認められる条件として資格は有効でした。 (9)

     しめあげた魔道士は、襟元をつかまれたまま気絶してしまった。

     軟弱な、と舌打ちしかけたが、そもそもこの魔道士は数日にわたって絶食を強いられていたのだ。ケロッと忘れていた自分に、さすがに羞恥を覚えながらアレクセイを振り返る。
     微妙な表情を浮かべていた王子さまは、視線が合うと取りつくろうように微笑んだ。

    「この男の縄、ほどいてもいい?」

     ちらりと魔道士に視線を向けたあと、アレクセイはうなずいた。

    「かまいません。いろいろ話をうかがいたいところですし、連れ帰りましょう」

     すると肩をすくめたカジミールとキリルが動いた。キーラの肩を押してアレクセイの近くに導き、縄をほどいてぐったり気を失っている魔道士を担ぎ上げる。操舵室を出ていく二人を見送って、キーラはアレクセイを見上げた。視線に気づいて、「なにか」と問いかけてくるものだから、率直に疑問をぶつけることにした。

    「青衣の魔道士、ってなに?」

     そう問われることを予測していたのか、アレクセイの眼差しは静かだった。

    「以前、わたしたちを襲ってきた魔道士のことですよ」

     ふうん、と相槌をはさんで、当然、さらに追及した。

    「でもわざわざ消息を訊いたということは、それだけの関係じゃないわよね。青衣の魔道士は、あなたから特別なものをとりあげたひとなの?」

     そう続けると、アレクセイではなくセルゲイの顔色が変わった。
     ハッタリなのだ。直感が導くまま、浮かんできた疑問をぶつけたに過ぎない。

     だが、セルゲイのわかりやすい動揺に視線を向けて、しっかり見届けた。再びアレクセイを見つめれば、しかたなさそうな苦笑を浮かべていた。キーラがなにを見て、なにを確信したのか、理解したのだろう。ええ、と浮かべていた微笑みに、わずかな苦みを増やした。

    (それは、なに)

     アレクセイとセルゲイの反応を見て、キーラは確認しようとした。
     けれど奇妙なためらいが、ふっと胸に通り過ぎる。そこまで立ち入って大丈夫なのか。思考がつぶやいた言葉は、キーラを我に返らせる。あたしは、なにをしようとしているのか。

    (あたしは、さっさと依頼を遂行して、マーネに帰るのよ)

     ――――でもアレクセイがとりあげられたものを聞いてしまえば、たぶん、後戻りできなくなる。

     根拠もなにもないのに、なぜだか、強くそう感じた。開きかけた口を閉じて、うつむいた。沈黙が留まる。アレクセイもセルゲイも、なぜだか、なにも云わない。緊張に彩られた、気まずい雰囲気にいたたまれない。ふっと息を吐いた。しいて口端をもちあげて、えいやっとアレクセイを見上げる。静かな眼差しだ。似た眼差しを以前にも見た。

     キーラを見定めようとする眼差しだ。以前はひやりとした感覚を覚えたが、いまは苦笑にも似た想いが湧き上がってくる。腰に両手をあて、首をかしげて訊ねる。

    「それで王子さま? あたしはあなたと共に、フェッルムの島に向かえばよろしいのでしょうか?」

     アレクセイの緊張が、たちまち軽やかにほどける。唇の端が持ち上がり、いつもの微笑を浮かべた。優美な美貌が引き立つ、王子さま「らしい」微笑みだ。

     これがアレクセイの笑顔だと思っていたけれど、あの夜から、彼は違う微笑みを持っているのではないか、と思うようになっていた。だからちょっと失望する。

     でも。

    (あたしは、これでいい)

     アレクセイが、王子さまとしての仮面を取り去るところなど見たくない。見てしまえば、依頼主ではなくて、友人になってしまう。重いものを担う王族と、友人関係を結ぶなどごめんだ。そんなことをしたら、キーラはマーネに戻れなくなる。

     夢が、叶わなくなる。

    「そうですね。頼りないわたしとの同行を、了承していただけますか」

     ちくりと皮肉が混じった言葉に、キーラは顔全体をつかった笑顔を返した。

    「了解です、王子さま。ただし、フェッルムの島に行けば、あたしはまったく使い物にならなくなります。フェッルムの島とは、そういう場所ですから」
    「かまいません」

     フェッルムの島に関する、知識があるのかないのか。さっぱりわからないが、アレクセイの返事には迷いというものがなかった。あのときに聞いてしまった清々しい決意表明を思い出す。いまの返事と、よく似た響きの言葉だ。あの夜、が、あったから、気づいた。

    「では帰りましょう。コーリャ爺とアーヴィングにいまのこと、報告しなくちゃ」

     浮かべていた笑顔にほんの少しだけ苦味が混じる。だからそれは、仕方ないことなのだ。

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