型通りの断罪
5
「モブだよ」
「もぶ?」
「そ。群衆や野次馬のこと。この物語の背景にいる、名前のない『その他大勢』のことだよ。あたしは特別な野望を持ってない。世界を変えるほどの知識も持っていない。ただ、一人の傍観者として、この世界が描く物語の全体像を知っているだけの、モブだ」
だってそうだろう。
この物語は、あたしたちの世界では商業化された作品だ。
あたしと同じように、あの物語を楽しんだ存在はたくさんいただろう。悪役令嬢セラフィーナが、不遇な運命を切り開く様に、心躍らせた読者はどれだけいたか。
それがなぜか、たまたまあたしだけがこの物語の中央に配置されてしまったけれど、あたしという人間の本質は変わっていないだろう。
この世界はあたしの世界ではなく、そして悪役令嬢セラフィーナの物語は、あたしが歩みたい、あたし自身の人生じゃないんだ。
たまたま、楽しんでいた物語に入り込んでしまった異分子、それがいまのあたし。
物語に入り込めてしまった時点で、あたしはもうモブじゃないのかもしれない。でもあたしはあたし自身の名前を失ったままなんだ。モブ野モブ子と名乗って何が悪い?
「群衆。野次馬。……モブですか」
口の中で転がすように、レイモンドは単語を繰り返した。
そうして、また、クスリと笑ったんだ。
「それはそれは、不相応な役割を与えられたものですね」
あたしは目を丸くする。
そのまま言葉を失ったまま、じっとレイモンドを見て。
ニヤリ、と笑ってやった。
「そうなんだよ。わかってくれる?」
再びティーカップを傾けながら、「想像だけですが」とレイモンドは応える。
「セラフィーナ様は、この国では注目される存在ですからね。そんな存在の中に、群衆に埋没していたい存在が入り込むのは、とても苦しいのではないかと愚考いたします」
あたしもティーカップをかたむけながら、「役得ではあるけどね」と言い返した。
「役得ですか」
「そりゃね。見てごらんよ、このあたしを。つやつやのプラチナブロンドに深みのある青灰色の瞳、スラリとした体つきの、とびっきりの美人であることに加えて、国内最高の貴族令嬢だよ。少しばかり土はついてしまったとはいえ、あたし自身の価値は損なわれてない。きらびやかな最高の美女になって、喜ばないなんて嘘だよ」
でも。
自画自賛としか聞こえない言葉を連ねて、そして、あたしは笑ってしまった。
レイモンドがあたしを見止めて、ほんのりと眉をひそめる。
ああ、伝わってしまったかな。
あたしがちょっとばかり、意地を張っていることを。
「あなたの望みは、なんですか」
ティーカップに視線を落としながら、ポツンとレイモンドが言う。
途方に暮れたような様子は、まるで彼こそが迷い子になったよう。不思議なものを見ているような感触になりながら、あたしは唄うように告げた。
「目立たず知られずひっそりと。穏やかにこの人生を生き切ることだよ」
「あなたを陥れた存在を、見返してやることではなく?」
「意味がないんだよ、レイモンド」
あたしは、まっすぐに、彼の心に届くように告げた。
「彼らを見返したところで、失われたものは戻らない。あたしの中に、幼馴染たちへの無邪気な信頼はもう、戻ることはない。両親への盲目的な情愛もね。せめて、あたしを切り捨てたことを後悔してほしい、と、ささやかに望む気持ちはあるけれど、でもそれは、いずれ叶う望みでもあるんだ。世界が約束している」
「いずれ、叶う……」
レイモンドは繰り返して、表情を引き締めた。
あたしの言葉に込められた、不穏な気配に気付いたのだろう。
本当に、レイモンドは優秀な執事だ。
だからこそ、あたしはちょっとだけためらいながら、そろそろと口にした。
「だから、あたしについては心配はいらない。……だから、もし、」
「お気遣いは不要ですよ、セラフィーナ様」
あたしの言葉尻を奪うように、レイモンドは言い切った。
「俺は、十二歳のあのとき。あなたに助けられたときに、あなたの望みを叶えると自分に誓った。その誓いを違えるつもりはありません。……あのとき、俺を助けたのは、あなたなんでしょう?」
サファイアの瞳がかすかに揺れた。
その瞳は、八年前に見つけた、あのときと同じ。
(そうだね)
あたしは確かにモブであるけれど、セラフィーナとして十六年間、生きてきた。
あたしがあのとき、レイモンドを助けた。
だから、レイモンドがあたしの敵に回るはずもなかったんだ。
(たとえそれが)
悪役令嬢転生ものの物語の、筋道に従うだけの出来事であったとしても。
あたしはこぶしを作って、レイモンドに突き出した。
戸惑ったようにそのこぶしを見つめて、レイモンドはあたしを見つめる。
ニヤッとあたしは笑った。
「後悔はさせないよ。あたしの人生、どんなことになっても、あんたはどこまでも連れて行く。いいね?」
するとレイモンドは、まいった、と言わんばかりに首を振って、笑った。
「あなたはどこまでも漢前ですね。むかしから、変わらない」
あたしは、だから笑った。
