亡霊

秘められた通路の向こうに、その部屋はあった。光源が足りぬ通路を、ミカドが先に立って歩く。繋がれたままの手をどこか頼もしく、どこかせつない想いでアルテミシアは見つめていた。扉の前に立ち、ミカドが所有していた剣で指を傷つける。ぷくりと浮かび上がった血を扉のノブの上部のペースに押し付けた。ぶん、と扉が反応する。がたん、と音を立てて鍵が開いたものだから、その扉から中に滑り込む。

「これは……」

それきり。さすがに言葉を失ったらしいミカドをそのままに、扉を再び閉めて施錠する。

この部屋の構造は先祖が書いた日記通りだ。数々の見慣れない器具が所狭しと置かれている。そして、水晶のような管の中にずらりと子供が眠っていることは想像の範囲だった。この子供たちを今から殺すのだ、そう思えばこみ上げる吐き気があるが、アルテミシアは首を振る。この子供たちは生まれてはならない存在だ。

「アルテミシア、これは、この子たちはいったい?」

少しだけためらい、それでも言葉を吐き出した。

「お父さまが生まれる予定の部屋です。この子たちは、お父さまの複製」
「複製?」

いぶかしげなミカドにどう説明したら良いものか、アルテミシアは迷う。それは人類がガイアにいた頃の知識に基づいた方法だからだ。

ガイアの知識より、ルナの常識は、数時代分ほど遅れている。命の誕生をかけがえのないものとしてとらえているだろうミカドに、この命の冒涜ともいえる作業を説明することは気が進まなかった。ましてや、それは自分の実の父親が行っていることなのだ。

それでも説明しないわけにはいくまい。ためらいを振り棄てて、極めて事務的になるようアルテミシアは心がけた。

「わたくしも詳しい仕組みはわからないのですけど、お父さまは以前から不老不死に興味を持たれていたようなんです。その為の方法として、新たな肉体にご自身の記憶と思考を植え付けることをお考えになりました」
「可能なのか」
「……可能だと考えたのだと思います。少なくとも、わたくし自身にお父さまの記憶を注入することは出来たようですから」

呆然とまわりに見入るだけだったミカドが、はっと振り返る。アルテミシアは首を振った。

「だからわたくしにはお父様の人格が芽生えておりました。けれどもあくまでも生きていない者の記憶は生きている者の記憶に弱い。だからわたくしは自分を取り戻すことが出来たのだと思います」
「――おまえが乱心した、とはそういう次第があったのか」

痛ましげな眼差しが耐えがたく、同時に、腹立たしく、はっしと睨んでいた。ミカドは苦笑して、アルテミシアの肩を軽く叩いた。幼子をあやすような仕草に、アルテミシアはほだされ、そして言葉を続けた。

「そしてこの子たちは、その思考と記憶を植え付けるための肉体です。お父さまの肉体から生み出された、まがいものの命、――だからわたくしはこの子たちを殺さなければなりません」

ミカドがその言葉に振り向く、そのタイミングを狙ったように、ぶん、と扉が反応した。
はっと振り向くアルテミシアの前にミカドが滑りこむ。がたんと先程までと同じ様子で扉が開き、姿を現したのはイストールだった。あらかじめ予測していたように、2人の姿にも驚かない。

「イストール……」

アルテミシアは信じられない想いで呼びかけていた。この扉は皇族の血液に反応すると書かれていた。それならば、こうしてこの部屋の扉を開けることが出来たイストールは何者なのだ。手には何も持っていない。身一つ出来たということであれば、彼自身の血でこの扉を開けたということになる。すなわち、彼自身の血が皇族と同じものだということだ。どこか様子を違えたイストールはふっと苦笑して見せた。

「父君の複製を消滅させるためにいらしたのですかな、アルテミシアさま」
「邪魔はさせません、あなたにも」

アルテミシアの言葉と同時に、ミカドの身体に緊張が満ちる。
それを軽く流すようにイストールは腕を組んで微笑んだ。

「お止めはしませんよ。いや? それどころか、わたしとあなたは同じ目的でここを訪れたと解釈していただきたい」
「え……」

イストールは自分の様子をうかがっている2人に構うことなく、部屋の奥に入り込んだ。その動きを見守っていると、突部が並んでいる盤の前に立つ。その突部を無造作に押すと、水晶の中の子供たちが苦しみ出した。そして気泡が彼らを取り巻く。その気泡と共に、子供たちが水晶の中の液体に溶けだしていく。グロテスクな光景だった。思わず視線をそむけたアルテミシアは、哀しみを込めて彼らを見つめるイストールに気付いた。哀しみ、切なさを込めて見送る眼差し。その眼差しを見た途端、アルテミシアは閃いていた。

「あなたは、わたくしのお兄さまでいらっしゃるの?」

はっとイストールはアルテミシアを見た。彼は何も云うことはなかったが、その一瞬の様子が紛れもなく肯定していた。イストールの瞳とアルテミシアの瞳が通じ合う。やがて力が抜けたようにイストールは微笑んだ。

「そう、なのか。イストール、あなたは」
「そんなことはどうでもよろしい、ミカド・ヒロユキ。それよりもおまえ、アルテミシアさまを守りきることは出来るのだろうな」

アルテミシアに向けた温かさが嘘であったかのような、冷徹な声と眼差しだった。
ミカドは表情を引き締め、むろん、と短く応える。

「これより人類はセレネを離れる。その機会を逃すなよ。死の世界になったセレネに留まり続けるということになれば、守る意味もないからな」
「わかっている。リスクは高いが古い知り合いを頼る予定だ。父君からは勘当をいただいているからセイブル侯爵家に迷惑をかけない」
「ふん。お気に入りの息子を手放す選択をされたか。あの双子たちがうるさく騒ぎだしそうだな」

すっかりいつも通りのイストールだった。高飛車で高慢な家庭教師にして、いけすかない宰相。
だがアルテミシアを見直してきた時、その眼差しには以前にはなかった温かさが宿っているような気がした。

「この世に、先の皇帝陛下はただおひとり。すでに亡くなられた以上、その事実を貶めるわけにはいきませんな」
「イストール。あなたには選択肢があったはずです。お父さまの意思を受け継がないという選択肢が。なのに、なぜ」
「それはあなたには係わりのないことだ、アルテミシアさま」

さあ、もう行きなさい。イストールはそれまで見えていなかった扉の存在を示した。ミカドがアルテミシアを導く。ためらいがちに振り向くアルテミシアの前には、もう温かな微笑みはなかった。冷徹な眼差しでイストールは告げた。

「子供は親の心を知ることはない。そしておそらくそれは正しいのです。いずれ親になった時に、あなたは想像を巡らせることが出来る」

それは父が皇子皇女を想っていたということなのだろうか。追求することが出来ないまま、アルテミシアは皇宮を脱出した。

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