(3)

 なぜ救出が手間取ったのか、と云う理由には、どうやら政治的な事情がからむらしい。

 またか、と考えながら、ほどいてもらった両手首を撫でた。紫色のあざになっていたけれど、治療魔道を得意とする妹が癒してくれるだろう。心置きなく男どもへのしつけも済ませたことだし、と、考えたところで、またもやお腹が鳴った。今度は控えめだ。先にちょうだいした飴玉効果だろう、と、考えて、飴玉をくれた少女を思い出した。わたしも途中から捕り物に参加したため、保護されていく少女とはぐれたのだ。

 作戦に参加していた妹リュシーや仲間たちに面倒な事後処理を任せ、わたしは少女を探して、三女メグの元に向かうことにした。

 黄衣の魔道士であるメグは、こういうとき、救出した人たちを保護する役目を担う。
 わたしは青衣の魔道士、次女のリュシーは紅衣の魔道士だから、攻撃役に向いても保護役には向かない。その点、黄衣の魔道士は治療魔道を得意としているし、メグ自身もやわらかな雰囲気を漂わせているから、二重の意味で保護役に向いているのだ。

 ――――たどり着いた施療院では、あちこちで、感動の再会が繰り広げられている。

 心が和んでくる。自分の仕事を誇りに感じる瞬間でもある。
 このような事態にならないよう、もっと目を配らないと、と引き締まる心地もあるのだけど、それでも救出が間に合い、守らなければならない人々を守りきった瞬間は、やっぱり満足してしまうのだ。

 ほこほこしながら、少女を探していたときだ。わたしは唐突に、足を止めた。
 なぜなら、施療院に似つかわしくない、とてもいい匂いが漂ってきたからだ。

 誤解しないでほしい。施療院が不衛生だとか、そういう事実はない。いつも施療院は薬草の匂いで満たされている。穏やかで静かな心地になる匂いに満たされている。

(でもこれは)

 いま、わたしの鼻腔に届く匂いは、明らかに食べ物の匂いだ。
 それもやけに刺激的な匂いだ。覚えがある。市場の屋台から漂う匂いに似ている。いぶかしく感じたわたしは、つい、本来の目的も忘れて、匂いをたどって歩き出していた。

 だって空腹だったのだし。匂いに刺激されたお腹が、盛大に鳴るわけだし。

 やがてわたしが辿り着いた場所は、施療院の厨房だった。わいわい、とにぎやかな雰囲気が漂っている場所を、ひょい、とのぞき込んで、あ、と目を丸くした。

 探していた少女が、もうすっかり元気な姿で動いていたのだ。きれいな髪をひとつにまとめ、借り物らしきエプロンを身に着けて、広い厨房で動き回っている。普段から厨房を預かっている人たちは、少女ともう一人、後ろ姿しか見えない少年を手伝っているようだ。

(なにをしているんだろう)

 ここは厨房なんだから、料理に決まっているけど。

 首をかしげて見守っていると、視線に気づいたのか、少女が振り返ってわたしを見つける。ぱっと笑顔になった。倉庫で見たときより、ずっときらきらしい、可愛らしい笑顔だ。

「ああ、よかった。あなたも無事だったのね?」
「うん。あなたも怪我しなかったみたいで、」

 よかった、と云おうとしたときだ。ひとときおとなしくなっていた、わたしのお腹が盛大に鳴った。きゅう、ぐるっるうる~。思わず言葉を切った。

 うん、施療院に着くまで、結構、歩いたからだろう。飴玉以外、食物摂取に取り組んでいなかったから、九時間、栄養摂取できなかった生物として当然の反応だ。そう考えながら、お腹を撫でると、ぷ、と少女が吹き出した。軽やかに、でも、遠慮もなく笑う。

「そう、そうよね! あなたがいちばんお腹空かせていたものね!」
「うん。我慢できない」
「待ってて。いま、弟がピッツェッタを焼いているから」

 ラウロ、と、少女が呼びかければ、窯に向かっていた少年が振り向きもしないまま、「わかってる」と応える。なるほど、と納得した。さっきから漂う匂いは、ピッツァの匂いだったのだ。

 ピッツァとは小麦粉と水、塩などで作る、マーネで愛されている料理である。ちなみにピッツェッタとは、小さなサイズのピッツァだ。大きいサイズでいいんだけどな、と考えていると、少女がわたしの手を引いて、厨房にある椅子に座らせてくれた。

 リーチャ、と名乗った少女には、どうやら弟以外の家族はいないらしい。ピッツァ専門店で修行している弟と助け合って生計を立てているのだ、と、朗らかに話した。

「だからね、救出されて本当に安心してるの。だってラウロを一人ぽっちにしないで済んだんだもの。あの子、不器用なところがあるから、心配でどうにかなるところだった」

 やさしい表情でそう語ったリーチャは、救出の礼としてピッツェッタを用意しようと閃いたらしい。巻き込まれた弟は、修行中だから、とためらっていたが、姉の強い希望にしぶしぶうなずいてくれたようだ。施療院の厨房にかけあって、さらにピッツァの師匠に許可を得てから、こうしてピッツェッタ作りにいそしんでくれている。

 ほんわかと温かい気持ちになりながら、わたしは少年、ラウロの後ろ姿を見た。

 真剣に窯を見つめている様子は、まさにピッツァ職人の姿だ。その真剣な様子を眺めていたら、食べられるならなんでもいい、とは到底云えない。さらに、妹たちの好物がピッツァだという事実を思い出して、しまった、と云う気持ちにもなった。ずるいと怒られる。

 だがささいなためらいなど、やがて起こった歓声に、たやすく打ち消される。

 ラウロがようやく動いて、窯を開いた。持ち込んだのだろうピザピールで、次々とピッツェッタを取り出す。リーチャも素早く動いて、いちばんにわたしへ、あつあつのピッツェッタを持って来てくれた。

 手のひらサイズの生地には、トマトソースとにんにくしか載っていない。あとはオレガノが振りかけてあるくらいか。シンプルなピッツェッタ、マリナーラだ。

 ようやく食物摂取できる。微笑みながら指を伸ばし、ぱくん、と、かぶりついた。

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