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「察するに、あの霊媒師の女性は、南大陸の移民ですね。ひとことも話さなかった理由も、それで納得できます」

 なにごともなく交霊会を終えたあと、なじみのパブに落ち着くなり、レイモンドはビールグラスを片手につぶやいた。

 フィンはと言えば、なにかを言い返す気力もなく、おとなしくオルジェーをすすっている。空腹も尾を引いているが、今度こそ、と期待して意気込んでいただけに、失望も大きいのだ。かぐわしい柑橘類の風味も、沈んだフィンの心には届かない。

 会話にのってこないフィンを、レイモンドは苦笑して見下ろした。大きな手のひらをのばして、ぽんぽんと頭を叩く。子供扱いするな、と怒ってもよかったが、フィンは素直にそのぬくもりに甘えた。ぽろりと不安を吐き出す。

「姉さまは本当に、霊媒師として活動してらっしゃるのかなあ……」

 思いがけないことばだったのか、レイモンドは大きく目を見開いた。
 それはそうだろう。故郷を出て四年、帝都カーマインに落ち着いてからというもの、たった一人残された兄と二人で生計を立てている、男装の少女フィン・ターナーとして振る舞ってきたのだ。これまでの歳月において、フィン・ターナーの生活圏で、「姉」という単語を口にしたことはない。フィン・ターナーに姉はいない。そういう設定にしているからだ。

 けれどいま、フィンはぽろりと「姉」という単語を口にしていた。もちろん確保したテーブル席のまわりに、人がいないという事実が大きく関係している。しかし本当の理由は、もう、フィン・ターナーとして振る舞えないほど、失望したからだ。

 包み込むような表情をたたえて、そっとレイモンドが訊ねてきた。

「お疲れですか、フィオナさま」

 ほとんど聞こえない、ささやきをそれでもちゃんと聞き取って、フィンは苦く笑った。ごまかすように、もうひとくち、オルジェーをすする。喉を潤わせているのに、どこか、泥水を飲んでいるような、苦々しい感触がどうしても拭いきれない。

「もう、四年になるんだものね」

 そんなことばを返せば、レイモンドはなにも言わないまま、まぶたを伏せる。
 いや、なにも言えないのか。

 ずっと頼りにしてきた従僕に気を遣わせてしまった事実を申し訳なく感じながら、フィンは目をつぶり、姉アマンダの姿を脳裏に思い描いた。写真も肖像画もないから、あいまいにすり切れている部分もあるけれど、あざやかな紅色の髪と、勝ち気そうな青い瞳だけは、はっきりと思い描ける。皇太子妃候補にも選ばれた、自慢の姉。行方不明になって、もう、四年になる。

 届けを出した警視庁でも、先日、とうとう生存を諦めるように言われてしまった。

 たしかに生まれながらに男爵令嬢として育った、当時十六歳の少女が、完全に姿を隠せるかと言えば疑問なのだ。地位も名誉も財産も失った貴族令嬢の落ち着く先として、あらゆる悪所は四年もの歳月をかけて探索されたと聞く。救貧院もだ。それでも見つからないのだから、生存を疑うのはむしろ当然の成り行きだろう。

 それでも、フィンは信じている。
 姉アマンダ・アシュバートンは、間違いなくどこかで生きていると。

 なぜなら姉はそんなにか弱い人間ではないのだ。むしろ困惑するしかないほど、生命力に満ちてまばゆい、ある意味たくましい人間である。どんな手を使ってでも、生き延びていると確信している。ただ、問題はどこでどのようにして生きているのか、なのだ。

 重苦しい沈黙がテーブルを取り巻いた。レイモンドもフィンも、飲み物をちびちび飲むばかりで、それ以上の会話をかわそうとしなかったが、両手に料理の皿をもって歩み寄ってきたうつくしい少女が、あっけらかんと沈黙を破った。

「はい、おまちどう! どうしたの、二人とも辛気くさいツラをしてるわね」

 あまりにも率直なことばと、漂ってきたかぐわしい香りに、フィンは思わず唇をほころばせていた。それは向かい側に座るレイモンドも同様で、料理の大皿を受け取りながら、「辛気くさいとは、言ってくれますね」と苦笑しながら言い返した。ぱっぱと身軽になった少女、このパブの看板娘であるキャシーは呆れた様子で腰に手を当てた。

