型通りの断罪

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 自室に入って、ほうっと息を吐き出したくなったけれど、気を抜くのはまだ早い。

 なぜなら、あたしのそばには侍女たちと、それからレイモンドがいる。

 この部屋に入ってからも、あたしを見守るレイモンドの眼差しには、思いやりといたわりが宿っている。だからだ。その温かな誠こそが、あたしを警戒させるのだ。

「レイモンド。ミルクティーを淹れてくれないかしら」

 部屋で待ち構えていた侍女の手に、複雑に飾りつけた頭を委ねながらあたしがそう言うと、レイモンドはかすかに微笑んで一礼したあと、あたしの部屋から出て行った。

 執事であるレイモンドにわざわざ依頼する『ミルクティー』には、特別な符号がある。

 セラフィーナ考案レシピで淹れたミルクティーとレイモンド特製のスコーンを食べながら、ゆっくりとレイモンドと話したい。そういう意味なのだ。

 するするとドレスを脱がせられ、部屋着をまといながら、あたしは考え込む。

 たぶんレイモンドは、セラフィーナが今後の進退について、詳細を話すつもりなのだと受け取ったはずだ。
 それは正しい。

 そして、あたしは、どこまでレイモンドに話すべきなんだろう。

 あたしは修道院に行きたかった。
 行くつもりだった。

 十六歳の身空で早く決断しすぎと言われるかもしれないけれど、もう、恋愛も結婚も出産もごめんだと感じたから、修道院で慎ましく生きていくつもりだった。そんな生き方を忌避する価値観も、あたしの中にはないしね。

 でもあたしは、公爵領の領主代行に任命されてしまった。

 小さくあたしは笑う。

(これが物語の強制力ってやつ?)

 心の中でつぶやいて、すんと真顔になる。笑えない。
 まったくもって笑えない。

 このまま領地を運営して、同時に、自分の冤罪を証明する証拠を集めてヒロインたちを糾弾し、ゆくゆくは隣国の皇妃になるなんて、冗談じゃない。

 これは前世から引き継いだ性質なんだと思うけど、あたしは目立ちたくないんだ。

 目立つということは、注目されるということ。
 良い意味でも悪い意味でもね。

 これまでのセラフィーナは次期国王の婚約者としてその状態を受け入れていた。でもその婚約は破棄されたんだ。だったら心の底からあたしが望んでいるまま、目立たず知られずひっそりとした人生を目指して、なにが悪い?

(悪くないはずなんだけどなあ)

 自室でくつろげるように、あたしの身支度を整えてくれた侍女が一礼して部屋を出ていく。

 たぶん別室では、あたしが領地に旅立つための準備が始まっているはずだ。彼女もその準備に向かうんだろう。事態はもう動いている。あたしがどんなに嫌がろうが、世界は悪役令嬢あたしに優しい展開に向かってるんだ。

 ここから先、あたしはどう動いていこう。
 そして、その道筋に、レイモンドは付き合っていけるのか。

 化粧鏡に映る人影に、すいと指を滑らせて、あたしはつぶやいた。

「ほんと、どこまで話すべきなのかしらね」
「それはもちろん、すべてでしょう」

 鏡でなぞった人物、レイモンドがケロリとした様子で言い放った。

 侍女と入れ替わりに入室してきたレイモンドは、テーブルにお茶の用意をしている。あたしはその様子を鏡ごしに確認しながら、わざとつぶやいてみせたのだ。

 だからあたしは、レイモンドの、レイモンドらしい発言に、ちょっと笑った。

 化粧室のスツールから立ち上がり、レイモンドが待つテーブルに着く。ティーカップにとぽとぽと注がれるチャイミルクティーはこの世界において、あたしが考えたオリジナルだ。

 正確には、現代日本の知識を持っていた、以前のセラフィーナが再現させたものなんだけど、セラフィーナはあたしなんだから、あたしのオリジナルと言ってもいいよね。

 そういうふうに、あたしとセラフィーナは混ざり合っている。

 セラフィーナとして生きてきたこれまでを振り返ったとき、自分の人生だと実感できているのに、それなのに、これから先、セラフィーナが歩んでいくだろう道を考えたとき、悪役令嬢の逆転劇を思い描いたとき、それが自分の人生だとは思えないんだ。

 まるでマリオネットになっていくみたい。
 そんな気持ち悪さがつきまとう。

 でも。

「……おつかれのようですね、セラフィーナ様。出立は明後日と決まりましたが、引き延ばしてもらいましょうか」

 執事らしく、ピンと背筋を伸ばしてあたしのそばに立つレイモンドに、あたしはビシッと真向かいの席を指し示した。

 しばらく沈黙が通り過ぎる。

 そっぽを向いたまま、譲らないあたしに対し、レイモンドは深いため息をついた。

「執事長に怒られるのは俺なんですが?」
「あたしの部屋は治外法権。融通をきかせなさい」
「なんですかそれ。それもニホンの言葉ですか」
「そ。葵の御紋と同じく、絶対的な権威のある言葉よ」

