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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

白い地図

「ごちそうさまでした」

綺麗に食器をからにした魔女が、きちんと手を合わせる。
すると通りがかった店のおかみが朗らかに笑いだした。

「こちらこそ。おいしそうに食べてくれたねえ」
「だって、事実、おいしかったのだぞ? おいしいものをおいしく食べるのは人間として当然の反応だろう」
「おやおや、嬉しいことを云ってくれるねえ。じゃ、おまけしようか」

そういっておかみが差し出してきたのは、持ち歩きの出来る菓子だった。当たり前に生きている少女のように、魔女は歓声をあげてそれを受け取った。まだ店舗という形をしていない食堂だ。だから何にもさえぎられることなくアルセイドは空を見上げた。今日も晴天だ。

「こちらの様子はどうだい?」
「そうさねえ」

恰幅の良いおかみは腕を組んで、思案の表情を浮かべる。だがすぐに、にっと笑って。

「わるかぁないね。どこに行ったって、住めば都さ」
「なるほど」

ごもっともな言葉にアルセイドは笑った。
確かにその通りなのだ。空から青き月は消えたが、大地は変わっていない。

あのロクシアス皇子の手腕は大したもので、すでにガイアの地の開墾は始まっている。きっとレジスタンスのメンバーも協力しているのだろう。帝国皇帝アルテミシアもその側近、ミカド・ヒロユキやフィリニア・イストールと共に協力しているという。

かつての侵略に対する憎悪の感情はいまだ存在する。だが、アルテミシアが世界の意思をまとめる決意を放棄したことは喜ばしいと感じる。わずかに数度、会っただけの少女だが、彼女には死よりも生が似合う。侵略という決断をしてしまったことで悔やむ瞬間はあるのだろうが、だが、変わらず一国の代表者であり続けるのだ。その責任の重さが、彼女を現実に生かすだろう。

「さて、と。それじゃそろそろ行くか、」

魔女、と呼びかけそうになって、アルセイドは半端に口を閉じた。面白がるような眼差しで魔女が見つめ返す。その視線から逃れるように立ちあがり、勘定を済ませた。荷物を取り上げ、そして歩き始める。魔女が隣に立つ。カーンカーン、と木に釘を打つ音が聞こえる。人々が忙しく動き回っている。賑やかな空気を通り過ぎながら、魔女は口を開いた。

「まだ、わたしの名前は決まらないのか?」
「……うるさい」
「おやおや、おまえが云いだしたことなのに」

そう突っ込まれて、ぐッと口をつぐんだ。

魔女の真名には、呪いが掛けられている。

ならば新しい真名を与えればいい。あっけらかんと魔法使いが云ったものだから、アルセイドはその名前を考えると云ったのだ。 気にするな、と云っていた魔女は、アルセイドの決意を案外すんなりと受け入れた。

だが、だからと云って、そう簡単に名前をつけることができるわけではない。

産まれたばかりの赤ん坊ならともかく、既にそれなりの人生を送っている娘の名前をつけるのだ。まず本人が気に入るものでないとアルセイドは納得できない。そしてなにより、最上の名前を贈りたいと思っている。感謝と想いを込めて、彼女に最上の名前を、と願うのだ。

しかし、それは難しい。
真名がアルテミシア、つまり、月の女神の異名だと教えられたばかりに、無駄に意気込んでしまう。

けれど、本当はもう、ひとつの名前に決めているのだ。

「楽しみにしているのだぞ、早く決めてくれないか」

事あるごとに魔女はそう繰り返す。アルセイドとしても魔女と呼びかけるより、その名前を呼び掛けたい。

だが、妙な恥ずかしさがアルセイドを制止する。それに、せっかく決めたのに気に入らないと云われてしまっては切ないではないか。

「うるさいな。そのうち云うよ」

するときらりと魔女の瞳がきらめいた。

「ということは、すでに決定しているのだな」
「あ」
(しまった)

既に街を抜けて、草原を歩いている。時折人通り過ぎることはあるが、基本的に2人きりだ。隣に歩く魔女が歩みを速めて、アルセイドの正面に立ちふさがった。腰に両手をあてて、少しだけ怒ったように告げる。

「おまえは人が楽しみにしている様子をじらして楽しんでいるのか?」
「そんなつもりはない!」
「ならばどうして教えてくれないのだ」

珍しく怒った様子だ。けれども空は青空のままで、アルセイドは困ったように笑う。

――この娘を許容する、受容すると決めたが、それ以上に自分を受け入れられていると感じるのはこんな瞬間だ。

つい、と、立ち止まっていた足を再び動かして、ぼそり、と告げた。

「気に入らない、といわれるのが怖いんだ」

追い越した娘が追いかけてくる気配がする。やがて呆れた調子の声が聞こえてきた。

「それだけが理由か? わたしは人に与えられたものを気に入らないと放り投げる人間ではないぞ」
「――だからだよ」

どうせなら本気で喜んでほしい。だが、お愛想で、気に入った、などと云われるのはごめんだった。 魔女は隠しても、その瞬間をアルセイドは感じ取ることができるだろう。その瞬間に気後れしてしまうのだ。

「……莫迦なことを」

ふ、と笑いの振動が空気を伝わってきた。くい、と腕を掴まれて、再び足を止める。 やむなく振り返ると、悪戯っぽく少女は笑っている。

「そんなにためらうのなら、スカールにつけてもらうぞ。いいのか?」
「よくない」

即座に応えてしまって、にんまりとした笑みに再び、しまった、と心の中で呟いてしまう。

「ならば潔くスパッと教えることだ。なに、安心しろ。気に入らないなら正直に云ってやる」
「それも微妙だがな……」

だがおかげで気が楽になった。
立ち止まったままの少女の耳元に身をかがめて、そっとささやくように名前を贈る。

「――――、だ」

少女は一度その名前を呟き。

そして花開くように、心の底から嬉しそうに笑った。アルセイドはその様を見て、ふと胸にこみ上げるものを感じた。衝動に従う。ごく自然な動きで、思ったほど勇気が必要でなかったと気づいたのは唇に触れた後だ。

閉じていた瞳を開いて、名前を贈ったばかりの少女は、悪戯っぽく微笑んだ。
その微笑が気恥ずかしくて、アルセイドは前を向いて歩き始める。ふふ、と笑声が響いて、片腕に少女がしがみついてきた。

「莫迦だなあ、アルセイド」

腕にしがみついてきた少女の温もりに、笑みを浮かべながらそれでもアルセイドは前を向いていた。
頬が熱い。

だが。

――まばゆく輝いている太陽、どこまでも青く澄みきった雲ひとつない空が嬉しい。

歩きづらいので腕にしがみついていた少女の手を取り、握りしめた。
笑声はまだ続いている。

けれど、悪くない気分だった。

<FIN>

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