことがありました。もちろんその間の指示は完璧だったのだけど」
「学園都市ルホテに向かう途中で逢ったんだ」
「ルホテに? では巡回使として動いてらっしゃった頃かしら。いくらなんでも侵攻中にそんな遠距離にまで行くことは出来ないものね」

軽やかな口調で云われた「侵攻中」と云う単語に、心がこわばる。たしかにこの女は生まれ故郷を滅ぼした帝国兵だったのだ。進軍ルートから察するに、直接、アルセイドの街に手を下したわけではない。だがそれがどうしたというのか。波立ち始めた心を抑えるように、アルセイドは踵を返した。慌てたシーナが、追いかけてくる。

「……ごめんなさい」
「謝るようなことはされていない。明日、発つんだろう? さっさと眠っておけば」
「ちがいます。侵攻のことを思い出させたことです」

足を止めていた。シーナは真面目な顔をしてアルセイドを見つめている。
踏みつぶされた白く可憐な花一輪。一刀の内に斬り伏せられ、身体をたたく冷たい雨の感触まで思い出した。そして、その時に出会った魔女の姿も。

「……俺は帝国によって、家族を奪われた」
「はい」
「仲間ばかりではない、俺自身も命を失うところだった」
「……はい」
「それを、魔女が助けた」

魔女、とシーナがささやくように呟く。足を止め、アルセイドはうつむいた。
アルセイドはあの時に死ぬはずだった。

それを救ってくれたのが、魔女だった。
ややこしい状況に追い込まれることにもなったが、その恩をアルセイドは忘れていない。

その魔女は、いま、魔法使いに囚われている。

――なにをしているんだ、俺は。

ぐったりとした様子で魔法使いに抱えられていた魔女が脳裏から離れない。それなのに、スティグマの和を成すために彼女の救出ではなく、見知らぬ種族の村に向かっているのだ。彼個人としての優先順位に明らかに逆らう行動だ。それでも。

たとえばここで、魔女の救出に向かったとしても、彼女はきっと喜ばないだろうと思うのだ。

魔女の望みは、スティグマの和を待つこと。その為に、アルセイドはスティグマの和を成すことにした。
独りで立つ、魔女への恩返しとして。そして、そんな彼女を助けたいと感じた自分自身の望みとして。

時折、なぜ頑張っているのだろう、と自分自身に問いかけることがある。家族もいない。仲間もいない。
そんな世界をなぜ、アルセイドは救おうとして奮闘しているのか。

簡単だ。アルセイド自身が、生きていたいからだ。

魔女と初めて会った時のことを思い出す。何もかも奪われた状態だった。それでも、死にたくはなかった。
理由などない。そして、生きたいことに理由など必要ない。あえて云うなら、眺めていたいのだ。

流れる白い雲、笑い合う人々、咲き誇る花々、――魔女の、微笑み。

大切な人々は失われて、それでも生じたうつろは、新たな大切なものによって埋められている。
満たされているわけではない。ただ、大切なものを、瞬間を、手放したくないと云う欲が明確にあるだけだ。

だからアルセイドは、いまある大切なものを奪われても、再び、大切なものを見出す自分に気付いている。
それでも、そんな彼を見届けるべきは魔女であるべきなのだ。それこそが、契約なのだから。

アルセイドが魔女に見せたい自分は、彼女を救いに行く自分ではない。
成すべきことを成し遂げる自分自身だ。

「きっと」

溜息のような呟きは、どこか羨ましそうな響きを伴っていた。

「あなたの魔女は、とても幸せなのでしょうね」
「え?」

不思議に思い見下ろせば、シーナはようやく取り戻した余裕で笑う。
秘密です、と告げられた言葉に首をかしげた。

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