(15)

「やあやあやあ、ようやく我が店にも来てくれたのだね!」

 半ば予想していた反応だけど、いざ、目にすると、居たたまれなくなる反応だ。
 なんと云ったらいいのだろう、くるりと踵を返して帰りたくなる。腕を全開に広げてこちらを向いているけれど、あれはどういう意味だろう。まさかと思うけど、『さあ、飛び込んでおいで僕の腕に』と云う意味じゃないよね。自分に云い聞かせながら、訪れたコンモツィオーネをぐるりと見回した。

 まず天井の高さが目についた。くるくると天上扇風機が回って、ゆるやかに空気をかき混ぜている。開けた窓にはレースのカーテン。うすい黄土色の壁にカラフルな細密画が、飴色のテーブルの間にはあざやかな観葉植物が飾られていて、なんだか目に楽しい。

 ラウロの働いていた、アドリアーノじいさんの店とは違う心地よさが漂っている店だ。

 アドリアーノじいさんの店はいつでも訪れてゆっくり長居したくなるような店、こちらのコンモツィオーネは落ち込んでるとき、元気を分けてもらうために訪れたくなる店だ。いちばん奥の壁に、あざやかな太陽の絵が描いてあることも原因かもしれない。

 とりあえずわたしは、カットゥロの傍で困惑している店員さんに、店長さんを呼ぶよう、頼んだ。うん、この店、カットゥロが店長さんじゃないんだ。カットゥロのお父さんが店長さん。お父さんはクオコ、すなわち料理人をしている。で、カットゥロがピッツァイオーロ、すなわちピッツァ職人。まあ、クオコとピッツァイオーロは、同じ食べ物を扱う職種だけど、まったく異なる技術と経験が必要だから、こういう分業は珍しくない。

「なんだ、父に用事があって来たのかい?」

 わたしと店員さんのやり取りを聞いたカットゥロは面白くなさそうな表情で告げた。
 素直な人、と、わたしはちょっと新鮮な心地でカットゥロを見る。
 顔見知りが自分の店にやってきて、『店長を呼べ』と云ったとき、普通ならもう少し違う反応を見せると思うんだ。たとえば、店長さんを呼びに行った店員さんのように、不安を抱いたりね。でも、カットゥロにはそういう揺らぎがない。単純に、店長さんに用事があるからこの店に来たのだ、と受け止めている。そして、自分が対象ではなかった事実に、失望をあらわにしている。ね、素直としか云いようがないでしょう。

「いや、カットゥロも対象。出来れば個室で話したいんだけど、個室、ある?」

 するとカットゥロはたちまち機嫌を直して「ならばこちらだ!」と腕を動かした。元気な腕だ。傍にいたディーノとうなずき合って、カットゥロの案内についていく。

 席に落ち着いたとき、先ほどの店員さんに案内されて、クオコ姿な男性がやってきた。壮年の男性は顔立ちだけならば、カットゥロに似ている。でも雰囲気はまるで違う。カットゥロは軽妙な雰囲気を漂わせているけれど、こちらの男性が漂わせているのは重厚な雰囲気だ。

「失礼いたします、わたしが店長のマウリツィオですが」

 そう云いながら個室に入ってきた店長さんは、カットゥロの存在にも面食らったようだ。わたしとディーノが席から立ち上がり、それぞれ名乗りを上げる。わたしたちがマーネの自警団と知った店長さんはどこか納得したような表情を浮かべ、反対に、カットゥロは少しこわばった表情を浮かべた。どこかなじるような眼差しで、カットゥロはわたしを見る。

「まさかきみが、自警団の人間だったとはね……」
「知ってたら、お店に誘わなかった?」

 カットゥロの言葉の響きに、ちょっとばかり反発を覚えて、皮肉っぽく云い返す。
 店長さんがたしなめるように、ちらりと息子を見る。「いや」、反射のように応えて、カットゥロは頬を赤くして頭を下げた。

「申し訳ない。そんなつもりはなかった。自警団は立派な職業だ。わたしは他の住民と同様、自警団に感謝しているし尊敬もしている。きみを忌避したわけではない、その」
「――――失礼ですが、ピッツァフェストへの出場を辞退した理由と関わりがありますか」

