詐欺に資格は必要ありません。 (2)

 食事を終えて、食器を重ねる。そのまま寝台に腰かけると、じきに足音が聞こえる。こつこつこつ。礼儀正しく扉を叩かれ、思わず苦笑してしまった。セルゲイは答えを待たずに入室するが、事前にノックするところが、彼の性格を表わしているように思える。

 だが、入室してきたのは、セルゲイだけではなかった。

「どうも。おひさしぶりですー」

 いささか気まずそうなキリルが、セルゲイに先立って入室してきたのだ。軽くまたたいて、キーラはにやっと笑ってやった。

「本当におひさしぶりね。甲板磨きはどう?」

 意外な質問だったのか、キリルは目を見開いて、ちょっと安心したように笑った。

「勝ち誇る相手がいなくて、気が抜けています。寂しいものですね」
「ま、しかたないわね。あたしはこういう目にあっているわけだし」

 別に皮肉ではなかったのだが、キリルは目を伏せてしまった。ああ、もどかしい。軽い苛立ちを覚えていると、代わりにセルゲイが口を開いた。

「殿下がおまえを呼んでいる。キリルと共に行け」
「ふうん。殿下、ね」

 殿下って誰のこと。そう云ってもよかったが、この場にはアリアがいる。
 キーラは一応配慮して、おとなしく立ち上がった。キリルが食器を持ち、セルゲイが壁際に留まる。アリアの見張りとして残るつもりか。(アリアにとって)気の毒なことだなあ、と思いながら、部屋を出た。

 ひさしぶりに歩く、船の通路である。まだ明るい時間だから、すれ違う傭兵たちもいる。微妙に気づまりだと感じてしまう理由は、その誰もが、キーラを見るなり、気まずそうになることだ。気が付いていたが、特になにか示すわけでもなく、キリルの後についていく。途中傭兵の一人に食器を預けたキリルは、ちらちらと振り返っていたが、おとなしくキーラがついてくることに眉根を下げた。

「怒ってますよねー?」
「なにそれ」

 率直に感じたことを口にすると、キリルはますます情けない表情を浮かべた。
 慰めてやってもよかったが、いささか間抜けな図式である。なぜ、監禁している側を、監禁されている側が慰めてやらなければならないのか。たとえるならそれは、飲食店で間違ったメニューを出してきた店員を「気にしないで」とお客が慰めるようなものである。どう考えてもおかしい。

「いや、この数日間、何の情報も与えませんでしたし」

 おずおずと切り出してきたキリルに、口の端だけで笑いかけてやる。

「毎朝お寝坊できたのは嬉しかったわ。ヴォルフの料理は美味しかったし。おかげであたしの気持ちはがつんと定まったわね」
「えっ」

 驚きと期待が入り混じった様子のキリルに、にっこりと笑いかけてやる。
 さらに挙動不審になったキリルに先導されるまま、キーラはいちばん最初に案内された、自称アレクセイの部屋にたどり着いた。キリルが扉を叩く。その隣で、静かにキーラは呼吸を整えた。どんな目に合うのか、心構えが必要である。すぐに応えがあって、キリルが扉を開けた。

 推測通り、部屋にはコーリャ爺とアーヴィング、アレクセイと名乗っていた青年が集まっていた。彼らはさすがに表情に揺らぎがない。落ち着いた表情でキーラを見つめてくる。

 入室したキーラは、ぐるりと三人を見渡した。もはや笑みなど欠片も浮かべていない。キリルが背後の扉付近に立った動きを気配で察しながら、口を開いた。

「素敵な待遇を、どうもありがとうございます」

 渾身の皮肉をぶつけたつもりだったが、どうした理由なのか、三人は唇をゆるめた。
 なんだその反応。まさか、皮肉が通じていないのか。思わず半目になると、アーヴィングが和やかな表情で口を開いた。

「ずいぶんお怒りのようだな」
「ああら、いいえ? 毎日食べて寝て、食べて寝て。結構な待遇だったなあと心から感謝していますことですのよ、ホホホ」
「言葉遣いが苦しいですよ、キーラ。いつもの口調で話してください」
「あなた、だれ」

 きぱっと云ってやると、困ったように金髪の青年は微笑んだ。あのときに向けられた冷ややかな表情が、まるで嘘のようだ。だがキーラははっきりと覚えている。少なくとも、あのときに感じた自分の怯えを覚えていた。だからキーラは冷ややかな眼差しを崩さないでいる。

「云いませんでしたか、わたしはアレクセイですよ」
「嘘つき」
「たしかに嘘ですが、本気の嘘です」

 なんだそれ。云い訳のつもりなのか見苦しい。
 わざわざ口に出して云うことではないから、眼差しにたっぷり不審の色をまぶしてやった。いつものように笑った青年は、ちらりとアーヴィングと眼差しの会話を交わした。口で語れ口で。以心伝心など寒々しい、と思っていると、コーリャ爺が口を開いた。

「こやつの名前はな、ミハイルと云う。だが、いまはアレクセイと呼びかけてくれぬか」
「もちろんかまいません。『ルークス王国王子さまではないアレクセイさん』と呼びかければいいですよね」
「や、長ったらしいだろそれ」
「略して『えせ王子アレクセイ』にしましょうか」

 アーヴィングがぼそりとツッコミを入れたものだから、にこやかにキーラは提案した。
 おちょくっているつもりはない。名前を呼び合う予定はないのだから、どんなに長くても構わないという気持ちを表したつもりだ。その意思は伝わったのか、三人は顔を合わせる。キーラは呆れた。この期に及んでも、あの言葉は聞けないようだ。呆れた気持ちを隠さないまま、固めた決意を口にする。

「今回の依頼はお断りします。即刻、わたしを船から降ろしてください」

 指先がわずかに震えたが、声は震えなかったから、心の中で自分をほめてやった。

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