型通りの断罪

目次

「おかえりなさいませ」

 公爵邸に到着したから、ドレスをさばきながら馬車を降りると、執事の声が響いた。

 忘れていたかったわ、あんたのこと。

 あたしがそう思ったのも無理はない。
 慎ましい様子であたしを出迎えたその執事は、銀髪に青い瞳で、相変わらず、人形みたいに整った顔をしている。

 そして、その存在感が示すように、この悪役令嬢転生もの物語では、主人公の右腕的存在なのだ。

 これから悪役令嬢がどんな状況に陥ったとしても、彼女を信じて支える、頼りになる味方であり続ける。
 気高く毅然とした、どんな状況でも屈しない悪役令嬢のね。

 つまりあたし自身にとっては味方ではない。
 むしろ、敵ともなりうる存在だと、馬車の中で考えた。

 執事の出迎えを受け止めたあたしを見て、彼、レイモンドは眉をひそめる。

「セラフィーナ様のご懸念が、現実となってしまったようですね」

 そう。彼があたしの敵となりうる理由は、ここにある。
 彼は唯一、悪役令嬢セラフィーナの懸念を知らされていた人物なのだ。

 あたしは静かに、執事を見た。

「『レイモンド。お父様とお母様はどちらにいらっしゃるかしら』」

 レイモンドは悪役令嬢のセリフに対し、チラリと痛ましげな表情を浮かべたが、そこは有能な執事らしく、すぐに私情を隠して、淡々と答えた。

「旦那様は執務室においでです。先ほど、奥様もそちらに」
「『そう。では執務室に向かいます』」

 そう言って、あたしはレイモンドを置いて先に歩き出した。

 レイモンドを従えて、できるだけ堂々と胸を張って進む。時折、使用人たちとすれ違うけれど、言葉を交わすこともない。ただ、彼らの憐れむような視線をうっとうしいなあと感じたけれど、レイモンドがさりげなくあたしをかばうから、ちょっとだけ心強かった。

 まあ、この執事はあくまでも、悪役令嬢の味方なんですけどね!

 執務室に着いて、レイモンドが扉を叩く。

「入れ」

 冷徹な響きの、父の声を聞いて、あたしの身体が震えた。
 けれど顔を上げて、レイモンドが開いた扉をくぐる。

 当主の執務室らしく品よく整えられた部屋の最奥、大きな執務室の前に、父は立っていた。傍らにある座椅子には母が腰掛けていて、ハンカチで口元を隠している。ああ、母は泣いていたんだな、と改めて実感して、自分の、しんと冷めた心に笑ってしまう。

「なにがおかしい」

 そのあたしを見咎めて、父が不快そうに言い捨てた。
 物語にはないセリフだ。

 あたしは静かに父を見て、母を見て、それからすうっと息を吸ってから、言った。

「修道院に入ります」

 すると、背後に立つレイモンドが揺れる気配がした。

 そうだろうね。悪役令嬢セラフィーナなら、ここで両親の動揺を宥め、自らの潔白を証明する証拠を集める猶予を作るために、領地に向かう提案をする。

 だけど、あたしはあたしなんだ。

 悪役令嬢セラフィーナとして生きれば、あたしはこの世界では勝ち組になれる。あたしをみくびったヒロインにも、あたしを見捨てた幼馴染たちにも、ザマァを味わせることもできる。最終的には、大国の皇妃になれる。それはたしかに、ハッピーエンドだろう。

 でも。
 あたしは、そんなの、ごめんだ。

 父はあたしを見て、目を細めた。

「認めるのか。自分がしでかしたことを」
「いいえ」

 あたしは即答した。

 なぜなら、あたしは真実、ヒロインを貶める犯罪を企てていない。
 だから認めるもなにもありはしないんだけど、両親にとってはあたしのこの言動は、開き直りに見えたみたいだ。

 父は険しい様子で眉を寄せた。それ以上に、母が激しい反応を見せる。がたんと淑女らしからぬ動作で座椅子から立ち上がり、パシッとあたしの右頬を引っ叩いたのだ。

 渾身の力であたしを引っ叩いたんだろうけど、悲しいかな、それほど痛くない。
 でも衝撃にはちがいなかった。

「恥を知りなさい、セラフィーナ。あんな、あんなことをしておいて、そんな、」

 白い繊手を握りしめて、母はそう言ったけれど、あたしの心はどんどん冷えていくばかりだった。

 だってさ、あたし、本当にそんなことしてないよ?
 それなのに捏造された証拠を信じて、実の娘を責めるってどうなのよ。

 親なんだから、これまでのセラフィーナを知ってるはず。セラフィーナが、あたしが、そんなことをするはずがないって、信じてくれてもいいはずだ。

(そりゃね)

