気配

ことこと、と鍋がやさしい音で揺れている。
ふわりと漂うスパイシーな香りに、私は満足に微笑んだ。今日はあちらの世界の具材を使った煮込み料理を作っている。≪彼≫はこちらの世界の料理も好んでいるけれど、やはりいちばんはあちらの世界の具材だ。舌が馴染んでいるのだろう。美麗な面持ちを子供のように輝かせて、ぱくぱくと食べる。黙っていれば貴公子であるのに、どうしてあそこまで食欲旺盛なのか。もっとも私はそんな彼が嫌いではない。ううん、むしろ、

(――――だめ)

思考がつぶやきかけた言葉を、とっさに押しとどめる。その先は言葉にしてはならない、どうしても。なぜなら私と≪彼≫は違う生き物だからだ。完璧たる種族である私は、いずれ≪彼≫をおいて先にいなくなってしまう。

だから距離を、縮めようとしてはならない。
料理人とお客、このままの関係で満足するべきだ。

でも、食材を選ぶときに、今日のメニューを決めるときに、≪彼≫の子供のような表情が脳裏に浮かぶ。ああ、だめだ、と思っていても、指が舌が、彼の好む味をつくりだそうと企んでいる。なさけない、私はたくさんのお客様に楽しんでいただける料理を提供する、そう決めているのに。

(けれど)

窓の外では雨が降り続いている。きっとあちらの世界でも同様に雨が降っているのだろう。でもこの気候に慣れているからこそ、天気の予想がつく。きっとまもなく雨はやむ。きれいな夜空を私たちは見ることができるだろう。

そんなときに、≪彼≫はやってくるのだ。

だから私は、≪彼≫が好む料理を作って待っている。
晴天と共に。あの美麗なる貴公子がやってくる気配をすでに感じ取っているから。

016:気配▼
(『24時間、料理の注文承ります』 エマ・ウィルソン)はい、おばあちゃんのお話です。シャルマンとおばあちゃんの関係は、あくまでもプラトニックなものです。最終的におばあちゃんはおじいちゃんと結婚しますし、シャルマンは魔方陣に振り回され立ち去ります。でもおばあちゃんはシャルマンが戻ってくることを待っていたし、シャルマンはおばあちゃんに会いに行くつもりでした。二人をつなぐのは料理、ですけど、それ以上の共鳴的なつながりがあった、とわたしは認識しています。

2011/09/07

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