 あたしは適当な言葉を言ったけれど、レイモンドはそれすら受け入れて、しぶしぶ椅子に座った。あたしは背筋を伸ばし、レイモンドがもってきた茶器、ちゃんと二客用意されていたティーカップに、ポットの中のチャイミルクティーを注いだ。

 ティーカップを差し出しながら、レイモンドにニヤッと笑いかける。

「口ではいやと言いながら、あなたの身体は素直よね」

 するとレイモンドは、ちょっと耳を赤くして、あたしから目を逸らした。

「しかたないでしょう。主の意向を組むのも、執事の大切な仕事です」
「仕事ねえ」

 レイモンドがきっちり線を引いているところに、これからあたしは踏み込んでいくってことに気づいてるのかな。

 レイモンドは、悪役令嬢セラフィーナに絶対的な忠誠を捧げる存在だ。
 だからあたしにとって、最悪の敵にもなりうる存在だ、と、思っている。

 でもさ。あたしはあたしなんだよ。
 昨日までの、ううん、さっきまでのセラフィーナは、まぎれもなくこのあたしなんだ。

 だからさ、わかってほしいんだよね。
 あたしはただ、穏やかな生活を送りたいんだって。

 領地を盛り立てて、またこの家に戻ってきたいなんて思ってない。
 幼馴染たちとの縁をもう一度繋ぎたいとも思ってない。

 あたしはあたしのまま、静かに生きていけたら、それでもう、いいんだって。

 でもどう言えばいいんだろう。
 チャイミルクティーを飲みながら言葉を選んでいると、レイモンドがくすりと笑う。

「それで? セラフィーナ様のお望みはなんですか」

 あたしは一瞬、確かに動きを止めた。
 言っちゃうんだ、それ。聞いちゃうんだ、って思ったね。

 でも、だからこそ、最悪の敵となりうる存在であっても、あたしはレイモンドに話そうと思ったんだ。これまでと同じように、すべてを打ち明けようと思っちゃうんだ。

「……あたしね、悪役令嬢じゃないんだよ」

 言葉を選びながら、あたしがそう言うと「そうですね」とレイモンドは言う。

「あなたは以前からそうおっしゃっていましたね。自分は、悪役令嬢になりたくない、だから、たくさん頑張って、破滅の運命を回避するんだ、と」
「あ、それ、キャンセル。悪役令嬢に訪れる運命は破滅の運命なんかじゃないから」
「は?」

 今度、動きを止めたのはレイモンドだ。

 あたしがレイモンドに、これまで打ち明けてきた内容は、この世界がこれから迎える展開をあたしは知っているということ。そしてその展開では、高慢な公爵令嬢セラフィーナが婚約者の心を奪った聖女をいじめることによって、家からもこの国からも追放され、状況ルートによっては命を奪われる、というものだ。

 だからあたしは必死になって模範的な公爵令嬢になろうとしていたし、そんなあたしをレイモンドはよく支えてくれた。なぜかはわからない。だからこそ、目覚めた直後は、あの物語では悪役令嬢の右腕的存在だと書かれていたからだ、と思い込んでいたんだけど。

 ……一人のときには、レイモンドもあたしを裏切るんじゃないかって思ったんだけど。

 でもこうして、実際に言葉を交わしていくと、どんどん警戒が薄くなっていく。

 違うんじゃないかって、思っちゃうんだ。

 世界が、幼馴染たちが、両親が、どんどん物語に寄り添う形で変わっていく中で、レイモンドだけは変わらないんじゃないかって期待しちゃう。

(錯覚かな)

 ちょっとだけ、ほろ苦い感覚であたしは笑う。

 だって、レイモンドは悪役令嬢の右腕だ。そしてあたしがあたしである限り、レイモンドはあたしから離れない。今、あたしの意向に寄り添っているように、悪役令嬢セラフィーナにレイモンドは寄り添う。そういう設定の、そういうキャラクターなんだから。

 だから、あたしはびっくりした。

 混乱していたはずのレイモンドが、いつの間にか落ち着き、あたしを観察していたことに気づいたとき。その、サファイアのような瞳がじっと、あたしを見つめていると気づいた瞬間、あたしは奇妙な感覚に襲われたんだ。

 この世界が描いた、悪役令嬢ものの物語の奥側にいる、あたし自身を見据えてるような瞳だ、と感じてしまった。

 あたしは、笑う。

 するとレイモンドはスッと目を細めた。ティーカップをソーサーに置き、「セラフィーナ様」と落ち着き払った声で、あたしを呼んだ。

「あなたは自分を悪役令嬢ではないとおっしゃった。では、あなたは何者ですか」

 その問いかけに対する答えは、するりと出ていった。

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