 親だから、という考えもあるんだろう。

 親なんだから、娘が間違えたのならば、正さなければならない、という考えもあるのだろう。

 でも、それって娘を信じなくていい理由になるのかな。
 むしろ、罪を犯してないあたしだって、両親が嘘の証拠を信じてるんだって、逆に責めてもいいよね?

「お父様もお母様も、セドリックたちが集めた証拠を信じるのですね」

 あたしがそう言うと、両親はそろって眉をひそめた。

 その様子がそっくりで、二人は夫婦なんだなあって思うよ。ここにセドリックがいたらきっと、同じ反応を示す。親子なんだよね、三人とも。

 あたしだけが、異端だ。

 まぶたを閉じて、また、開いた。
 真っ向から両親を見すえる。

「わたくしは、人様を貶めるようなことなどいたしません。企てることもいたしておりません。理由がありません。わたくしが、あのようなかたを貶める理由など、どこにも」
「セラフィーナ」
「お父様もお母様も、わたくしを信じてくださらない。だから、もう、いいのです」

 バカにするな、って想いが、伝わったのかもしれない。

 父は初めて困惑の表情を浮かべた。
 母も傷ついた表情を浮かべる。

 そのいずれも、あたしを揺らがすことはできない。
 揺らいでなんか、やるもんか。

 あたしは貴族令嬢らしく、優雅にカーテシーをした。

「修道院に向かいます。もう会うことはないでしょうが、お二人とも、どうぞお元気で」

 そう言って身体を起こし、立ち尽くした様子のレイモンドの脇をすり抜けて、執務室の扉から出て行こうとしたときだ。

「待ちなさい。セラフィーナ」

 父の声が、聞こえた。
 ぴくり、とあたしの肩が震える。

 振り返ることもできないまま、あたしは父の言葉を聞いた。

「修道院に入ったところで、おまえの咎が許されるはずもない」

 あたしは唇を引き結んだ。
 失望が、心によぎる。

 隣に立つレイモンドの視線を感じ取りながら、あたしは父に向き直る。

「だからと言って、無為におまえを放逐することはしない。ここまで、おまえには最高の教育を施したのだ。アシュベリー公爵家が注いだ労力を、無駄にするわけにはいかぬ」

 そこまで言った父は、一息ついて、言った。

「アシュベリー公爵領の領主代行に、おまえを任じる」

 あたしは息を呑み、目を大きく見開いた。

 その言葉は。

 父も母も、先ほどまでの動揺を綺麗に消し、端然とした貴族らしい様子に戻っている。

「セドリックが卒業するまでの期間、領地を運営してみせよ。見事、一定の成果を上げることができたのなら、我が家に戻ることを許そう」

 悪役令嬢セラフィーナが、交渉の末、父から引き出した譲歩の言葉だ。

 なんで、今、あたしはその言葉を聞いてるんだ。
(あたしは、修道院に入るって、そう言ったのに)

 貴族らしいこの人たちが、いまさら、見切りをつけた娘を救済することはないとわかっているのに、なんであたしは、悪役令嬢の道筋を辿っているんだ。

 母も落ち着き払った眼差しで、レイモンドに視線を向ける。

「レイモンド。あなたは、セラフィーナと共に領地に向かいなさい。もう二度と、このようなことが起きぬよう、しっかりと手助けするように」

 母の言葉を受けて、レイモンドが静かな所作で一礼をした。

 ほっとしたような表情を浮かべてあたしを見たレイモンドは、今度はひどく驚いたようだった。

 それはそうだろう。あたしは今、動揺を隠しきれていないはずだ。

「セラフィーナ」

 両親が、アシュベリー公爵夫妻が、あたしを呼ぶ。

 あたしは、今、床に倒れ込んで、ヤダヤダヤダって暴れたい衝動に駆られたけれど。

 もう一度、カーテシーをして、

「『たしかに承りましたわ、お父様。……いえ、アシュベリー公爵』」

 二人と眼差しを合わせないまま、悪役令嬢セラフィーナのセリフを言ったんだ。

目次