型通りの断罪
3
「おかえりなさいませ」
公爵邸に到着したから、ドレスをさばきながら馬車を降りると、執事の声が響いた。
忘れていたかったわ、あんたのこと。
あたしがそう思ったのも無理はない。
慎ましい様子であたしを出迎えたその執事は、銀髪に青い瞳で、相変わらず、人形みたいに整った顔をしている。
そして、その存在感が示すように、この悪役令嬢転生もの物語では、主人公の右腕的存在なのだ。
これから悪役令嬢がどんな状況に陥ったとしても、彼女を信じて支える、頼りになる味方であり続ける。
気高く毅然とした、どんな状況でも屈しない悪役令嬢のね。
つまりあたし自身にとっては味方ではない。
むしろ、敵ともなりうる存在だと、馬車の中で考えた。
執事の出迎えを受け止めたあたしを見て、彼、レイモンドは眉をひそめる。
「セラフィーナ様のご懸念が、現実となってしまったようですね」
そう。彼があたしの敵となりうる理由は、ここにある。
彼は唯一、悪役令嬢セラフィーナの懸念を知らされていた人物なのだ。
あたしは静かに、執事を見た。
「『レイモンド。お父様とお母様はどちらにいらっしゃるかしら』」
レイモンドは悪役令嬢のセリフに対し、チラリと痛ましげな表情を浮かべたが、そこは有能な執事らしく、すぐに私情を隠して、淡々と答えた。
「旦那様は執務室においでです。先ほど、奥様もそちらに」
「『そう。では執務室に向かいます』」
そう言って、あたしはレイモンドを置いて先に歩き出した。
レイモンドを従えて、できるだけ堂々と胸を張って進む。時折、使用人たちとすれ違うけれど、言葉を交わすこともない。ただ、彼らの憐れむような視線をうっとうしいなあと感じたけれど、レイモンドがさりげなくあたしをかばうから、ちょっとだけ心強かった。
まあ、この執事はあくまでも、悪役令嬢の味方なんですけどね!
執務室に着いて、レイモンドが扉を叩く。
「入れ」
冷徹な響きの、父の声を聞いて、あたしの身体が震えた。
けれど顔を上げて、レイモンドが開いた扉をくぐる。
当主の執務室らしく品よく整えられた部屋の最奥、大きな執務室の前に、父は立っていた。傍らにある座椅子には母が腰掛けていて、ハンカチで口元を隠している。ああ、母は泣いていたんだな、と改めて実感して、自分の、しんと冷めた心に笑ってしまう。
「なにがおかしい」
そのあたしを見咎めて、父が不快そうに言い捨てた。
物語にはないセリフだ。
あたしは静かに父を見て、母を見て、それからすうっと息を吸ってから、言った。
「修道院に入ります」
すると、背後に立つレイモンドが揺れる気配がした。
そうだろうね。悪役令嬢セラフィーナなら、ここで両親の動揺を宥め、自らの潔白を証明する証拠を集める猶予を作るために、領地に向かう提案をする。
だけど、あたしはあたしなんだ。
悪役令嬢セラフィーナとして生きれば、あたしはこの世界では勝ち組になれる。あたしをみくびったヒロインにも、あたしを見捨てた幼馴染たちにも、ザマァを味わせることもできる。最終的には、大国の皇妃になれる。それはたしかに、ハッピーエンドだろう。
でも。
あたしは、そんなの、ごめんだ。
父はあたしを見て、目を細めた。
「認めるのか。自分がしでかしたことを」
「いいえ」
あたしは即答した。
なぜなら、あたしは真実、ヒロインを貶める犯罪を企てていない。
だから認めるもなにもありはしないんだけど、両親にとってはあたしのこの言動は、開き直りに見えたみたいだ。
父は険しい様子で眉を寄せた。それ以上に、母が激しい反応を見せる。がたんと淑女らしからぬ動作で座椅子から立ち上がり、パシッとあたしの右頬を引っ叩いたのだ。
渾身の力であたしを引っ叩いたんだろうけど、悲しいかな、それほど痛くない。
でも衝撃にはちがいなかった。
「恥を知りなさい、セラフィーナ。あんな、あんなことをしておいて、そんな、」
白い繊手を握りしめて、母はそう言ったけれど、あたしの心はどんどん冷えていくばかりだった。
だってさ、あたし、本当にそんなことしてないよ?
