盗賊と城

扉を開かれたのは、夜の化粧を済ませたあたりだった。
アルテミシアは顔を上げ、自室に入室してくる警備兵に眉を寄せた。ただ、それは荒々しく入ってくる動作に対するもので、状況に対するものではない。落ち着き払って、ゆったりと立ち上がった。

「何事ですか、これは」
「はっ。議会よりの招請です。アルテミシアさまにはおとなしく従っていただきたいと」
「議会?」

紅を落としても綺麗な薄紅色の唇に微笑を浮かべて、アルテミシアは首を傾げて告げた。

「議会ではなくツィール侯爵でしょう。セイブル侯爵が議会を抑えている今、このような狼藉、させるはずもありませんから」

応えはない。ただ、警備兵たちは皇族たるアルテミシアに槍を向けた。
微笑を浮かべたままアルテミシアは歩み寄る。

静かに恭順を示したつもりだが、警備兵たちは気圧されたように後ずさった。正直に言えば、面白い。だが面白がっている状況ではない。アルテミシアはこの数日で頭に叩き込んだ皇宮の構造を思い出した。

彼らに大人しくついていくのは良いとしても、どの場所に連れて行かれるか、それが問題だ。立ち止まったアルテミシアは、恐る恐るといった風情の警備兵に囲まれる。その状態で再び歩き始めた。

だが。

しゅっと何かを廊下に投げ出した音がした。続いて、煙が噴き出し、物が弾ける音がする。警備兵は咳き込み始め、視界を失ったが、それは彼らに囲まれていたアルテミシアも同じだ。ごほんごほんと咳き込んでいるうちに、「ぐっ」といううめき声を聞く。いぶかしく思い、涙が浮いている瞳を上げると、腰をたくましい腕に掻っ攫われた。その腕にすがるような形になり、その感触に、まさか、という想いが頭に過ぎる。

「ミ、」

カド兄さま。

そう続けようとしたアルテミシアだったが、すばやく状況を考え、すべての名前を唱えることを止めておいた。
開いた唇が落ち着かない。うろうろと言葉を捜して、そしてたどり着いた呼びかけは「グレイ」というものだった。以前に聞いたことがある、ミカド・ヒロユキのお忍び用の名前である。

闊達な笑い声が響いて、そのまま抱えあげられた。ふわり、と風が頬をなでる。ぐん、と煙が途切れ、空気が身体全体を打ってくる。目を閉じてこらえていると、軽い衝撃の後、地面に下ろされた。二階から一階に飛び降りたのだと気づいたのは、青き月に照らされた庭を見てからである。そして傍にいる人を見上げた。

口元を覆って顔を隠しているけれど、灰色の髪と瞳は見まちがえようがない。想像通りの人だった。会場では煙が切れたのだろう、大騒ぎが始まっている。

「ツィール侯爵がおまえを処刑しようとしている」
「え」

前置きもなくいきなり本題に入った。右、左に気配を配るミカドは、庭の一角に身を隠した。アルテミシアも導かれるまま、傍に寄り添い、その顔をみあげる。端的な説明だったが、アルテミシアにはそれで充分だった。

「わたくしの首を以って、兄上方に恭順の意思を明らかにするためですね」
「そうだ。レジスタンスといえど、数が数だけに侮れない。ましてや傍系の誰かを持ち出して帝位に就けるには、れっきとした帝位継承者がレジスタンス側にいる以上実行することもできない。継承権を剥奪し追放された皇子方だが、他国にはどうでもいい事情だからな。そして利にさといツィール侯爵はレジスタンスの目標であろう、おまえの首を差し出してご機嫌伺いしようとしたわけだ」
「わかりやすい状況ですね」

思わず入れた合いの手に、ミカドは瞳を和ませて笑う。ざわめきが近づいてきた。先導して進もうとするミカドの腕に手を置いて、アルテミシアは他の場所を示した。監禁から逃れられた以上、行くべき場所がある。戸惑ったように見下ろすミカドに口を開いた。

「アルテミシアを信じてください、ミカド兄さま。どうしても処理しなければならない場所があるのです」
「だが、このままでは警備兵に囲まれるぞ」
「再び捕まるような羽目になっても、これだけは済ませなければなりません。イストールがいない今が最大のチャンスなのです。お願い、ミカド兄さま」
「アルテミシア」

困ったように見下ろしてくる人は、それでも最終的に自分の意思に頷いてくれる人だと知っている。
だからこそ苦しめた人だ。

そう思いながらも、ここ数日書物を読んで深めた知識を、アルテミシアは世界のために役立てたい。
今後の憂いをなくしてしまいたいのだ。

じっと見上げる視線は、すがるようなものになっていたのかもしれない。怒ったようにミカドは視線をそらし、――初めてみる様子にアルテミシアは目を丸くし――ぴんと額をはじいてきた。思いがけぬ痛みに、きょとんと目を瞬く。

「俺はおまえを甘やかしすぎた」

その言葉にぎくりと動きを止める。思わずうつむいていると、救い上げられるようにあごをとられ。
温かな唇が、唇の上に降ってきた。ミカドの顔越しに青き月が見える。
驚きよりも沁みる想いがあった。瞳を閉じて、そして開いた頃には唇は離れている。

「だからこれが最後のわがままだ。あとは俺の言葉に従ってもらうぞ、いいな?」
「だから兄さまはわたくしに甘い」

状況に似合わぬ満面の笑みを浮かべて、アルテミシアは言い返していた。まわりのざわめきはその数を増やしている。ここで捕まればアルテミシアは今度こそ命を失うだろう。ミカドもセイブル侯爵家もろとも何もかも失うに違いない。状況は切迫している――。

けれどここ数日、蓄えていた知識と前に立つ存在がアルテミシアに力を与えてくれた。微笑を浮かべたまま、アルテミシアはミカドの腕に乗せた手で方向を示唆する。まったく、とぼやいたミカドは、それでもアルテミシアを抱き上げ、夜の庭に忍んで走り始めた。アルテミシアの片足から室内履きが取れていることに気づいたのだろう。飛び降りたときに外れたのだから、ここにいたという痕跡はじきに突き止められる。そうと考えれば思ったよりも時間はないのかもしれなかった。

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