赤い屋根

ガイアより扉をくぐりぬけた先には、好奇心と心配とでいっぱいの顔が並んでいた。
アルセイドたちが無事に帰ってきたことを知ると、わっと安堵の表情が広がる。アルセイドは魔女と顔を見合わせ、少しだけ微笑みあった。家族もいない2人だが、見知らぬ人の好意は素直に嬉しい。
竜族の若長が首をもたげて、温かな声音で告げた。

「お帰り、2人とも」
「ああ、ただいま」

そう返しながら、微笑ましい気持ちにアルセイドは笑った。子供たちが若長の体の周りで遊んでいる。中には首筋からよじ登り、抱きついている者すらいた。若長は笑いながら許容しており、その光景はなんだか心に温かさをともした。伝説上の生き物でしかなかった竜、それをまるきり恐れる様子がない。それが嬉しいのだろう、魔女も微笑んで若長を眺めている。

だがここから先が問題だった。

橋の安全性は確認できた。ならばセレネを覆う魔法が収縮しつつある今、一刻も早くに人々をガイアに導くべきだろう。だが導いて、その先をどうするのか、という問題がある。むろん、それまでの生活を維持してもらうべきだが、向こうには建物すら崩壊している状況である。食物の流通すら整っていない状況だ。一刻も早くレジスタンスの元に向かい、その方針を定めなければならない。おおよそのアウトラインは決めてはいたが、帝国との話し合いによって決定するとも云っていた。ならばその後に進んだ話を先に聞くべきだろう。

「よーうやくお戻りか、お二人さん?」

だからその言葉を聞いた時には、思いがけぬ感触を得て顔をあげていた。魔法使いが腕を組んで立っている。ああ、そういえば魔女と魔法使いは共に竜族の元に向かったのだった。ならばこの場所にいてもおかしくない、と思いつつ、揶揄の眼差しが気になった。ふ、と、魔法使いは笑い、こちらに歩み寄ってくる。

「橋の安全性を確保するためだ。時間がかかるのは仕方あるまい?」
「ふうん。で、どのあたりまで歩いた?」
「わたしの友人の家があった辺りまで」
「ああ、あの赤い屋根の家があるところまでか。へへえ」

そう云いながら魔法使いは魔女の頬を掴んで、むに、と引っ張った。魔女はパンとその手を振り払う。むっとしたように魔法使いに何事かを云おうとする、その前に彼はしゃがみこんで魔女の顔を覗き込んだ後に、笑った。

「泣きはしなかったんだな、よかった」

それは温かな想いやりに満ちた声音で、魔女は意表をつかれたように黙り込んだ。アルセイドは唇をゆるめる。ところが魔法使いはそのままアルセイドに視線を移し、引き締まった表情で口を開く。ただ2人を眺めていたアルセイドは、握りしめていた拳をそのままに魔法使いに向き合った。

「伝達が届いた。帝国との話し合いは無事に決着したそうだ。帝国は、すべての権限をこちらに委ねる、とさ」
「そうか。……アルテミシアは?」
「むしろやっこさんがそう決定したようだな。鶴の一声、宰相も議会貴族もアルテミシアの意思に従ったらしい」
「そうではない、スカール。アルテミシアは無事なのか、と云っているのだ。責任を取らされて、とかそういうことはないのか?」
「それは問題ないようだぜ、ネトル。でなければ、アルテミシアの意思が伝わるかよ」

ネトル。初めて聞く名前に、アルセイドはぎくりとした。
だが魔女が何事もなく会話しているものだから安心した。

魔女には呪いが掛けられている。先の皇帝が命をかけて行った呪いだ。それは魔女の名前にかけられた呪いであり、昏倒した彼女を覚えている。そういえば竜族に呪いの解き方を知らないか、訊ねようと思ったことがあるのだった。2人が話していることをよそに、若長に近づいた。そっと首を動かす若長にアルセイドはささやきかける。

「魔女には呪いが掛けられている。知っているか」
「見ればわかる。人間の男の念が義母上のまわりにまとわりついている」
「解き方を知っているか」
「なにを下らぬ心配をしておるのじゃ、アルセイド」

声が聞こえていたらしい、魔女の声が飛んできた。
魔法使いと並んで立つ魔女は、呆れたような微笑みを浮かべている。

「呪いのことなど気にしなくても良いのだよ、もうわたしの真名を知る者などおらぬし、知っていたとしても大した害はない」
「あれだけ苦しんでおいて、害はない?」

むっとアルセイドが云い返すと、「まあまあ」と魔法使いが間に入った。ポン、と魔女の頭に手をのせくシャリとかき回し、アルセイドに向かい直る。呪いの解き方なら俺が知っているぜ、と告げるものだから、目をみはった。

