(19)

     調査しなければならない対象は、ラウロやカットゥロだけではない。
     出場者はもちろん、出場辞退者も調査しなければならない対象だ。わたしたちは、彼らにも繰り返し接触した。情報を入手するためには、しつこく誠意を見せて粘るしかない。ピッツァフェストが開催されるまでの準備期間、皆、忙しく過ごしている。だから厄介者扱いされる瞬間もあったけど、それがわたしたちの仕事だ。

    「どうやら、胴元にアドリアーノの息子がからんでいるのは間違いなさそうだ」

     今日のマーネは珍しく空が曇っている。事務所で集めた情報を分析しながら、憂鬱そうな空を眺めていると、アロルドがつぶやいた。軽く肩をすくめ、リュシーが口を開く。

    「珍しい話ではないがな。偉大な親が負担となり、道を踏み外す輩は」
    「リュシシィ、」

     皮肉っぽい口調で告げたリュシーを、アロルドがたしなめる。リュシーは口をつぐみ、ちらりとわたしを見た。わかりやすい気遣いに苦笑が浮かぶ。でもわたしはなにも云わないまま、どんどん薄暗くなる空を見つめた。雨が降るかもしれない。そう考えたのだ。

     集まった情報のなかには、アドリアーノじいさんの息子を見た、と云う証言がある。

     そもそも、アドリアーノじいさんは過去、ピッツァフェストにおいて、八度も優勝したピッツァイオーロなのだ。ほとんどの関係者たちはアドリアーノじいさんを知っている。当然、弟子であるカットゥロやラウロ、後継者としてみなされていた息子もだ。まだ顔も覚えられている。だからこそ、出奔したはずのアドリアーノじいさんの息子をマーネで見かけた、一人ではなく怪しい人物と一緒にいた、と云う証言も信憑性があるのだ。

    「そろそろエットレから次の指示が出るね。アドリアーノじいさんの息子を確保しろって」
    「……まあそうかもしれぬが、わからぬぞ? ピッツァフェストが迫ってきたことじゃし、わたしたちも出場候補者たちの警備に回れ、と云われるかもしれぬ」
    「……。……そう、かな」

     もはや出場者たちに直接、危害を加えられる段階は過ぎている。

     それでも警備を続けている理由は、ピッツァフェストで負けろと脅される可能性を無くすためだ。出場者たちや近親者たちに不審者が近づかぬよう、他の仲間たちは警備を続けている。ほとんどの出場者はたいてい自分が属する店舗内、建物のなかで出場に備えているから、例えばこんな、雨が降り出そうな日でも影響はないだろうけど。

     ただひとり、屋台でピッツァを焼いている彼には、この天候は差し障りがあるだろう。

    (ラウロ)

     ――――あれからわたしは、ラウロに会っていない。
     ラウロが作るマリナーラに飽きたわけではないし、気まずい雰囲気で別れた事実に臆病になりすぎているためでもない。ただ、会わないほうがいいと考えたからだ。

     なぜならいま、わたしは重要な案件に関わっている。

     それも、ラウロたちに関わりがある。失敗するわけにはいかない。衝動に流されてうかつな質問をぶつけたりするような、失敗を繰り返すわけにはいかないのだ。あれから状況が進み、アドリアーノじいさんの息子が関わっているという確信が持てるいまなら特に。

     ――――アドリアーノじいさんには療養に専念してほしいのですが……。

     マウリツィオの言葉を、しばしば思い出す。

     わたしですら、アドリアーノじいさんに、さっさと元気になってもらいたいと感じるのだ。もっと近しい人間ならば、もっと強くそう願っているだろう。わたしは息を吐いて、じっとこちらをうかがっているリュシーとアロルドを見返した。

    「たしかに警備は大切だけど、そもそもの胴元を捕まえれば懸念が減るんだもの。エットレは間違いなく息子の確保を指示してくるはずよ」

     そう続けると、二人は顔を見合わせて、大きく息を吐いた。
     思いがけない反応にぱちぱちと目をまたたいていると、ずっと黙って書類をまとめていたディーノが立ち上がった。なにごとかと眺めると、壁にかけている帽子を取って、わたしにかぶせてくる。わけがわからない。じーっと見上げると、ディーノはリュシーに云う。

    「少し早いが、おれたちは昼食に出かけてくる」
    (少し?)

     ちらりと壁時計を見た。たしかに店は開いているだろうけど、まだ、昼食をとるにはとっても早い時間だ。それなのに、リュシーはおろか、アロルドまでさかんにうなずいた。二人そろって、いってこい、と動作で示され、わたしは首をかしげる。

     ええと、昼食を早くとっても問題ない事情は、今朝の段階ではなかったはずなんだけど。

     首をかしげている間にも、さくさくディーノは動く。あまりにもためらいがないものだから、戸惑っている自分がなにか間違えているような感覚に陥る。だからしぶしぶ動いて、手元の書類をペンケースの下にまとめて、荷物を取り上げた。ディーノはわたしを振り返り、「よし」とうなずいて、口を開いた。

    「少し歩くが、まだ、問題はないだろう。今日はおごってやる」
    「うれしいけど、どこまで歩くの?」
    「八区だ。マリナーラを食べさせてやる」

     そう云いながら、ディーノは憮然としている。
     それだけじゃない、ほんのわずか、呆れているような、そんな気配も漂っている。眺めていて、ああ、と、ようやくすべてに納得した。余裕をなくしていた自分に苦笑する。

    「わたしの行きたいところに連れてってくれるの?」
    「……そう云っただろ。準備はできたな、行くぞ」

     ちらりと読み取れない表情を浮かべて、ディーノはさっさと事務所を出て行く。わたしはあわてて、振り返らない背中を追いかけていった。

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