焚火

皇宮の外に出ることが出来た。
見知らぬ街の屋台でものを食べることも出来た。
満天の星空の下、野外で眠ることも出来た。

深呼吸をして、アルテミシアは青き月を見つめる。
ガイア。人類が生まれ育った、かつての故郷。そして戻らなければならない故郷。
振り返り、ザクザクと歩き始める。ゆらゆらと揺れる焚火の明かり。旅の連れは、すでに夜に向けて準備を進めていた。その横顔を見つめて、足を止める。

「ミカド」
「悪いがアルテミシア、水を汲んできてくれないか。ここに来る途中にあっただろう、あの川だ」
「わたくしは皇宮に戻ろうと思います」

まず返ってきたのは沈黙だった。作業の手を休ませることなく、ミカドは動き続ける。だがその沈黙につきあっていると、やがて根負けしたように手を止めて振り返った。見慣れた灰色の瞳には、見慣れぬ厳しさが現れている。

「それがどういう意味を示しているのか、おまえはもちろん理解しているんだな?」
「もちろんです、わたくしの命が危ないのですね」
「その通り。おまえは議会の責任を負うには具合のよい、スケープ・ゴートだ。帝国皇帝として議会の意向を無視したことも大きいだろうな」
「それがわたくしの行動の結果なら仕方ありません、」

いっそう厳しく引き締まった顔に、アルテミシアは微笑みかけた。

「とは申しません。ミカド兄さま」

すると忌々しげにミカドはアルテミシアから顔をそむけた。

「おまえは俺を思い通りに動かそうとするときに、ミカド兄さま、と呼ぶからな。そう呼びかけるならこれ以上は聞かないことにする」
「ではミカド。わたくしはどうやら思っていたより欲が深いようです」

いぶかしげな眼差しが返ってきた。
ほんの僅かでも厳しさが減ったことに、アルテミシアは内心ほっと安堵する。

「皇宮の外の暮らしを知ることが出来ました。もっと知りたいと思ったのです。だからその為に逃げ回らなくても済むよう、堂々とわたくしは罪を償いたい。ですから皇宮に戻らなければなりません」
「その結果、死を与えられてもかまわないというのか」
「……わたくしは、それでも見苦しくもがくでしょう。抗い続けるでしょう。なぜならわたくしは」

死にたくないからです。

まっすぐにミカドを見つめながら告げた言葉を確かめるように、ミカドは鋭くアルテミシアを見つめ続けていた。その厳しさに気圧されそうになる。けれど、死にたくない、という気持ちが真実である以上、逃げも隠れもせず、この視線を受け止めなければならない。

それでも少しだけその厳しさを恨めしく思った。この厳しさが含まれていなければ、気圧されることなくまっすぐに見返すことが出来るだろうに。だがその想いは甘えだろう。

「――何人の兵士が死んでいったか、おまえは本当に知っているのか」

鋼のような声音だった。刃のような鋭さを身につけて、初めてミカドは彼らしい言葉を続けようとしている。アルテミシアは唇を噛んだ。

「他の誰でもない。前皇帝の意思など関係ない。おまえ自身の命令のために命を散らしていった兵士がどのくらいいるのか、おまえは本当に知っているのか。その為に亡くなった相手国の兵士やレジスタンスも何名亡くなったのか」
「具体的な数は、……把握しておりました。けれど」
「そのひとりひとりが、いまのおまえのように、死にたくないと思っていた人間だ。その事実に考えを馳せたことは?」
「――ありません」

静かな溜息が響いた。おまえをこの場で殺してやろうかと思ったよ。行動とは矛盾した呟きを吐き出して、それでもつき放さない声が、ミカドの思惑を明らかにしていく。

「本当は助けたかった。だが、助けたくもなかった。なぜなら兵士は、俺の部下だ。俺の部下を死に至らしめる命令を下した皇帝を憎いと思ったこともある。だが、その皇帝を止められなかったのは俺の咎だ。だから俺一人がすべてを背負えばいいと思ったんだがな」
「ミカド兄さまなら、殺されても不満はありません」
「ばぁか」

ぴん、と幼いころにされた時のように、軽く頭をつつかれた。やめてくださいミカド兄さま、と返していた幼い自分の声が脳裏によみがえる。

幼いころ、ミカドは決して優しい乳兄妹ではなかった。むしろ意地悪で、アルテミシアを置いて遊びに行ったことが何度もある。男の子だから幼い女の子の相手は退屈だったのだろう。その度に母に叱られ、そして叱られた分不満そうにアルテミシアの相手をして。

そういえば、と不思議に思う。ミカドが今のようにアルテミシアに優しくなったのはいつからだろう。

「戻るぞ。皇宮への進入路は把握しているな、アルテミシア?」
「はいっ」

ミカドは焚火を足で崩して火を消した。アルテミシアは手早く荷物をまとめて、馬にくくりつける。ここまで2人をのせて駆けてくれた馬だ。アルテミシアはその馬に触れて、まぶたをつむった。

そう、たしかにこれは死につながる行為なのかもしれない。それでもアルテミシアはこのまま逃げ続けることは出来なかった。償いとして死を賜ることになるのならば、見苦しいと云われてもいい、出来うる限り抗弁しよう。それでも、ということならば。

グイ、と腰に腕がまわり、馬の上に押し上げられた。一気に視界が広くなる。その後ろにミカドが身軽に飛び乗る。腕が伸びて手綱を引いた。馬が反応して、パシッと手綱の指示に従って駆け出す。風に紛れて、豊かな笑い声が聞こえた。

「まあ、あれだな」
「え?」
「死を賜るなら侵略を命令した皇帝ばかりではなく、その侵略を抑えきれなかった将軍や宰相もだろうな。やっぱり」

その声は清々しいほどつきぬけて響いた。馬の勢いが増す。勢いに押されるようにミカドにしがみついたアルテミシアは、青ざめた唇を震わせた。

あなただけは生きてほしい。
そんな言葉など通じない事態なのだと、直視したくない現実を突き付けられた。

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