「簡単だ。新たな名前を授けてやればいい」
「はあ?」

思わずそんな声をあげていた。魔法使いは構わず頷く。
魔女は疑わしげに彼を見上げたが、沈黙したままだった。

「命をかけた呪いというものは強力に思えるかもしれないが、その呪いをかけた人間にはよすがとなる肉体がない。よすががない意思はだからこそよすがのある生者に負けてしまうものだ。気力体力が減退している人間なら効果があるが、もういまのこいつには効果は望めない。それに何より、時間が結構経っている。……若長、その男の念ってやつはほとんど消えかかっているだろう?」
「ああ。もうかすかなものだ」
「ほらな。だからあとは、新しい名前をつけて、それを呼びかければいい。元の名前の記憶など消えてしまうくらいにな」
「それが、ネトル、か?」

初めて知る領域の話に戸惑いながらも、先程から聞こえる名を確認していた。
すると魔女が首を振る。

「これはな、かつての友人がつけた名前だよ。元は花の名前だったのだ。愛らしい姿でとげを刺す、という皮肉をこめてな」
「あの、家に住んでいた友人か」
「ああ。だから気にすることはない。必要な名前なら、私はすでに持っている。偽名もあるしな」

だが、と魔女は続ける。

「もちろんおまえが呼びたい名があるなら、それを受け入れることは構わぬぞ。魔女と呼ばれることが一番馴染みがあるが、偽名を使われることには違和感を覚えるし、本名を呼んでもらいたくともそれは不可能だ。とはいえ、ネトル、という名前を呼ばれることにも違和感を覚える。ネトルは、――古き友人たちが呼びかける名前であるからな」
「友人と認めてもらえていたとは光栄だねえ。しかし、こいつは友人じゃないのか?」

何気なく鋭い質問をした魔法使いに、魔女はむしろ堂々と答えた。

「長針だ。それ以外の何者だというのか」

ふう、と漏れたため息が3つに重なった。魔法使いとアルセイドと若長の溜息である。魔女はきょとんと眼を瞬かせ、他の3名はお互いに顔を見合わせた。居心地悪くアルセイドは一番に視線をそらし、魔法使いの笑声と若長の笑声が重なる。ともあれ、と強い口調で続ける。

「これから先、どうするか、だな」
「それも伝言がある。おまえに指示してもらいたい、だと」
「はあ?」

再び間抜けな声を漏らして、アルセイドは魔法使いを振り返った。
にやりと魔法使いは笑って、不思議でもないだろ、と続ける。

「スティグマの和を成したのはおまえだ。アルテミシア皇帝でもなければ、ロクシアス皇子でもない。カイナ達でもない。だからこそおまえに指示を仰ぎたいと皆は云っている」
「……皆、それでいいのか」
「おいおい、納得していなければ提言はしないだろう。疑うのか、奴らを?」
「そうじゃない、ただ」
「自信がないのであろう。こやつはまだ、自らが成したことの大きさをわかっていない。自警団の若者のままなのだ」

見透かされた言葉にぎくりと身をすくめる。

事実だった。これから先、どのようにしていくのか、どれが一番いい方法なのか、アルセイドは最善の手が思いつかない。このままガイアに帰還して、人々は不便な生活を強いられるのではないか。その不便を軽減するにはどうしたら良いのか、答えがまったく出てこない状況なのだ。

そんな自分に指示をしてくれと云われても、戸惑うしかない。自分より経験の豊かな人々の意見を聞き、その上で決断することしか、アルセイドには出来ないだろう。

「――それで、いいのだよ」

アルセイドの想いを察したように、魔女はやわらかく微笑む。綺麗な微笑みだった。若長が子供たちを傷つけぬようにそっと身体を動かす。そうしてアルセイドを見つめた。いつでも飛び立てるぞ、と無言の催促を受けて、決断することにする。

「わかった。ならばいまはレジスタンスの皆と再会しよう。この扉は、魔法使い、おまえに見ていてもらいたい」
「承りましょう?」

独特の調子で魔法使いは頷き、魔女はさっさと若長の元に歩きだした。どうやらついてくるつもりらしい。そんな魔女の姿にためらい、だが、嬉しくも感じて、沈黙を守った。若長の背中に上る。魔女と共に背中につかまりながら、アルセイドは若長の言葉を聞いた。

「ひとつだけ忠告しよう、長針どの。帝国の皇子、彼の野心には気をつけるがよい」
「ああ……」

ゆったりと微笑んでいる、かの人物を想い浮かべた。
先に云われた言葉を思い出せば、確かに何かをたくらむ要素はあるのだった。

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