2−2

    どうしてくれようあの野郎。

    いってらっさい、と、ひどく楽しそうにはずんだ声音で、アンドレアスと自分を送り出したジョン・ナッシュへの報復をあれこれ考えながら、フィンはとりあえずおとなしく、前を歩くアンドレアスに続いた。なにしろ雇用主が許可を出したのだ、従うより他ない。

    むかむかとこみ上げる憤りは、雇用人を娯楽扱いにしているジョン・ナッシュにぶつけるべきだろう。きっかけはアンドレアスだが、彼には関係ないことだとさすがにわかっている。

    アンドレアスは、迷う様子もない足取りで、さかさかと歩き続けている。

    どこに向かっているのか、と、不思議に感じながらも小走りに追いかけていると、唐突に、歩く速度が落ちた。ちらりと紫の瞳がフィンを振り返る。

    まさかと思いたいところだが、フィンの歩く速度に合わせてくれているらしい。全力で否定したいが、あいにく他の理由が見つからない。

    いまいましい。

    習慣のようにこぼれた悪態は唇の内側にとどめて、フィンはわずかに黙礼しておいた。

    やがてアンドレアスが足を止めた場所は、公園だった。毎日、通り過ぎている場所だが、名前までは覚えていない。公園といっても、ただ、芝生とポプラの木が植えられている、本当にささやかな場所だ。商売熱心な牛乳売りの屋台すら並ばないところでもある。

    むしろアンドレアスがこの場所を知っていた事実に驚きながら、振り返ってこちらをまっすぐに見つめてきた彼に、フィンはたじろいだ。

    「レイレーク、ポーレット、ライド・アーク、そうして昨夜はボッシュ地区か」

    ところが、前触れもなくアンドレアスが口にした地名に、たちまち、フィンの心地はすっと冷えていく。

    いずれもここ最近、レイモンドと共に訪れた場所だ。

    アンドレアスが、なぜ知っている。ひややかな本音を、しかし口には出さず、逆にまなざしに力を込めながら、フィンは端然とした無表情でいるアンドレアスを見返した。

    「わたしの覚えている限り、きみは現実主義者だった。心霊主義など笑止に過ぎないだろうに、なぜ、きみは交霊会などに参加している?」

    優先順位を思い出せ。直裁的な詰問を受けながら、フィンは心の中でつぶやいた。
    自分たちにとって、いちばん大切な目的は、行方不明となっている姉を見つけること。

    だからこそ考えなければならない。いま、自分たちが姉を求め、交霊会に参加しまくっている事実を、アンドレアスに悟られる状況は、プラスになるのか、マイナスになるのか。

    ーーマイナスに決まっている。フィンの思考は、すみやかに答えを出した。

    アンドレアスの性質はよく知っている。なにごとに対しても公平に判断する人物だ。過去の友誼を思い出せば、フィンが第一に掲げる、姉探しに理解してくれそうだとも感じる。
    けれど、探偵なのだ。それもエクレーシア帝国皇族に連なっている人物であり、そして四年前には、おそらくは皇太子の指示に従って、フィンの両親を捕えた人物でもある。

