宝箱集配人は忙しい。

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 ところで僕は、もう限界だったのだ。

 くぅるうる、と緊張感に乏しい腹が、ドラゴンと秘書どのの前で主張を始めた。ドラゴンと秘書どのの視線を受けた僕は、お腹を抑えてため息をついた。

 この状況、何度目だ。

 僕の記憶を奪っただろう貴公子に、悪態をつきたくなってしまう。記憶を奪うなら、せめてしっかりと食事を済ませた後に奪って欲しかった。どうしてくれるんだ、この空気。

「……食堂に行きましょうか、室長。まだ昼食を提供してくれる時間です」

 心優しい秘書どのが、苦笑を浮かべて僕に言う。るるる、と、いつも通りに軽やかな鳴き声を響かせて、ドラゴンが言う。

『行ってくるがよい。空腹では頭も回らぬ。わらわも少し、考えたいことがあるゆえ』 

 その発言を聞いた秘書どのは、咎めるようにドラゴンを見上げる。

 だが結局、何も言わないまま、ドラゴンが行使する転移の術式に身を任せて、僕と共に冒険者ギルドの庭に移動した。秋ならではの、少し冷たい空気を吸い込んで、僕はほっと息を吐いた。

 それから気遣わしげに僕を見下ろしている秘書どのに向けて言った。

「迷宮解析はどうなってるかな。今日は第一班が解析担当だったと思うけど」
「第一班は第三班とともに事務作業に回しました。二十五層まで攻略を進め、連携を取れるようになった第二班が代わりに三十一層を解析しています」
「それなら第一班の構成を変更するよ。セシル・ヴァーノンを構成メンバーから外し、ギルド長から派遣されているユーイン・リーをメンバーに入れる。連携は問題ないね?」
「問題はありません。ですが、構成を変更することに対しては反対します」

 意外に感じた僕は、秘書どのを見上げた。真面目な表情を浮かべているかと思えば、秘書どのは麗しい笑顔を浮かべている。その笑顔を見た僕の背筋が、すい、と冷えた。

 怒ってる。秘書どのが。

 それもおそらく、僕に対して。なんでだ。心の中でこっそり混乱していると、秘書どのが息を吐いた。静かなため息をついて、気持ちを切り替えたのだろう。威嚇の笑顔からいつもの穏やかな表情に改めて、秘書どのは僕を見据える。

「なぜ、第一班の構成を変更しようとお考えに?」
「ええと、僕の身には不安要素が出来てしまっただろ? だから」
「だから室長の地位を返上するおつもりですか。後釜にわたしを据えて?」

 なんだ、わかってるんじゃないか。

 僕が思わず肩から力を抜くと、「お断りですよ」と軽い調子で秘書どのは言う。目をぱちぱちさせて、秘書どのを見上げれば、彼はただ、穏やかに笑ってる。

「わたしに、あなたの後釜に座る意思はありません。諦めてください」
「いやいや、そういうわけにはいかないからね。記憶を奪われただけならともかく、それ以上のなにかをされていたら、この計画に支障が出るじゃないか」
「それなら、あの男を拘束させてください」
「ダメだよ。一般人に被害が出るかもしれない。わかってるだろう?」

 そう言い返しながら、僕は驚いていた。

 なぜ、秘書どのはこんなにも頑なになってるんだろう。いつもはもっと、理性的で道理がわかる人なんだ。なのになぜ、今回に限り、僕の意図を汲み取ってくれないんだろう。

(いや、そうじゃないか)

 僕は知らず知らずのうちに、秘書どのに甘えていたのかもしれない。他人なんだ、秘書どのは。だから僕の希望に寄り添わなければならない道理はない。秘書どのは秘書どのの考えがあり、望みがある。その希望に寄り添わない要望に拒否する権利を持ってるんだ。

 ふに。

 僕の思考は唐突に中断された。頬をつかまれたのだ。秘書どのに。

 唖然として秘書どのを見上げれば、秘書どのは哀しそうに僕を見下ろしていた。

「わたしはあなたのの望みならば、なんでも叶える覚悟はありますよ。ですが、あなたが退くという事態だけは受け入れるつもりはありません。叶えられません。これまでに何度も言ってきたでしょう、諦めてください、と」

 少し冷たい指が僕の頬を放した。

「明日は第三班を解析に回します。第二班を休息させ、第一班は事務に回します。ですからよく考えてください。……そもそも己の創造主が生存していることを知ったドラゴンが、この計画の中断を言い出すかもしれませんしね」

 そう言って、秘書どのは身をひるがえして、この場から去って行った。

 残された僕は食堂に向かって歩き出すこともできず、途方に暮れて立ち尽くしていた。でも仕事があるんだ。いつまでも立ちっぱなしでいるわけにはいかないだろう。

 なにより、思いがけない先客もいたようだし。

 僕は半目で植木を眺めて、声を張り上げた。

「状況を報告いたしますから、遠慮しないで出てきてくださいギルド長」

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