認められる条件として資格は有効でした。 (10)
「はい、あーん」
麦粥をふうふう冷まして、魔道士の口元に運んだ。群青色の瞳が、面白がるように笑んだ。何か云うかと思えば、おとなしく口を開く。もぐもぐと頬が動き、喉仏が上下する。麦粥を呑みこんだ魔道士は、キーラをからかうように見つめた。
「光栄だな。まさか紫衣の魔道士どのから手厚い介護を受けるとはね」
「紫衣の魔道士、関係ないから」
すぱっと端的に応えて、再びさじで麦粥をすくう。ふうふうと冷まして、また魔道士の口元に運んだ。れっきとした成人男性に、物を食べさせるなど少々気恥ずかしい。キーラは意識しないように努めながら、魔道士の介護を続けた。
ちなみに部屋の扉付近には、護衛役のキリルが立っていた。こちらを見守っているが、なにも云わない彼の視線が、妙に気になる。
好きでやっているわけではないのだ、好きでやっているわけでは。誤解しないでほしい。
声高に主張したい気持ちをこらえて、丸窓を見つめた。船はゆっくり進んでいる。
「溜息」
はっと視線を向ければ、魔道士は枕に寄りかかったまま、キーラを眺めている。次の一口を食べさせなくちゃ、と思ったところで、器が空になっていることに気づいた。ああ、そういえば先ほど最後のひと口を食べさせたばかりだった、と思い出して、眉を寄せる。
「なに?」
「自覚はないのかな。きみ、この部屋に入ってから何度も溜息をついているよ」
「えっ、ほんと?」
思わず片手で口を押さえた。かつかつ、とキリルが歩み寄る。キーラから空になった器を取り上げて、ぽん、とキーラの頭に手を乗せた。くしゃくしゃと髪をかき回され、思わず見上げる。キリルは困ったような表情を浮かべ、魔道士に視線を向けた。
「どうやらここは、年の功の出番のようです。キーラさんの話を聞いてあげてください」
「おいおい。きみは彼女の護衛だろう? 不審者であるおれと彼女を、二人きりにしてもいいのかな」
「『灰虎』の皆に、海の藻屑になる覚悟を決めた、と、そう判断されたければ、どうぞ」
キリルが珍しくきつい眼差しで魔道士をねめつけ、さっさと部屋を出ていく。魔道士は軽く肩を落とした。やれやれ、と小さくつぶやいて、キーラを温かく見つめる。
「じゃあ。ここんとこ、受けた介護の礼だ。悩み相談、してあげよう」
「……。莫迦じゃないの」
何をどう云っていいのか、わからないまま、キーラはそんな言葉をひねり出していた。
云ってしまって、すぐに後悔した。これじゃ、やつあたりだ。それも関係ない人に対してやつあたりしている。ごめんなさい、とかすれた声でつぶやいて、キーラはうつむいた。今度は魔道士が、ぽんぽんと頭を叩いてくる。温かな感触に、ふっと力が抜けた。
「悩みがあるわけじゃないわ。ただ、現状が気持ち悪いだけよ」
「現状、ねえ。フェッルムの島に向かっていることかい? まあ、確かに魔道士は行きたくない場所ではあるかな」
フェッルムの島、とは、その名の通り、フェッルムという特殊な金属を生産する島である。扱いが厄介な金属だが、酸化しにくい特性のため、貴金属として重宝されている。
ただ、この金属、精製する前の状態に限り、魔道士には特筆すべき特徴がある。
大気中の魔力を吸収するのだ。
魔道士は大気に満ちる力を用いて、魔道を行使する。つまり、力を吸収するフェッルムの近くでは、魔道を発動させにくくなるということだ。だからこそギルドではフェッルムが産出される場所を、魔道士たちに知らせて注意を促している。当然、キーラも世界に点在している場所を覚えていた。だから女が示す場所が分かったのだが。
「ちがうわ」
だが、キーラが抱えているもどかしさは、そんなことではなかった。魔道士は不思議そうに見つめてくる。抱えている感情を、素直に吐き出さなければならない義理はない。
「……ちがうの」
けれどキーラは何もかも吐き出したい衝動に駆られた。相手がフェッルムの島に立ち寄る前に、船を降りるからだろうか。通りすがりの人間だから、甘えてもいいと考えたのかもしれない。自分を計算高いと感じるが、キーラはあきらめたように口を開いた。
「すねている自分が、気持ち悪いの」
その言葉を皮切りにして、キーラはすべてを話した。
将来はマーネでカフェを開きたいと思っていること。だから飲食店で働いていたのに、アレクセイの行動でクビになってしまったこと。ギルドの長の要請で、アレクセイの依頼を受けたこと。アレクセイたちに親しみを覚え始めていたが、慌てて距離を置いたこと。
魔道士は穏やかな表情でキーラの話を聞いていた。時折うなずいて、キーラの言葉を引き出す。最後まで聞き終えて、ずばりと云ってのける。
「うん。きみは少々、回り道をしているようだね」
しばらくの沈黙をおいて、キーラは問いかけた。
「間違えた、とは云わないの?」
「間違いを認識している人間に、そう云う必要はないだろう。人間、心の赴くままに行動するものだよ。だからきみは回り道をしている、と云ったのさ」
水が欲しいな、とつぶやいて、水差しの水を要求したうえに、さらに言葉を続ける。
「いやいやであっても、依頼を引き受けた以上、きみはまわりの人間と親しくならなければならない。なぜなら戦いにおける連携とは、口先だけの関係で可能になるわけではないからね。依頼主とは、命を預ける仲間とならなければならない。だからきみも、距離を置いたことを間違いだと認識し、いま、自分を気持ち悪く感じているのだろ?」
あいまいな表情で、唇を結んだ。
「ただ、同時に、夢が叶わなくなる、と怯える気持ちもわかる。だがそれは、きっぱり杞憂だと云っておこう」
「杞憂?」
「きみが本当に望むのなら、叶わない夢はない。そう思えないのかい」
魔道士の群青色の瞳が、まっすぐにキーラを射抜いた。
(キミガホントウニノゾムノナラ)
「思いたいわ」
応えながら、少し、うそを混ぜている気持になった。だから慌てて、うそではない、とキーラは心の中でつぶやく。自分の望みは、お茶とお菓子のおいしい店を開くこと。いろいろな国の人々が訪れる店を開くこと。紫衣の魔道士として生きることではない。
「夢はいつまで経っても夢なのだよ。輝きは衰えることはない。すべてが終わってから目指しても間に合う。少々、魔道士として生きたところで、決して消えることはない、と、おれは思うね」
――――すべてが終わったら、あるべきところにちゃんと帰してやる。
唐突に、あの夜に聞いた言葉が、脳裏によみがえる。アレクセイの言葉だ。こっそり聞いてしまった、だからこそ、アレクセイの真実が現れている言葉でもある。
彼はちゃんと、そのつもりでいたのに。
ゆるゆると肩から力が抜けていった。ようやく唇の端に笑みを浮かべた。
「どうせ開くなら、敷居の低いカフェを開きたいわ。どんな人も気軽に立ち寄れるような」
そう、たとえ一国の王族であろうとも。
「開店したらぜひとも知らせてくれ。紫衣の魔道士が開くカフェに興味があるのでね」
「だから紫衣の魔道士、関係ないから」
きぱっと云い捨てて、キーラは立ち上がった。ちらりと扉に視線を向ける。魔道士がにやりと笑って、うなずいた。素早く歩み寄って扉を開いた。立ち尽くしていたキリルに、にっこりと笑いかける。まずは、心配をかけてしまった彼を、将来のお客さまにするのだ。