醜い鳥

    (すべてをおまえの思い通りにはさせない)

    云われたばかりの言葉を反芻して、アルテミシアはふふ、と笑った。とすんと、椅子に腰かける。
    ともあれ、邪魔なイストールを追い払うことが出来た。今回の感謝はそれに対するものにしよう。

    そう思いながら、ふとアルテミシアは頬に流れるものに気付いた。笑みがますます深くなる。ハンカチを取り出してぬぐってみると、それは、ただの滴になった。ハンカチに残る濡れた跡を見つめ、魔女が差し出した手のひらを思い出していた。今まで誰も差し出さなかった手だ。

    (あのミカドですらも――)

    そう思いかけて、アルテミシアは首を振った。
    そうではない、ミカドは自分をすくいだそうとしていた。それを拒絶したのは自分だ。
    それでもためらいなく差し出された手には驚いた。アルテミシアがしていることを知っているだろうに、迷いなく差し出された手。

    (……醜いわね)

    本当は。
    本当はアルテミシアは、あの手に応えたかった。あの手を取り、帝国皇帝の座など捨ててしまいたかった。
    根拠などない。ただあの手に応えたら、この鳥かごのような皇宮から離れることが出来るのだ。行きたい場所に行くことが出来るのだ。

    優しい乳兄弟の元に向かい、侵略を止めるように告げることが出来るのだ。きっとミカドは命令に従っただろう。まわりの人間、帝国軍すべての兵士がアルテミシアを非難したとしても、ミカドだけは嬉しそうに笑って命令に従ってくれるだろう。

    そして、彼を自由にすることが出来た。

    けれどアルテミシアは、こうして、ここに、鳥かごである皇宮にとどまり続けている。
    理由など明確だ。鳥かごの中の鳥は、鳥かごの中でしか生きていけないからだ。

    (まるで与えられた餌にぶくぶくと肥え太って、空を飛ぶことが出来ないように)

    アルテミシアは、自由に空を、世界を進むことが出来ない。皇宮の外に出ることはたやすい、けれど出たとして、帝国皇帝という生き方以外の道がアルテミシアに残されているとは思えなかった。兄と姉の声明を聞いた今なら、なおさら。

    「いまさら」

    はらはらと涙が流れ落ちる。

    ここはアルテミシアの私室だ。だからこそ誰もいない。いないからこそ涙をこぼすことが出来る。
    けれどまぶたがはれないようにしなければ。瞳が赤くならないようにしなければ。

    ――退位を迫る、イストールの提案はむしろ優しかったのだろう。

    時折感じる、殺意交じりの眼差し。それは味方であるはずの議会貴族から向けられるようになった。ましてや兄と姉が生存しているのならば、思い通りに動かない、それどころか暴走している第二皇女など切り捨ててしまえばよい、という意見が出ていることを知っている。

    だからこそ、アルテミシアは帝国皇帝の座にあり続ける。

    滑稽なことではないか。そもそも最初は、操り人形としようとした娘を脅威ととらえるようになるとは。
    脅威となるほど、放置し続けるとは。私欲にかまけているからそういう羽目になるのだ、と、父の人格を宿した時から芽生えた冷酷さでアルテミシアは断じている。

    (わたくしは、飛び立たない)

    鳥かごの中で育てられた鳥は、ぶくぶくと醜く肥り、そして自らの重みで地面に落ちるのだ。
    そして踏みしだかれて、命を失う。それが最もふさわしい終末なのだ。

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