 ずっと沈黙していたディーノが口を開いて、ズバッと核心をついた。
 カットゥロは黙り込む。そう、たしかにこの場面では黙り込むしかないだろう、とわたしは平坦な心地でカットゥロを見返した。

 カットゥロの出場辞退は、事故で腕にひびが入った、と云う理由だった。

 でもこうして会えばわかるように、カットゥロは怪我なんてしていない。だから辞退した理由は虚偽だとわかる。店長さんが個室を訪れるまでメニューを眺めていたけど、ピッツァの注文はしばらくお休みをいただきます、と書き添えてあった。ピッツァフェスト運営委員会を誤魔化すための処置だろう。おそらく関係者が来たら、カットゥロはそのようにふるまうに違いない。でも、今日、訪れたわたしは顔見知りだから、うっかりしたのだ。

「……参ったなあ……」

 やがてカットゥロは、言葉通り、弱り切った調子で、頭を抱えた。
 乱れた前髪と腕の間から、ちらりと瞳がのぞいてわたしを見る。

「かわいい弟弟子の、かわいい彼女さんが来てくれたと思ったら、これだ。わたしはもう少し、思慮深くなるべきなのかもしれない」
「おまえは、『もう少し』ではなく『とっても』思慮深くなるべきだ」

 カットゥロの嘆きに、ぼそりと店長さんがつっこむ。苦労してるんですね、わかります。
 父親の言葉にちらりと苦笑して、それでもカットゥロは沈黙を守り続ける。その頑なな沈黙が、ふっと疑惑を招いた。

 コンモツィオーネを訪れるまで、わたしたちは、カットゥロは襲われたか、脅されたか、どうかしたのだろう、と考えていた。でもここまで頑なに沈黙を続ける理由は、もしかしたらいかさま賭博の胴元を知っているからじゃないのか。ディーノと視線を交わす。彼も同じ疑惑を抱いた事実を、眼差しから感じ取った。促される気配に、わたしは口を開く。

「どうして嘘をついてまで、ピッツァフェストを辞退したの?」

 だがカットゥロは答えない。ためらいながら、さらに言葉を続けた。

「あなた、ピッツァフェストに九連勝するって云ってたわよね。なのに、どうして? ……ラウロは出場して、がんばろうとしているのに、同じ条件で一緒に頑張ってあげないの?」

 言葉をつむいでいるうちに、ふっと、ラウロの顔が過ぎり名前を出してみた。
 たぶんわたしのなかで姑息な計算が働いたのだ。それでもカットゥロは苦笑を浮かべた。

「そうだな。でも、わたしはこうするのが一番だと考えたから、辞退するしかないのだよ」

 そう云って、がたん、と席を立つ。さすがにディーノが留めようと立ち上がりかけた。でもカットゥロはすり抜けるように個室を出て行く。堂々とした、質問拒否だ。自警団の権限を振りかざすこともできたけど、腕を組んで座り込んでいる店長さんに向き直った。

「カットゥロはどうしたのですか? 店長であり、父親であるからには、あなたも事情をご存じなのでしょう」
「わたしはあれが、沈黙した理由を無理からぬことだと考えています。間違っているが、律儀に育った、あれらしい理由だ。理由がわかるから、あれのわがままも許しました」

 答えになっていない、と云い返しかけて、これがヒントだと閃いた。

「……カットゥロは、アドリアーノじいさんが入院したとご存知ですか?」

 ふわふわした閃きに確信を抱きたくて問いかければ、店長さんはうなずいた。わたしも立ち上がる。ディーノを促して出て行こうとしたとき、店長さんがしぶい顔で続けた。

「あれは、アドリアーノじいさんをこき下ろしながらも尊敬しています。ラウロにとっては絶対的な敬愛の対象でしょう。二人のためにも、アドリアーノじいさんには療養に専念してほしいのですが……」

 わかりやすい牽制に、わたしは微笑を浮かべてうなずいた。
 だから次に質問すべき対象はアドリアーノじいさんではない。ラウロに近しい、リーチャだ。

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