認められる条件として資格は有効でした。 (7)

 すぐそばで見上げると、帆船の迫力はなかなかのものだ。
 マーネの港からコーリャの船に乗り込むときにも同じ感想を抱いたが、今はそれ以上の圧迫感を覚える。たぶん、緊張しているからだろう。ゆらゆら揺れる小舟で、キーラは深く呼吸を繰り返していた。気を静めようとしていると、先に乗り込んだキリルがひょいっと見下ろしてきた。縄梯子をなかなか上がらないから心配になったのか。

「大丈夫ですかー?」

 うん、とうなずいて、キーラは覚悟を決めた。縄梯子をつかんで、のぼり始める。小舟にはセレスタンが残っている。途中で見下ろせば、気遣わしげな眼差しを向けていたから、小さくうなずきを返した。船縁にたどり着けば、見守っていたキリルが手を差し出し、引き上げてくれる。たどり着いた甲板で、ふう、と、息を吐いた。

「本当にだれもいないのね」

 目の前に広がる甲板は、がらんとしていた。人の気配はなく、しんと静まり返っている。用具はちゃんとあるべき場所に備えられていたが、甲板が砂と埃で汚れている。何日、みがいてないんだろう、と、キーラは考えた。甲板磨きはほとんどの船が毎日行う習慣だ。すなわち、みがいていない期間だけ、この帆船から船員の姿が消えたということになる。キーラがそう云えば、つるりと頭をそっているカジミールがうなずいた。

「たぶんな。三日くらいは、海をさまよっていたんじゃねえかと思うぜ」

 三日、という数値に、眉を寄せる。まさかマーネから追いかけてきたのだろうか。
 思わず視線が、操舵室に向かう。あそこにいる人物はコーリャの船にも、キーラたちがこの船に乗り移ってきたことにも気づいているはずだ。にもかかわらず、沈黙している。
 敵なのか、それとも、ただの漂流者なのか。そもそも他の乗船者の気配を感じ取れないのはどういう理由だ。さまざまに考えていると、「キーラ」とアレクセイが呼びかけてきた。

「探査をもう一度試みていただけますか」

 考えたことは同じらしい。うなずいたキーラは力を集め、操舵室を探った。船全体ではなく、操舵室だけに集中したためだろう。先にわからなかったことが、今回はわかった。相手は船員ではない、魔道士だ。独特の波動が伝わってくる。しまった、と、気づいた瞬間に、力を集めた。相手の傾向が読める。ただちに甲板に立つ面々に力を張り巡らせた。

 じゅうっ、と、操舵室の扉が消えた。セルゲイとキリルが剣を構え、それぞれ護衛対象の前に立つ。同時に、襲いかかってきた炎が、皆の上に降り注いだ。キーラは唇を結んで、張り巡らせた力を持ちこたえる。想像以上の威力に、眉をひそめた。この船の関係者じゃない。そう感じた。いまの攻撃は、船への愛着など感じさせない、容赦ない攻撃だった。

「おや、人違いだったか」

 開け放たれた扉から、そんな声が聞こえる。ややかすれた、若い男の声だ。
 だが姿が見えない。攻撃してきた相手は現れない。キーラたちは互いに顔を見合わせ、うなずいた。セルゲイとキリルが身構えながら、操舵室に近づく。キーラは護りの力を維持したまま、歩き始めたアレクセイに並ぶ。カジミールが背後に立ち、後方を警戒する。

 やがて操舵室の中が見えてきた。キーラは唖然と口を開く。

 そこにいたのは、緋色の肩掛けをまとった男だ。ぼさぼさの髪に、伸び放題のひげ。奇妙なことに腕を後ろ手に縛られ、椅子にくくりつけられている。哀れで見苦しい姿だ。だが前髪の間からこちらを見据えてきた、群青色の瞳が、そんな侮りをはねのける。彼は誰よりも先にキーラを認め、目をみはる。キーラが身にまとっている、紫紺の肩掛けに気づいたのだろう。きゅっと口端を持ち上げた。

「これはこれは。まさかこんなところで紫衣の魔道士とお目にかかることになるとは」

 楽しそうな口調で、魔道士は言葉をつむぐ。

「そうか、キーラ・エーリン。最年少の紫衣の魔道士が、そういう名前だったね」
「あたしごときの名前をご存じのようで、光栄だわ」

 まだ他の面々を護ったまま、キーラはつっけんどんに応えた。
 相手は縛られている人間である。おそらく数日は、そのままだったのだろう。だから優しく対応するべきなのだろうが、いきなり攻撃された事実が響いている。口を開いて問い詰めようとした時、肩に大きな手のひらがかかった。キーラは隣を見上げる。アレクセイが微笑んでいた。優美な美貌を見上げて、しぶしぶ口を閉じる。ひとつうなずいて、アレクセイが前に進み出た。セルゲイとキリルが静かに場所を譲る。

「どうして縛られているのですか?」

 二人のやり取りを見つめていた魔道士は、まじまじとアレクセイを眺める。やがてふっと唇をゆるめて笑った。意外なことだが、子供のような笑顔である。

「厄介な女に捕まってね」

 魔道士は陽気な口調で応える。厄介な女? だがおとなしく捕えられたままでいる事実が解せない。魔道士なのだ。それも赤衣の魔道士なら、縛られていても逃れる方法はある。やけどを覚悟して縄を焼き切ればいいのに、と、キーラは不思議に思った。

「奇妙な依頼に断りを入れたら、この始末だ。気の毒だと思ったら、ほどいてくれないか」
「いきなり攻撃された身としては難しいですね。あなたが本当に、わたしたちに害意を向けない人物か否かを見極めなければ、助けることはできません」
「おやおや、それが紫衣の魔道士を従えて云う言葉かな? おれは赤衣だよ。万が一、暴れ出したとしても、紫衣の魔道士なら簡単に抑えられるだろう」
「世の中には絶対の安心というものはないのよ」

 キーラは、つい、言葉をはさんでいた。魔道士が眉をはね上げる。口を開いて何か云い出そうとする前に、さらに言葉をつづけた。

「あたしは確かに紫衣の魔道士だけど、地位に甘んじて、油断したくない。雇われている人間として、自分がいれば万事大丈夫です、なんて、間違っても云わないわ。雇用者を危険にさらしたくないの。だからあたしの存在をあなたの安全証明に使わないでちょうだい」

 アレクセイが、ちらりと笑った。キーラに視線を流した後、魔道士を見つめる。

「というわけですよ。実際、弱ったふりをして敵地に潜入する、というやり口がありますからね。自然、あなたには警戒せざるを得ないわけです」

 魔道士はがくんとうなだれた。落胆したのか、と思ったが、ちがった。気配が変わる。

タイトルとURLをコピーしました