(さて、どうしよう?)
キーラは沈黙したまま、考え込み始めた。無意味に服を払って、間を作ってみる。
だがそんな短い時間で考えがまとまるはずはない。ちらりとアレクセイをうかがった。見事に視線が合う。セルゲイに話しかけられながらも、王子さまはキーラを見つめていたようだ。その眼差しには失望も落胆もない。ただ、キーラを見定めようとする眼差しだと感じた。ひやりとした感覚が背筋を走り抜ける。
(やっぱり、話さないほうがいいかも)
心の天秤が平穏な方向に傾く。さりげなさを心掛けてアレクセイから視線を外した。
「まんまと逃げられてしまったのう、キーラ」
ぐしっ、と肩に重みがかかった。リュシシィがもたれかかってきたのだ。楽しげに紡がれた言葉に溜息をついて、肩にかかった腕をぴんと人差し指ではじく。だがリュシシィはキーラの肩から退こうとはしなかった。
「そうね。あたしだけじゃなく、あなたたちも相手していたのに」
「まったく、失態じゃ。アレクセイ王子、あやつは何者であったか、あなたはご存じか?」
当然というべきだろう、三人娘たちはアレクセイの素性も知っていたらしい。気負わず訊ね、答えを待っている。沈黙していたカールーシャも、倒れている傭兵たちを治療しているメグも、同時に顔を上げて、アレクセイを眺めた。王子はすでに微笑を浮かべていた。
「敵ですよ。あいにく、今までに捕えたことはありませんから、それ以上は不明です」
やれやれ、と、キーラにもたれかかったまま、リュシシィが肩をすくめる。
まあ、答えが得られるとはリュシシィも考えていなかったらしい。ようやくキーラから離れ、治療に戻ったメグの隣に座りこむ。意識を取り戻したらしい、傭兵たちのうめき声が聞こえた。メグが顔を上げて、咎めるようにアレクセイを睨んだ。
「少々やり過ぎですわ。あなたならもう少し手加減出来たのではありませんの?」
「お控えいただこう、守護者どの。そもそもそちらの魔道士どのが有能であれば、殿下が剣を振るうことにもならなかったのだ」
そう云ったセルゲイが、わざとらしくキーラを横目で眺める。
かなり感情が逆撫でされた。これだから気に食わないのだ。心の天秤は完全に傾き、このまま沈黙することに決めた。悪かったわね、と、わざとらしく告げて、背中を向ける。
よし、このままこの場を立ち去ればいい。いまは誰もが、キーラが傍観していただけだとみなしている。一般市民でありたいのだ。キーラはこれ以上関わらなければいい。
「ああ、待ってくださいキーラ」
(名前を呼び捨てしてもいいとは云っていないんだけど)
それでもしぶしぶ振り返った。アレクセイは微笑んでいる。
しまった、と顔色を変えた。ひやり、と先ほど過ぎた感覚を思い出したのだ。先ほどのアレクセイは、キーラを訝しんでいた。セルゲイを制して、キーラの元に歩み寄ってくる。
「危険な目にあわせて申し訳ありません。大丈夫でしたか?」
まっすぐに見つめてくるアレクセイから、顔をそむけてキーラは応えた。
「気にしなくていい。あたしは無事だし、痛い状況を見なくて済んだんだし、」
「―――――では、あなたが最後に放った魔法について教えていただけますか」
この場を何とかやり過ごそうとしたキーラは、ぎくりと動きを止めていた。
思わずアレクセイを振り返ろうとしたが、思い直してまず困惑する表情を作った。欺こう。即座に決めたが、動揺は抑えきれない。やっぱり、気づかれていたのだ。
だが放った魔道の正体を話せば、おそらく、キーラは巻き込まれてしまう。不穏な事情に。よりにもよって、一国の進退を左右する大きな事情から、逃れられなくなるのだ。
「あれは見事に拡散してしまったようじゃが? おそらく、あのペンダントは逃走用の転移魔道が組み込まれていたのじゃ。緊急時用だからこそ、防御魔道も組み込まれていた、と、そういうことではないかな」
首を傾げて、リュシシィが言葉をはさむ。メグも頷いた。
ただ、ずっと沈黙していたカールーシャが、キーラを眺めながら口を開いた。
「リュシー。キーラが、その仕組みに、気づかないはずがない」
その場にいた人々の視線が、一斉にキーラに集まった。まずい。困惑した表情を作りあげながら、ひくりとひきつる口元を抑えきれなかった。セルゲイが眉を寄せる。
「きさま、まさか」
「怖い顔をするものではないよセルゲイ。キーラはまだ、わたしたちの依頼に応じていない。だからこそ、ペンダントにぶつけた魔道が攻撃のための魔道ではなく、追跡のための魔道だと云うことを話さなければならない義理はどこにもないのだから」
とりなすようでいて、確実にキーラを追い詰めるアレクセイの言葉である。
ほう、と、溜息が響いた。呆れた様子を隠さないカールーシャが、口を開く。
「でもマーネ市民としては、わたしたちの問いかけに応えなければならない」
「でなければ、市民権は剥奪だのう」
目を細めて、リュシシィも言葉をはさむ。ぎょっとキーラは三人娘を振り返った。
「ちょっと! 王子さまの言葉を軽々と信じたりしないでよ!」
悪あがきだと自覚している。だが一度始めたごまかしは最後まで続けるものだ。
でなければ、平穏な生活が。キーラの願望が!
すると、いつも優しげに微笑んでいるメグが、憂いを込めて首を傾げた。
「では、キーラ。あなたは本当に追跡魔道をかけていないと?」
当たり前じゃないの、と口を開こうとして、メグの眼差しに射抜かれた。心の底からキーラを信じようとする瞳だ。この場では唯一、向けられる純真な瞳と云ってもいい。
口を開き、閉じる。云おうとした言葉は頭の中から消去された。
やがてキーラはうなだれながら、云いたくない言葉を唇から押し出した。
「……。……ごめんなさい、追跡魔道をかけました」
強い敗北感を覚える。ここで云い逃れられないところが敗因だとよくわかっていた。