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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

大きな樹

集まっていた人々は、いざ若長が地上に降り立つと、わっと散った。それでいて好奇心を隠せない、といった様子で、おそるおそる物陰からこちらをうかがっている。

アルセイドは彼らの様子にかまわず、若長の背中から滑り降りて、橋が入った袋も地上に下ろした。

地図の上からおおよその場所は決められていたが、いざその場に立つと具体的にどの場所に埋めればよいのか分からない。橋が育つ、と云われている。だとしたら充分なスペースが必要になるのだろう。とりあえず、橋を埋める場所を掘り始めた。深く掘らなければならないし、橋は小島ほどの大きさなのだ、骨が折れそうだった。

「手伝おうか、アルセイド」

だが、聞き慣れた声が響いた時には、驚いて顔をあげていた。義母上、と、若長が喜ばしげに呼びかけた。散った人々の中から魔女が進み出てくる。目を瞬いてアルセイドは彼女を見つめた。彼がここに来ることは、若長とレジスタンスメンバーしか知らないはずだ。くすりと含み笑って、魔女は若長と視線を合わせる。言葉にならない意思疎通が可能となったようで、魔女は改めてアルセイドに向かい合った。

「わたしたちが行動するよりも前から、竜族とドワーフの間には連携が出来ていたのさ」
「橋を埋める場所はわかっていたのでな、だから義母上がお待ちしている場所に長針どのをお連れしたのだ」

そういえば場所の指定をする時には若長が口をはさんだのだった。
思いがけない再会にアルセイドは落ち着かない。

魔女が自分の運命だと。竜の若長の背中で断言したばかりの彼としては、その事実が魔女に知られることがまだいたたまれないのだ。万が一にでも、若長の口から伝わったらどうするべきか、という恐れまでも抱いてしまう。そしてそんな自分に呆れかえっていた。初心な小娘でもないだろうに、と自分自身に突っ込みを入れている。立ち尽くしたまま、なにも応じることが出来ないアルセイドに魔女は首をかしげた。

「アルセイド?」
「あ、いや。なんでもない」
「いや、わたしは手伝おうか、と訊いているのだが」
「あ、ああ……」

そうだった。だがドワーフか渡された道具はひとつしかないのだった。それを示すと魔女は納得したように後ずさり、地面に腰をおろしている若長にもたれかかった。

人の中にあるよりも、そうして竜族にもたれかかっている方が安心するようで、そんな様子を見ていたら、自分が魔女を動かしている、とは若長の勘違いではないかとも思う。だがそろそろと歩み寄ってくる人々を興味深げに見守っている様子はやわらかさに満ちていて、そうではないのかと思った。

ともあれ、アルセイドはさっそく地面を掘り始める。土の感触はやわらかい。掘りやすい場所であることに感謝を覚えつつ、ひたすら掘りつづけた。時折、人々と魔女の会話が聞こえてくる。合間に若長の豊かな笑い声が響いてくる。顔をあげれば、交流を持っている魔女たちの様子が見え、その様子は思いがけないほど心に活力をもたらした。唇は自然と笑みを含み、作業は軽やかに進む。

やがて大きな穴が開いた。地面の縁に手をかけて、水が滲みだしている穴の底から地上へとよじり登る。
そして銀色の袋から橋を取り出す。するともぞりと橋は動いて、ぴょこんと芽を出した。慌ててほうりだすように穴の底に下り、中央に橋を置いた。その間にも橋は育ち続ける。慌てて土をかぶせてゆき、そうして元の地面に戻した。その時には集まっていた人々も手伝ってくれ、作業は速やかに進んだ。

そして地面を突き破るように樹木が育ち始める。音を立てて急激に育つ大きな樹木に、まわりから驚きのどよめきが上がった。まるで時間が早く進んでいるように、樹木はぐんぐん育っていく。そして樹齢100年ほどの大きさに育った時、幹に扉があることに気付いた。さらに樹木は育つ。そして人が充分にはいれるほどの扉が出来あがった頃に、樹木の成長は止まった。魔女が再び近づいてくる。

「あの扉がガイアにつながっているのだよ」
「ずいぶん、お手軽だな」
「わたしも驚いた。500年の間に、ずいぶんドワーフの技術も進化したものだ」

感慨深い声にふと誘われる。しみじみとした表情に、わずかな哀しみと大きな感心が浮かんでいた。

夫のことを思い出しているのだろうか。ちらりとそんなことを考えてしまって、慌ててその考えを打ち消した。何でもかんでも竜族の夫のことを連想してしまうのは悪い癖だ。それに、夫のことばかりを思っていると、魔女の真実から離れて行く気もする。

一度外した眼差しを再び魔女に向けて、そうして今度こそ金と緑が混ざり合った瞳と目があった。ふっと微笑みを浮かべて、魔女は気軽に提案してくる。

「では、ガイアに行ってみるとするか」
「は?」
「なにを驚いている? この橋が本当に使えるかどうか、試してみないといけないだろう?」

そう云うなり魔女はアルセイドを置いて、先に進み始める。
アルセイドは慌ててその肩を掴んだ。驚いたように魔女は振り向く。

「俺が先に行く。おまえは付いてきたいのなら後からついてこい」
「しかし」
「安全性を確かめたわけじゃないだろ。俺が確かめる。俺が無事なら、ついてこい」

すると魔女の瞳が大きく揺れた。淡紅色の唇が反射のように開いて、それでも言葉がなかったのか、力なく閉じられる。ただ思わしげな眼差しでアルセイドを見つめる。そんな眼差しに背中を向けて、アルセイドはノブまである扉の前に進んだ。ゆっくりと回し、扉を開く。

ふわりとまずは涼風が吹いた。扉を開いた先に、広がる光景。
アルセイドは目を見開いて、その光景を見つめる。青々と広がる草原は、この場所とは全く違う様子を見せている。扉の向こうは全く違う世界なのだ。そんな事実に息を呑み、そしてぐいと腕を掴まれる感触に慌てて左を見下ろしていた。アルセイドの腕を掴んだ魔女が前面に立ち、ふわりと微笑みながら振り返っている。

「行こう、アルセイド」

その嬉しそうな様子を眺めていて気付いた。
ガイアは魔女にとって故郷でもあるのだ。ならば一刻でも辿り着きたいに違いない。
しかたない。許容の笑みを唇に浮かべて、アルセイドは口を開いた。

「ああ、一緒に行こう」

共に、ガイアに。

そのつもりで吐き出した言葉は、ただ抽象的な意味となって魔女に告げたい言葉でもあった。
どこまでも一緒に。魔女はそんなアルセイドの気持ちに気付かず、先に扉をくぐる。そしてアルセイドも扉をくぐった。

――さわやかな涼風がアルセイドの黒髪を乱す。出てきた扉は、なにもない空間にぽかりと出現している。だがそれを除けば、どこまでも続く草原だった。すう、と、魔女が隣で深呼吸する。いままで見たことがない朗らかな顔で、微笑みながら魔女は告げた。

「帰ったぞ、ガイア」

さあっと風が草を撫でて行く。
まるで、おかえりなさい、と云われているかのように、心地よさげに魔女は目をつぶった。

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