間章(10)
マリアンヌ王女の王位継承権は第一位だ。ただ、本人はあの通り、強くなる目的に意義を見出しているから、次期国王はロズリーヌ王女を、と云う声もあるらしい。
(たしかに、そのほうが国民としても安心だ)
なんといっても、妹姫には絶妙なバランス感覚がある。いま、パストゥス王国は平穏のうちにある。隣国ルークス王国の政情不安が懸念材料と云えばその通りだが、パストゥス王国そのものは揺らいでいない。そんな国にふさわしい王とは、常識と冷静さを持ち合わせた人物だろう。
ロズリーヌ王女は見事に当てはまる。マリアンヌ王女は、残念ながらマイペースが際立っていて、一抹の不安を感じさせるのだ。本人たちも自分たちの資質を理解しているようで、「わたしは将来修行の旅に出るのだ」「そうしてわたくしに面倒事を押し付けるおつもりなのですね?」という微笑ましいやりとりを茶会でも交わしていた。
(だからこそ、マリアンヌ王女めあて、と云う事情はわかりやすいんだがな)
すでに夕食を済ませ、湯浴みも終えたアレクセイである。寝室に続く部屋で座椅子に身体を横たえ、用意された寝酒をたしなんでいた。侍女はすでに下がらせている。一人で心置きなく、思考に埋没できる時間を過ごしているわけだ。心安らぐ、貴重な時間である。
それなのに、アレクセイが考えることと云ったら、安気とは程遠い内容である。
(王位継承に不利な立場にあり、なおかつ、御しやすい性格の第一王女に近づき、次期国王の夫君と云う立ち位置を射止める、といったところか)
正直に云えば、アレクセイ自身も面倒だと感じている。なぜ、心安らぐ時間に、わざわざ厄介事について考えを巡らさなければならないのか、と理不尽さも覚えている。酒は楽しく飲むものだ、少なくとも思考をとがらせるために飲むものじゃない。
ただ、関わってしまった面倒事には、アレクセイ自身や仲間たちの進退がからむのだ。 その一面に直面したら、しかたないか、と、考えざるを得ない。銀の器を揺らし、透明な酒面を見つめながら、アレクセイはさらに考える。
さいわいなことに、パストゥスを含む、各国の思惑はアレクセイを本物として認める方向に向かっている。だがそれでも、アレクセイが偽物だという揺らぎのない証明をされたら、おしまいである。王族を騙る行為は、まぎれもない犯罪である。体面を守るためにも、民に規範を示すためにも、アレクセイたちを処罰せざるを得ない。
(だからいま、おれが動くわけにはいかない)
ルークス王国王子として、偽物などと云う疑惑を寄せ付けない姿を、衆目にさらさなければならない。だから『灰虎』の仲間たちを頼った。まだあいつらに頼らなければならない、と、もどかしい気持ちがある。同時に、危うさも感じていた。自分に対して、だ。
もはやアレクセイは、歩み出した後ろ暗い道を、引き返すつもりはない。
ただ、以前に親友が伝えた危惧を実感できる状況に陥って、ひやりと肝が冷える心地を味わっている。アレクセイの弱点とは、偽物王子だと知ってなお、味方になってくれる人材が、『灰虎』以外にいない事実だ。いずれ仲間たちとは別れるつもりであるのに。
仲間たちには、――――光があたる道を歩ませるつもりであるのに。
アレクセイは、ふっとわらった。あざけりなのか、あきらめなのか、自分でもわからない。奇妙にこぼれた笑いと共に頭を振って、座椅子から身体を起こした。酒を飲み過ぎた自覚はないし、思考に結論は出ていない。ただ、もう休んだほうがいいと判断した。
酒器はそのままに、寝室に入った。ふと視線を向けて、机に紙片が置いてあると気づいた。たちまち、警戒心がとがる。寝室には侍女しか立ち入れないはずだ。ちりひとつ残さないように気を配っている彼女たちが、余計なものを残すはずがない。――――基本的には。
アレクセイは冷えた眼差しで取り上げた紙片を見下ろした。一読して、唇がゆるむ。
――――アレクセイ王子の懸念についてお話がございます。明日の早朝、礼拝堂に。
(へえ?)
どの懸念に対する話かな。楽しい気持ちでつぶやいて、アレクセイは寝台に潜り込んだ。