「事実でしょ。二人とも葬式帰りか、っていうくらい、暗い顔をしてたわよ。なに、とうとうフィンがクビになったの?」
「縁起でもないこと、言わないでよ!」

 しかも、とうとうとはなにごとだ。
 思わずむきになって言い返せば、キャシーは「はいはい」と軽い調子で応える。

 だが琥珀色の瞳は悪戯っぽくきらめいてフィンを見つめてきたから、少しばかりばつの悪い感触でそっぽを向いた。友人でもあるキャシーのことばが、フィンを奮い立たせるための発言だとわかっている。レイモンドといい、キャシーといい、気を遣わせてばかりだ、と自分の幼さも情けなく感じながら、刺激的な香辛料の匂いに惹きつけられた。ぐう、と腹が鳴る。聞きとがめたキャシーが華やかに笑って、茶目っ気たっぷりに一礼しながらメニューを説明する。

「安くて質のいい香辛料を扱う商人と取引を始めたからね、今日のおすすめは羊肉のカレー煮込みでございます。それからレンズ豆のスープとほうれん草のタルトね。お代わりが欲しかったら、いつでも声をかけて」
「ごちそうですね。フィン、いただきましょう」

 笑顔を取り戻したレイモンドに話しかけられ、フィンはあわただしく食前の祈りを済ませて、カトラリーを取り上げた。

 しばらく無言で二人は手と口を動かす。マスターの手腕が充分に活かされた、すばらしい味付けの料理を堪能していると、すぐ離れるかと思われたキャシーがなぜか、テーブルの傍に立ってにこにこと二人を見守っていることに気づいた。いつもなら適度なタイミングでテーブルを離れるのに、と気づいたフィンは、もぎゅもぎゅと食べ物を飲み込んでから口を開いた。

「どうしたの、ご機嫌じゃない」

 するとキャシーは「うふふ」ともったいつけるように笑って、「さっきまで素敵な人が来てたのよ」と応えた。

 素敵な人。

 それなりに流行っているパブの看板娘として、多くの男たちから秋波を送られているからこそ、そういう方面では醒めているキャシーには珍しく、乙女らしい発言である。ぱちぱちとまたたいて、「素敵な人?」と訊ね返した。

「そう! いままで一度もいらしたことのないかたでね、まるで物語に出てくるような素敵な貴公子だったの。おつれのかたも、明るく誠実そうな人で、……フィン、どうかした?」

 キャシーの言葉を興味深く聞いたフィンは、疑惑をむくむくと育ててしまった。
 物語に出てくるような、素敵な貴公子。
 不幸にも、そう表現されるにふさわしい男性を一人、フィンは知っている。
 というか、今日、会ったばかりだ。

 フィンの疑惑を察したレイモンドはちょっと苦笑して、「お名前を聞いたのですか」とキャシーの関心を自分に引き寄せた。フィンの様子に首を傾げながらも、どうやら貴公子について語りたかったらしいキャシーはあっけらかんと話題を戻した。

「まさか! でもお連れのかたが呼びかけていた愛称はチェックしておいたわよ。アンディって呼ばれてたわ。って、フィン!」

 のどの奥で低くうめいて、テーブルに突っ伏したフィンを、キャシーはひどく驚いた様子で呼びかけてくる。

「気にしないでください。今日、フィンがしでかした失敗にまつわる人物がアンディと呼ばれていたんですよ」
「あら、すごい偶然! とにかくそんなわけで今日はご機嫌なのよ。って、いけない、父さんが呼んでる!」

 レイモンドが告げた適当な嘘っぱちをあっさり信じて、マスターに呼ばれたキャシーはテーブルから離れていった。

 慎重にその後ろ姿を見送ったレイモンドはやがて、苦笑を浮かべたまま、テーブルに懐いているフィンに呼びかける。

「あー。気持ちはわかりますが、いまは食べませんかフィン。せっかくのおいしい料理が冷めてしまいますし」
「……わたしの平和な生活が、憩いの場所が、アンドレアスに侵されていく……」
「被害妄想というんですよ、フィン。アレクの店はおいしいのですから、万人に扉は開いています。ええ、しかたありません」

 なにやら微妙にずれたレイモンドのフォローだったが、とりあえずフィンに起き上がる気力を与えた。

 だからといってすぐ食事に取りかかれる心境ではなく、フィンはまた、ちびりちびりとオルジェーをすすり始めた。レイモンドはもう、フィンにそれ以上を告げるでもなく、黙って食欲を満たしている。しかたないのだ、探偵アンドレアスの行動は。

 やがてため息ひとつついて、心の整理を終えたフィンも、せっかくの美味を堪能すべく、カトラリーを皿に伸ばした。

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