急になにもかもは変わらないようです。
そもそも非常事態だからといって、空腹を我慢し過ぎた判断がまずかったのだ。
きゅるきゅる、とお腹が軽い音を立てた。思わず赤面した。すぐそばにいるひとに聞こえただろうか、と思えば、羞恥のあまり、動き出すこともできない。ちいさな間を置いて、くつくつと響く笑い声を聞いてしまえば、なおさらだ。
「あなたのお腹は、なによりも先に、食事を要求しているようですね」
そういうつもりはないんだけど、と、もごもごつぶやきながら、キーラはあさっての方向に視線を飛ばした。太陽の光が差し込んでいる室内には、素朴なベッドと濃褐色のテーブルが並んでいる。ちょうどお昼時だからか、食べかけの食事が放置されていた。食事の邪魔なんて悪いことしたかなあ、と思いながらも、おなかの自己主張の原因に気づいたとき、再び荒々しく扉が開いた。
「キーラ!」
新たに入ってきた人物は、魔道ギルドにいるのではないか、と考えていた面々である。他にも王宮の客人となっている人々も、キーラの名前を呼びながら飛び込んできた。
とっさに傍にいるアレクセイを見上げて、どうしよう、と、困惑した顔をさらせば、微笑みを浮かべたまま、アレクセイはキーラの背中を押す。すばらしく優しい笑顔で。
「ですが愛のむちです。ここはおとなしく怒られておくべきでしょうね」
アレクセイにしてはちょっと珍しいくらい、やわらかさがこぼれるような笑顔で、口々に騒ぎ立てる輩へと押し出すのだから、やっぱりこの王子さまは性格が悪い。そんなことを考えていたものだから、反応が遅れた。
最高の笑顔を浮かべたまま、アレクセイは、くちづけを落としたのだ。キーラの額に。
ぽかんと口を開けた。ざわめきが収まり、静寂がおちる。
「ではみなさん、お仕置きは手短に。キーラはお腹を空かせているようですから」
悠然とした態度で云ってのけ、王者らしく堂々とした態度でアレクセイは出て行った。
残されたキーラは、たちまち集まった視線に、居たたまれない気持ちになったが、もうどうしようもない。ほとんどやけになって、あいまいに笑った。
「ええと、というわけで、無事に生還しました」
そうじゃないだろう! と幾重にも響いた声のなかで、キーラはがっくりうなだれた。
後回しなどせず屋台にでも立ち寄っていれば、もう少し、甘い空気を堪能できたのだ。