    だからフィンは、ふっと唇をほころばせた。剣呑な色をたたえているだろう瞳をごまかすために軽く目を細めて、あたかも困惑の仕草で首をかしげてみせた。

    「だから、わたくしのまわりを犬のように嗅ぎ回っていらしたんですか?」

    わざと、侮辱的な表現を使った。

    相手は、あの自尊心が高いアンドレアスだ。失礼な言い回しに気分を害してくれれば、と考えたし、また、自分が不快に感じている事実を伝えられたら、とも考えた。

    だが、さすがというべきか、アンドレアスの表情は、ぴくりとも揺らがない。

    どっしりとした沈黙を返され、フィンは深々と息を吐いた。ちっぽけな挑発では動じてもくれない知己を、とても面倒に感じながら、観念した様子をとりつくろった。

    「……四年前からずっと、不思議に感じている事実があります」

    まだだ。まだ、アンドレアスの追求を逃れる方法はある。

    フィンが次に閃いた方法は、おそらくアンドレアスにとって応えられないだろう、問いをぶつけること。かつて、フィンが深刻な心地で抱いた、帝国への不審をぶつけることだ。

    事実、そう言いながらまなざしを合わせると、アンドレアスはかすかに眉を寄せた。
    安堵を露にしないように気をつけ、慎重な声音になって、そろそろと告げる。

    「なぜ、両親の裁判はあれほど早くに終着し、そして、刑もなぜ、あんなに早くに執行されたのか。たしかに両親は罪を犯しましたが、それでも貴族です。通常ならば、もっと猶予があっても、それこそ情状酌量の余地があってもおかしくなかったのでは」
    「まったく話がつながっていないぞ、フィオナ」

    不審を口にしながら、フィンはアンドレアスの様子を観察したが、とくに変化はない。
    それでも、フィオナのどこかが、違和感を覚えた。考え込むまでもなく、すぐに理由に気づく。今度こそ、本物の微笑が、唇に浮かんだ。

    「なぜ、わたくしのことばを遮るのですか、アンドレアス」
    「……率直に、思ったことを告げたまでだ」

    まったく、探偵のくせに。

    それまでの思考をすべて吹っ飛ばして、フィンは思わず心の中でつぶやいた。
    探偵のくせに、犯罪捜査のスペシャリストを自任しているくせに、容疑者に対峙している真っ只中に、自分自身の感情を取り繕えないところは問題ではないのか。

    苦笑じみた想いが、ふっとフィンの口をゆるめた。油断した。

    「だから、交霊会に参加しているのです、と、わたくしは続けようとしたのですけど?」

    そうと気づいたのは、言い終えて、すぐ。
    アンドレアスの傍、ポプラの木の影が少し太い、と、なにげなく考えた、そのあとだ。

    「交霊会に参加している理由は、四年前に抱いた疑惑を晴らすためなんですか」

    まったく聞いたことのない、それでも若い男のものだとわかる声が、唐突に響いたのだ。
    同時に、ポプラの木陰から、背の高い男が現れた。フィンは目を見開き、とっさにアンドレアスを見た。アンドレアスは苦々しげに男をにらんで、とげとげしい調子で告げる。

    「彼女への質問は、わたしに任せる手はずではなかったのか」
    「あいにくだけどね。あれからヴィクトリアさまにお願いされたんだ。フィオナ・ノリス嬢がアマンダ・ノリス嬢に接触しないよう、保護してくれって。それで僕なりに考えてたんだけど、フィオナ嬢を保護したあとでも、きみ、フィオナ嬢への質問は出来るよね?」
    「詭弁だ」
    「うん、自覚してるけどー?」

    遠慮のないアンドレアスの言葉を、あっけらかんと流した男は、フィンに向き直った。
    アンドレアスと同い年くらいか。逃げ出したくなる衝動をこらえながら、まっすぐにフィンを見下ろしてきた男を観察し返す。すっきりと整った顔立ちの、軽妙な雰囲気を漂わせた男だが、やけに精悍な身体つきをしている。軍人か、と閃いたものの、確証はない。

    「はじめまして、フィオナ・ノリス嬢」
    「……いまは、フィン・ターナーと名乗っております」
    「ああ、そうらしいですね。たしかに、ノリスの名前は、面倒だろうからなあ」

    おそるおそる、相手の反応を確かめるために口にした言葉を、あっさりと受け止め。

    「僕の名前は、ルイス・ウォーレス・オリファント。アンドレアスの同居人です。これからよろしくお願いしますね。なんといっても、これから長い付き合いになるんだろうし」

    探偵アンドレアス・スペンサーの相棒として、また、アンドレアスの事件簿の筆者として、エクレーシア帝国に広く名前が知られている青年は、ほがらかに笑った。

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