それなのに捏造された証拠を信じて、実の娘を責めるってどうなのよ。
親なんだから、これまでのセラフィーナを知ってるはず。セラフィーナが、あたしが、そんなことをするはずがないって、信じてくれてもいいはずだ。
(そりゃね)
親だから、という考えもあるんだろう。
親なんだから、娘が間違えたのならば、正さなければならない、という考えもあるのだろう。
でも、それって娘を信じなくていい理由になるのかな。
むしろ、罪を犯してないあたしだって、両親が嘘の証拠を信じてるんだって、逆に責めてもいいよね?
「お父様もお母様も、セドリックたちが集めた証拠を信じるのですね」
あたしがそう言うと、両親はそろって眉をひそめた。
その様子がそっくりで、二人は夫婦なんだなあって思うよ。ここにセドリックがいたらきっと、同じ反応を示す。親子なんだよね、三人とも。
あたしだけが、異端だ。
まぶたを閉じて、また、開いた。
真っ向から両親を見すえる。
「わたくしは、人様を貶めるようなことなどいたしません。企てることもいたしておりません。理由がありません。わたくしが、あのようなかたを貶める理由など、どこにも」
「セラフィーナ」
「お父様もお母様も、わたくしを信じてくださらない。だから、もう、いいのです」
バカにするな、って想いが、伝わったのかもしれない。
父は初めて困惑の表情を浮かべた。
母も傷ついた表情を浮かべる。
そのいずれも、あたしを揺らがすことはできない。
揺らいでなんか、やるもんか。
あたしは貴族令嬢らしく、優雅にカーテシーをした。
「修道院に向かいます。もう会うことはないでしょうが、お二人とも、どうぞお元気で」
そう言って身体を起こし、立ち尽くした様子のレイモンドの脇をすり抜けて、執務室の扉から出て行こうとしたときだ。
「待ちなさい。セラフィーナ」
父の声が、聞こえた。
ぴくり、とあたしの肩が震える。
振り返ることもできないまま、あたしは父の言葉を聞いた。
「修道院に入ったところで、おまえの咎が許されるはずもない」
あたしは唇を引き結んだ。
失望が、心によぎる。
隣に立つレイモンドの視線を感じ取りながら、あたしは父に向き直る。
「だからと言って、無為におまえを放逐することはしない。ここまで、おまえには最高の教育を施したのだ。アシュベリー公爵家が注いだ労力を、無駄にするわけにはいかぬ」
そこまで言った父は、一息ついて、言った。
「アシュベリー公爵領の領主代行に、おまえを任じる」
あたしは息を呑み、目を大きく見開いた。
その言葉は。
父も母も、先ほどまでの動揺を綺麗に消し、端然とした貴族らしい様子に戻っている。
「セドリックが卒業するまでの期間、領地を運営してみせよ。見事、一定の成果を上げることができたのなら、我が家に戻ることを許そう」
悪役令嬢セラフィーナが、交渉の末、父から引き出した譲歩の言葉だ。
なんで、今、あたしはその言葉を聞いてるんだ。
(あたしは、修道院に入るって、そう言ったのに)
貴族らしいこの人たちが、いまさら、見切りをつけた娘を救済することはないとわかっているのに、なんであたしは、悪役令嬢の道筋を辿っているんだ。
母も落ち着き払った眼差しで、レイモンドに視線を向ける。
「レイモンド。あなたは、セラフィーナと共に領地に向かいなさい。もう二度と、このようなことが起きぬよう、しっかりと手助けするように」
母の言葉を受けて、レイモンドが静かな所作で一礼をした。
ほっとしたような表情を浮かべてあたしを見たレイモンドは、今度はひどく驚いたようだった。
それはそうだろう。あたしは今、動揺を隠しきれていないはずだ。
「セラフィーナ」
両親が、アシュベリー公爵夫妻が、あたしを呼ぶ。
あたしは、今、床に倒れ込んで、ヤダヤダヤダって暴れたい衝動に駆られたけれど。
もう一度、カーテシーをして、
「『たしかに承りましたわ、お父様。……いえ、アシュベリー公爵』」
二人と眼差しを合わせないまま、悪役令嬢セラフィーナのセリフを言ったんだ。
