宝箱集配人は忙しい。
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さて、滞りなく今日の業務は終わった。
僕はいそいそと職場を出た。部下たちが「おつかれさまでした」と見送ってくれる。「残業しないようにね」と僕は言い残しておいた。まあ、秘書どのがまだ残るようだし、あとは任せても大丈夫だろう。
そうして、僕はギルド長室に向かう。
ノックをして許しを得てから、扉を開ける。ギルド長と副ギルド長がそろっていた。
ギルド長は目を閉じて背もたれ椅子に寄りかかり、腕を組んだ副ギルド長が傍らに立っている。あれ。違和感を覚えながら、とりあえずこの風景は、他の人間には見せないほうがいいよなあと考えて、僕は急いで扉を閉めた。
「来ましたか」
副ギルド長が振り向いて、僕を認めて、ほほ笑む。
ぎくりとした。
直感が閃いた。この状況、すなわち、ギルド長が大人しくなっている理由、副ギルド長がにこやかになるほど怒っている理由は、すべて僕にあるってことに。
心当たりはすぐに閃いた。
僕の記憶を奪っただろう人物を放置する件について、副ギルド長は怒っているのだ。
ギルド長に視線を向けたとき、大きくため息が響いた。副ギルド長だ。副ギルド長は組んでいた腕を解いて、ギルド長から僕に向き直る。口をひらく。
「それでは聞かせてもらいましょうか。きみの記憶を奪った不審者から、どうやってその目的を聞き出すつもりなのか。あいにく、ふつつかなわたしには、犯罪者にその目的を吐かせる方法など、力を用いる以外に心当たりがないんですがね」
うわあ。有能な人がいう「ふつつか」って言葉はパワーワードに過ぎるね。
そう思いながら、僕は「たとえ話をしましょう」と言った。副ギルド長の眉がぴくりと動く。ギルド長がまぶたを開けて、僕を見た。そして何を思ったのか、ニヤッと笑う。
だが、僕は構わずに言葉を続けた。
「ここに料理に不慣れな若者が二人います。事情があって、二人はおぼつかない手つきで料理を始めました。一人は、畑から収穫してきたばかりの野菜を洗い、よく研がれた包丁で均一の大きさで野菜を切り、そして煮込みました。慎重に調理したおかげで、スープはできました。そしてその様子を横目で見ていた、残るもう一人の若者は、相方の成果から刺激を受けて張り切りました。森で捕まえた獲物の肉を捌いてミンチにし、調味料と共にこねて肉玉にして、フライパンで焼き始めたのです。ハンバーグを作ろうとしたのですね。ところがそのとき、事件が起きました」
真面目な表情で、ピンと指を立てて、ずいと副ギルド長に迫る。困惑した様子でわずかにのけぞる副ギルド長に、僕はおごそかな調子で言い切った。
「なんと、油が跳ねて、スープを作り終えた若者の頬に火傷を負わせたのです」
「……わたしは調理にくわしくないのですが、ハンバーグを作っているとき、そんなところにまで油が跳ねるものなのですか」
「いえいえ、普通にしてたら床や厨房を汚す程度しか跳ねません。でも火傷を負った若者は、すっかり油断してフライパンに顔を近づけてしまったのですよ。なにしろ、いい匂いが漂っていましたから、お腹空いた身には魅惑的に思えたんですよね。ーーここで質問です、ハンバーグを作っていた若者は、こうして他者に火傷を負わせたわけですが、それがもとで犯罪者になってしまうのでしょうか」
「ならないでしょうね」
副ギルド長はため息をついた。しばらく沈黙していたが、小さく頭を振った後は、いつもの穏やかさを取り戻して、僕を軽く睨んだ。
「つまり、あなたの記憶喪失は、あなたとご友人の間に起きた私的な出来事だから、冒険者ギルドは口を挟むな、と言いたいわけですね」
立てていた指を引っ込めて、僕はゆるりと笑う。
「さいわいにも、僕には機密事項をもらした症状は出ておりません。また、彼も放置しておけばいいのに、記憶を失って倒れたんだろう僕を冒険者ギルドに運び込むなど、最善を尽くそうとした形跡があります。僕と彼の間になにかがあったのは、……いえ、彼が僕を記憶を奪ったのは事実でしょう。それでも僕は、彼を友人だと思っています」
「記憶を奪う行為は、頬の火傷とは違いますよ。規模も、手法もね」
「同じです。僕にとっては」
少なくとも、いまの僕は記憶を失ってしまっているからこそ、ダメージが少ないんだ。
空白の時間は確かに不安を連れてくる。でもこの程度の不安に揺らぐようなら、宝箱管理室の室長なんてやっていられない。むしろ、機密情報を漏らした症状が出ていないからこそ、いつも抱えている不安よりも、記憶を失ったことによる不安は小さいんだよ。