ようやく自分の感情に気づいても喪失を愛しむしかない。
覚醒は緩やかなものだった。ふうっと押しやられるように、まぶたをゆっくりを開ける。分厚いカーテンの間から、光が差し込んでいる。まだ陽は落ちていない証拠だ。唇は自然な微笑みを浮かべていた。夢見がよかったからだろう。懐かしい女が登場した。
(----薄情者め)
詳細は覚えていないが、女は楽しげに笑っていたように思う。わたしに対して、嬉しそうに楽しそうに笑いかけてきた。ところがわざわざ夢に登場していたというのに、料理の一つも振る舞うこともしないのだ。
せっかく逢うことができたというのに。
それでも現実は偽れない。わたしは、たとえ夢でも女の姿を見ることができて、とても満足していたのだ。この充足している心がその証だろう。だから気づいてしまう。あの女の料理を求めるのは、つまりはあの女に逢いたいと思っていたからに過ぎない。
この数十年、心のどこかで逢いたいと願っていた女。
ふと苦味がこみ上げて、笑みをいっそう深めた。起き上がれば、うっすらと寝汗をかいていると気づく。
時計が鳴る。同時に、扉が叩かれる。
「おはようございます、伯爵」
見慣れた執事はテキパキと動いて、朝の準備を整える。朝食を運んできたメイドを見て、ぎくりと動きを止めた。まさか、この髪の色は。疑ってしまった理由は、たぶん、夢の名残りだろう。さりげなく視線をそらして、紅茶を飲んだ。ふっとあの娘を思い出す。
唐突な依頼であったにもかかわらず、見事、食事会を成功させた。
夢に出てきた女の孫娘だ。
いま、唇に浮かんだ笑みは、苦味も辛味もない自然なものだった。誇らしい気持ちが心にある。同時に、ひとつの目的を遂げられたことに満足する想いがあった。
「伯爵。お手紙が届いております」
忠実な執事が差し出す、その手紙を取り上げて眉をひそめた。予測通りの動きだが、予測以上に早い。内容を読んで、了承の返事を書かせる。ただ、閃くものがあって、退出しようとする執事を呼び止めた。
「そういえば依頼していた件はどうなっている」
丁寧に一礼した執事は、その問いかけに応える。満足できる仕事ぶりに、唇がつぶやきを発する。密入国者。