詐欺に資格は必要ありません。 (6)

     視界のぶれが足元をおぼつかなくさせる。たたらを踏んで、結局、座り込んでしまった。
     ぺたんと座り込んで、転移魔道でたどり着いた先が、室外ではないと気づいた。つるつるとよく磨かれた床は、大理石だろうか。転移の魔道陣が刻まれていた。円形に刻まれている言葉《ヴォールズ》を見つめて、キーラはゆっくりと読み上げる。

    「我、ここに帰還する。世界の果てから、ルークスの都、サルワーティオーの地へ」
    「さすが紫衣の魔道士どのだ。刻まれた言葉《ヴォールズ》すら読み解くか」

     からかうような声が響いたものだから、キーラは自分一人ではない事実を思い出した。顔を上げれば、マティが顎に手を当ててにやにやと見つめていた。アリアはちらりとキーラを見て、唯一存在する扉に向かっている。と、向こうから開いた。

    「マティアスどの、アリアどの。お戻りですか!」

     扉を開けたのは、まっすぐな黒髪を肩で切りそろえた少年だ。白い簡素な服に、水色の肩掛けをまとっている。部屋に足を踏み入れて、キーラに気づいたようだ。紫紺の肩掛けに目を止め、驚いたように立ちすくむ。次いで、いぶかしげに眉を寄せる。

    「こちらの紫衣の魔道士どのは?」
    「気にしなくていいわ。それよりお風呂の用意をお願い」

     アリアが少々居丈高な口調で云うと、少年はむっとしたように眉を寄せた。

    「あのですねえ、アリアどの。お忘れかもしれませんが、僕は、青衣の魔道士であって、あなたの召使いじゃないんですよ?」
    「知っているわ。そもそもこんなことを召使に頼むわけがないでしょう。水をお湯に変えてくれなんて、青衣の魔道士にしか頼めないじゃない」
    「そうではなく!」

     なんだか和やか(?)に云い合いながら、二人は部屋を出ていく。何となく見送っていると、マティが屈みこんでキーラを覗き込んできた。

    「まだ目がくらんでいるか? 手を貸してやろうか」
    「……ううん、大丈夫よ」

     ところがそう云ったにもかかわらず、マティは手を差し伸べて、キーラの手首をつかんだ。はっと顔を上げると、マティはじっと腕輪を見つめていた。

    「外してやろうか? このままだとあちこちで迫害を受けるぞ」

     キーラも改めて、腕輪を見つめる。特殊な封印が刻みこまれている、水晶でできた腕輪だ。目立つものではないと考えていたのだが、それは少々甘い見込みだったらしい。だが応えるより先に、キーラは別の質問をぶつけることにした。

    「ここはルークスなのね?」
    「ああ。言葉《ヴォールズ》で推測できていただろう?」

     けろりと肯定されて、肩から力が抜ける。
     あの船から逃げ出す際は、どこに行くことになっても構わないと考えていた。ルークスにたどり着く可能性も、一応は考えていた。だが実際にルークスに着いてみると、なんだか気力が萎える。マーネまでどのくらい距離が離れていると思っているのだ、と、だれかれ構わず訴えたくなった。だが自分の思考の幼さに気づいて、ぶるんと頭を振るう。

    「で、あなたたちは、おとなしくわたしを逃がしてくれるの?」

     問いかけると、マティはにっと笑った。

    「紫衣の魔道士はいつだって大歓迎さ。だがおまえは、俺たちの仲間になるつもりか」

     キーラもちらりと笑う。

    「いいえ。あたしはマーネに帰りたいの。だからルークスを出たいのだけど」
    「それは難しいかな。そのためには結界を解かなくちゃいけないからね」

     不意に第三者の声が割り込んできた。涼やかな、少年にも青年にも聞こえる声だ。
     視線を向けると、開け放たれたままの扉の傍に、ひとりの青年が立っていた。キーラはその青年を見つめて、違和感に眉を寄せる。

