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 約三十年前、ひとつの醜聞がエクレーシア皇室を襲った。
 優秀と評判だった皇太子が、若き未亡人と恋に落ちたのだ。

 上流階級の人間はおろか、路地裏に住む浮浪児にまで、その醜聞は広まった。良識のある人々は眉をしかめ、そうでない人々は思いがけないロマンスをはやし立てた。なにしろ身分制度が確立している国だけに、階級を超えた恋愛は珍しいのだ。

 もちろん皇太子には婚約者がいた。だが情熱に目のくらんだ若者は、幼なじみでもある婚約者ではなく、伯爵家の家庭教師をしていた未亡人を選んだ。婚約者を泣かせて、一使用人との結婚を願い出た息子に、父親である皇帝は激怒した。

 皇太子はもともと穏やかな性質で、これまで両親の意向に逆らったことのない息子であるから、驚きの分、皇帝の怒りが増したのだろう。謁見の場で婚姻を申し出た皇太子を、皇帝は殴り飛ばしたといわれている。

 それでどうなったのかと言えば、いくら諌めても聞かぬ皇太子は皇位継承権を剥奪され、皇室から除籍されたのだ。その結果、三歳年下の妹皇女が翌年、女帝として即位する運びとなる。

 帝民にとってさいわいなことに、新しい女帝は賢く正しく国を治めたため、エクレーシア帝国はおおむね穏やかに繁栄した。

 帝民として暮らしている元皇太子夫妻の存在も、帝民たちは次第に忘れていった。ーーその十九年後、帝都カーマインを震撼させる事件が起こるまで。

 それは、四人の娼婦をむごたらしく殺害する、猟奇殺人だった。

 わざわざ殺害予告を警視庁に出す愉快犯は、警察官たちの捜査の手を何度もかいくぐった。カーマイン帝民は残酷な殺人犯に怯え、名だたる新聞はそろって警察の無能をののしった。それでもいっこうに犯人が捕まらず、このまま迷宮入りするかと思われたとき、当時十六歳に過ぎなかった一人の少年が、狡猾な殺人犯を捕まえたのである。

 その少年の名前を、アンドレアス・スペンサーという。

 成人もしていない少年が捜査官を出し抜いた事実に、帝民はひどく驚嘆し、さらにアンドレアス少年が、かつての皇太子と未亡人の間に産まれた一子だと知れば、熱狂した。

 なにしろ、頼りになるはずの警察さえ捕縛できない、残酷な殺人犯の脅威から、自分たちを守ってくれたのだ。おまけにアンドレアス少年は、美貌を謳われた母親譲りの容貌の持ち主であったから、ますます帝民は少年の虜になった。

 結果、少年の父親が皇太子としての義務を放棄した罪はなかったものとされ、さらに、スペンサー一家を再び、皇族に戻すことまでも帝民は熱望した。そうしてついには、皇室も帝民たちの要望を聞き入れ、一家を再び皇室に迎え入れたのである。

 しかし当のアンドレアス少年は皇位継承権を返上し、犯罪のスペシャリスト、すなわち探偵として生きることを選んだ。

 帝立エクレーシア学院を卒業したあとは、警察と協力しながら、ときには警察権力も及ばない、さまざまに厄介な事件を解決して、たびたび新聞を騒がせている。

 たとえば、四年前。

 現女帝の第一子、エドガー・アーヴィング皇太子殿下の婚約者候補でもある、とある公爵令嬢の命と名誉を奪おうとしたアシュバートン男爵夫妻を捕えた人物も、皇太子の指示を受けたアンドレアス・スペンサーである。

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