     なんというか、いままでに見たことがない顔立ちだ。象牙色の肌に、漆黒の髪と瞳。立ち上がったマティよりも、さらに細身で、まるで子供のようにも見える。

    「スキターリェツ。立ち聞きとは悪趣味だぞ」
    「ごめんごめん。でも聞こえてきたんだ、しかたないだろ?」

     まったく悪びれない態度で青年は謝る。キーラは青年に向けられた呼称に首をかしげた。ルークスの言葉だ。放浪者《スキターリェツ》。個人名ではない。だが青年はいやがる風でもなく、その呼称を受け入れている。キーラを見つめて、ニコリと笑った。

    「こんにちは。紫衣の魔道士なんて、初めて見るからちょっとうれしいね」
    「あたしは珍獣ではないのだけど。……こんにちは」

     戸惑いながら挨拶を返せば、ニコニコと青年は笑う。そのままなにも云わない。本当に珍獣になった気持ちに顔をゆがめると、マティが溜息交じりに言葉をはさんできた。

    「あのな、スキターリェツ。せめて自己紹介するとか、したらどうだ?」
    「ん? だけど自己紹介のしようがないんだけどなあ。僕はスキターリェツ。名前はあるけれど、それは秘密だから明かせない。ほら、ずいぶんうさんくさくなるだろ?」

     たしかにうさんくさい。キーラは目を細めてスキターリェツをながめた。しばしの沈黙をはさんで、けろりとマティに視線を移す。

    「じゃ、あたしはここを出ていくから、そういうことで」

     とりあえず、いろいろなことをなかったことにしてみた。
     ぷ、とスキターリェツが吹き出す。けらけらと楽しげな笑い声に続いたが、なんというか、キーラにはどうでもいい状況である。マティも青年を放置して、首をかしげる。

    「それはかまわないが、こいつが云っただろう。結界があると。どうするつもりだ?」
    「本当に結界があるのか、確かめてから答えを出すわ」
    「無駄だよ。結界があるから、ルークスは鎖国していられるんだ」

     笑いながらスキターリェツが口をはさむ。なんだか余計なことを聞いた。ぴくりと眉を反応させながらも、キーラはにっこりと笑う。聞かなかったことにしよう。さらに笑い転げながら、スキターリェツがマティに視線を向ける。

    「頑固だねえ、この娘さん。マティアス、この人の名前は?」
    「キーラ・エーリン。最年少の紫衣の魔道士どのだ」
    「へえ。それはそれは。……ねえ、キーラ?」

     名前を呼び掛けられたら、応えるしかない。しぶしぶ顔を向けると、スキターリェツはにっこりと笑っていた。見れば見るほど不思議な顔だと思う。しっかり男性の顔立ちだが、なんだか華奢な印象があって、年齢不詳に見える。温厚に目を細めて、口を開いた。

    「きみがどこに行こうとしているのか、僕はわからないけど、しばらく一緒について行ってあげるよ。そもそもいまのきみには、結界なんて見えないんだろ?」
    「おい、スキターリェツ」
    「僕は退屈してたんだ。退屈しのぎに、ちょっと留守にするくらい、別にかまわないだろ」

     ちろりと漆黒の眼差しを、マティに向ける。ひょうひょうとした印象のある男は、その眼差しだけで奇妙に口ごもった。しばらくして、「アリアがすねるな」とぼやく。ご機嫌に笑って、スキターリェツは何気ないしぐさでキーラの腕をとった。む、と反射的に睨むと、ますます楽しそうに笑う。ぜんぜん応えていない様子は、「彼」を思い出させた。微妙に顔が暗くなったのだろうか、スキターリェツは首をかしげて、「そうそう」と云い放つ。

    「スキターリェツなんて呼びにくいだろ? キョウ、と呼んでくれてもいいよ」

     偽名としても聞きなれない名前だ。マティの驚きに気づきながら、キーラはうなずいた。

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